2015春の琵琶湖16 安楽寺 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

楢丁(YOUTEI) 旅の話

趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2015春の琵琶湖16
安楽寺
 
4/4(土)⑤
 鮎茶屋へは一旦車に戻って、と当初は考えていたが、せいぜい6~7キロほどだろうと見当をつけ、自転車で向かうことにした。途中、本願寺長浜別院、八坂神社などの寺社に立ち寄り、行き当たりばったりで、なるべく路地を選びつつ住宅街を抜けると、今度は一面に広がる田圃の中を行く道に変わった。



鮎茶屋に向かう途中で立ち寄ったところ

 

 パノラマ状に視界が広がり、右手には雪を頂いた伊吹山の雄姿。ヒバリのさえずりを聞きつつ、自転車を漕いでいく。天気がいいとこういうことが出来る。あちこちの桜もほぼ満開、章子は桜はもう見飽きたなどと言い出す始末。

 

伊吹山を遠望

 

 さっき地図で確認し、ここに寄ってみようと考えていた「安楽寺」の標柱に行き会った。この先をまっすぐ行くと安楽寺、その前の道を左に折れてしばらく行くと鮎茶屋だろうと見当をつける。

 

    既に11時を過ぎ、予約の時刻まであまり時間はないが、まあよかろうと考え、行きがけに立ち寄ることにした。


安楽寺参道入り口に立つ標柱


 よく手入れされた松が何本も植わっている石畳の参道を通ると、「足利尊氏爪墓」なる石塔がある。長浜といえば秀吉くらいしか関連の武将が浮かばぬが、尊氏の史跡があったか、といささか驚いた。さっきの観光マップにはこの安楽寺、庭園が美しいというような紹介があったはず、と思って庫裏の玄関を入ると、奥さんが出てきて奥の本堂に案内される。年の頃は四十年配、ちょっと太めの朗らかな感じの人だ。


手入れの行き届いた木立


足利尊氏の爪墓とは?

 拝観料300円。本堂手前の部屋にあった身の丈三尺くらいの黒い観音立像、これがなかなかにいい。本堂にある御本尊は座像である。

 

なかなかにいい!

 

 先客のご家族は墓石の相談でもしているらしく、石の値段がいくら、とかの話が聞こえてくる。奥さんがお茶と茶菓子を持ってきてくれるが、我々のために奥にある寺宝の展示室を開けてくれた。先にこちらを拝見、奥の廊下のようなスペースだが、仙厓、白隠はまあ良さそう、永徳はチトどうかなと思うが、まあ見るべきものがいくつかあった。井伊直弼自筆の歌もある。


「握月擔風」。これは寺宝展示室のではなかったと思うが、なかなか凄い筆跡

 庭園は手前に池、築山には大小様々な石が沢山据えられ、背後には常緑の樹が枝ぶりよく葉を茂らせている、といった塩梅。

 

    先客が帰って、奥さんが今度は我々に庭の解説をしてくれた。それによれば、池は琵琶湖を模してあり、手前側の、丁度長浜にあたる場所の岩が亀の頭、それに対する向こう岸には翼を広げた鶴の姿がある、と。その気になって目を凝らしてみれば、まあ、それらしい感じは分かる。

 
名勝庭園

 この寺は、元はといえば平安貴族の荘園、代々を経て寺となり、室町に至って足利尊氏が、背いた弟を討ちに北国街道を通った際、この近くで馬が進まぬと寺に立ち寄ったことがある。そこで住職がここの石に呪いがかかっているせいだ、と祈祷をすると上手く事が運んだ、という伝承は表向きの話、おそらくは尊氏の健康状態にでも何か問題が生じ、寺で休んで回復した、というのが真相ではないかとおっしゃる。境内にある「爪塚」というのは、そんなわけで足利氏の庇護を受けた縁で建っているのだそうな。

 昔見た大河ドラマでは、真田広之が尊氏、その弟を高島政伸、そして高師直を柄本明がやっていたのを思い出した。

 

 

 往事はかなり広い範囲がこの寺の寺領、いくつもの坊が立ち並んだこともあったそうである。戦後の農地改革でも、地域の皆さんが遠慮してくれて、すっかり周囲の農地を奪われる、といった仕儀にはならず、寺では今も周囲の田圃で稲作をしているという。庭の手入れは住職と奥さんがほとんどをやっているが、「背の高い松だけは本職に頼まないとどうにもならないんです」、とはよくわかる話だ。ここから見える二本の松は、優に15メートルほどはあるものの、枝が短く刈り込まれ、これが天に昇る二匹の龍を表しているという。


天に昇る二匹の龍を表しているという松


 昨夜の風で、今朝は庭の手入れが大変だったこと、築山の常緑樹は防風林、台風の時でさえ、本堂の縁側あたりではさほどの風にはならない、本堂左の植え込みには穴が空けてあって、そこから伊吹山が望めるように工夫してある云々。と、この奥さんのお話は大変に面白く伺ったが、予期せぬ時間を費やしたため、予約した鮎茶屋には途中一度連絡を入れておいた。


植え込みの間から見える伊吹山

 寺宝にある井伊直弼の歌は、この庭園を見ながら詠んだのだったか。井伊家ももとを辿ると源氏、足利もまた同じ、という縁でこの寺を訪れた、という話だったろう。自筆の歌に添えられた落款には「源直弼」とあった。

 こんな事もおっしゃった。この庭は平安の、荘園時代からのものではあるが、徐々に手が加えられてきたため、歴史のある庭園ではあっても文化財の指定を受けられない。たとえばの話、長く地中にでも埋もれていて、掘ってみたら、あれ庭園だった、というものの方が文化財指定の要件を満たす可能性が高いのです、と。

 

 また、近代化の波というのは古いものに対し容赦のないもので、寺社の境内を鉄道が分断する、などということもよくある話、その上、自治体の文化財保護にかける財政状況は厳しく、とりわけ滋賀県は対象になる神社仏閣がたくさんあるので、うちのようなところまで、なかなか補助金は回って来ない、だから大変なんですよ、とも。

 帰りしな、参道にある松を玄関から眺めると龍が見えるというので、言われたとおりにしてみれば、よく刈り込まれた松の木の途中、地上10メートルほどのところに確かに龍が4本の足を広げ、琵琶湖に向かって飛んでいるように見える。枝の組み合わせがそうさせるのだが、ご丁寧に、目まで開いていて、意図してこんな事が出来るようには思えない感じだった。

 

見事に龍の姿が!!

 

 これを反対側から見ると、どれがそうだか分からなくなる、というので参道をしばらく行ったあたりから振り返って見てみれば、複数の枝の位置関係が変わり、さっきのあれは一体どれだったかと、どこを見ていいかすら分からない始末。偶然の産物に違いはなかろうが、しかしあまりによく出来ていて、これならあの「珍百景」に登録できるかも知れないとさえ思うほどだった。


反対側から見たのでは全く分からない



2015春の琵琶湖17 鮎茶屋につづく