2019トルコ共和国16(終)エジプシャンバザール~日本 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2019トルコ共和国16(終)

エジプシャンバザール~日本

 

10/30(水)~31(木)
 さて、お次はエジプシャンバザール、買い物をするならこっちの方がいい、というアルペルさんの話である。雑多な店が並ぶ小道を抜けて10分ほど歩いただろうか、ここが私の生まれた家です、とアルペルさんが指し示したのは、そんな賑やかな商店街の途中にある建物だった。イスタンブール生まれのイスタンブール育ち、というはじめの紹介だったが、日本で言うところの、「江戸っ子」みたいな概念がこの国にもあるのだろうか。

 

              規模は小さいが雰囲気のあるエジプシャンバザール


 エジプシャンバザールは規模においてグランバザールとは比較にならないが、やはりアーケード街を形成、これがL字形をしているというので、終いまで行ってみた。天井の装飾などは、グランバザールに比べるといくぶん新しい感じがする。開放感があるのは、こちらの方が通路が広いせい、それとも天井が高かったのか?後になってみると、その時に感じた記憶を辿ってみるしかないが、不確かなことの方が多く、こうやって文章に残すのが憚られることも多い。

 

              各国の言語で説明が出されているスパイスのお店


 市場の成り立ちから、スパイスの店が多いというが、ドライフルーツを扱う店舗もいくつかあり、集合場所になったさっきの店よりずいぶん安い値段がついていたようだ。グランバザールでは食料品を扱う区画に出会わなかったのか、そもそも食料品を扱う店が少ないのかは分からないが、こちらに来てみると食べ物の店が多いのに気づく。中には英語、漢語、ハングルや日本語で商品の説明看板を出している店もある。

 

               絵画展のポスター。これは何だか素敵なのだが…


 市場のどん詰まりから出てみると、外は割に静かな街だ。すぐ向かいの建物は入り口からスロープ状の通路が続く。ここに絵画展のポスターが出ていて、ぱっと目に入る赤の色使いが印象的。入ってみると、ここは元何だったのだろう、石の建造物で、石畳風な床がかなりの角度で上っていくが、その両脇にずらっと絵画作品が展示されている。どん詰まりで通行止めになっていたが、その先にホールがありそうな感じ。かつては寺院だったのかも、というのが我々の想像だ。

 

 展示されていた絵画は、恐らくはイズニックタイルなどの、古い装飾物からヒントを得て制作したように思うが、これが割合稚拙な感じのもの。色使いや図柄に面白いところはあるけれど、ちょっと首をかしげてしまう。ポスターの絵が素敵に見えたので、期待したのだが。

 

               かなり斜度のあるスロープに絵画作品が並ぶ


 ここからエジプシャンバザールを越えた反対側に回ると、壁の外側にずらりと商店の並ぶ市場が形成されていた。香辛料やオリーブ、チーズ、果物やドライフルーツなどの食料品を扱う店が中心、観光客はもちろん多いが、夕方の買い物に来ている地元の人もいるようで、大変な賑わいを見せている。海がすぐそばという土地柄だろうか、魚屋さんも数軒ある。並んでいる魚の中心にあるのが、昼の中華で出た例の魚、ぱっと見たところでは、これが最もポピュラーな魚種。添えられた札には“LEVREK”とある。調べたらスズキの仲間のようだが、日本では見られない魚と思う。

 

             エジプシャンバザールの外に展開する市場。観光色は薄い

 

              市場の魚屋さんの店頭。例の魚が並べられていた


 一旦市場内で集合して、金角湾に架かるガラタ橋のたもとへ向かうが、ここで名物の鯖サンドが食べられる。今にして思えば、ここから向こう岸にかけて、およそ500年前には鉄の鎖が渡されていたんだ、と想像できるが、実際に橋へ上った時にそんなことは全く頭に浮かばなかった。
 岸にはトルコ国旗を掲げた船がたくさん横付けされ、船内では大きな鉄板の上に並んだ大量の焼き鯖を、野菜と共にパンに挟んでどんどん鯖サンドが作られている。

 

                    鯖サンドの船の中


 腹も減っていない上に、この時点で、既にトルコリラを使い果たしていたから、鯖サンドを食べようという気も起きなかったが、実は困ったのが有料トイレだ。添乗員の松川さんはその事も充分心得ていて、小銭をもらって無事に済ますことが出来た。

 

                  金角湾にかかるガラタ橋の上にて


 皆さんが鯖サンドにありついている間、橋に上ってみたが、欄干からずらりと竿を出している釣り人でいっぱい、何が釣れているのだろうかとバケツを覗いて歩いた。すると、岸辺に近い人はボラ、沖に出るにつれキスのような魚からアジへと獲物が変わる。どれも30㎝に満たない小物だが、ちょっと夕餉のおかずを、というのには格好だろう。


 ここからバスで空港に向かう。イスタンブールには2つ空港があり、ヨーロッパ側にあるのが「アタチュルク国際空港」、アジア側が「サビハ・ギョクチェン国際空港」で、もしはぐれたら、アジア側の方だから、という事前のレクチャーがあった。アジア側の空港は、アタチュルクの養女の名前がついている、ということだったかな。

 

 アタチュルクは、自分の死後、後継者争いが生じないようにと、妻とも離婚し、自分の子も残さなかったというアルペルさんの説明だが、これもにわかには信じがたいような話だ。


 道中はやはり渋滞から始まったが、やっとトルコという国の輪郭がつかめてきたところなのに、もう帰国か、という名残惜しい気持ちと、長いバスの旅からこれで解放される、というような複雑な感情が入り交じった。

 

                 サビハ・ギョクチェン国際空港にて


 空港ではマクドナルドで休憩したが、ビールの冷蔵庫が店の一画に置かれているのに驚いた。メニューに載っていたかどうかも確認はしていないが、ここにあるのだから提供しているのは間違いない。日本のマックでは考えられないことだ。

 

                  空港内のマックで一息入れる

 

                マックの店の奥にはビールの冷蔵庫!


 トランジットのドーハでは、行きには気づかなかったが、仮眠室があった。一行の皆さんが、待合の座席でぐったりしているのを横目に、リクライニングできるシートに身を沈めた。といっても眠れはしなかったが、ほぼ1時間くらいはここで休むことが出来た。


 出発は遅れた。羽田着が22:30到着予定だから、所沢までのリムジンバスの最終が23:30、これに乗って帰れれば楽だ、と踏んでいたのだが、遅れはおよそ1時間、これじゃ間に合わないかな、という不安がよぎる。


 機内では、今度は映画を観ようと考え、「七つの会議」を選んだ。もう一つ、何か見たはずだが、すでによく思い出せない。それから食後に頼んだウイスキーが、妙に旨かった。旅の間、ちびちび飲んできたのが、冒頭に書いたカティサークとブラックニッカディープブレンドの二種類、それらより確実に旨いウイスキーが供された。あのウイスキーは何だっただろう。エコノミークラスだから、シーバスリーガルかバランタインの12年物が限界、という推測はできる。調べたら、あるブログにウイスキーは「ジョニ赤」と書いてあった。へえ、それだったら値段はカティサークと大差ないじゃないか。

 

 

 羽田到着の遅れはそれでも3~40分程度に収まったが、預けた荷物が出てくるのが遅く、気を揉むことになった。最終バスの時刻まであと20分ほどだったから、章湖が先に出てチケットを買っておき、荷物を受け取って合流、完璧な連係プレーだぜ、などと考えていたが、ターンテーブルが回り始めてずいぶん経っても、なかなか荷物が現れてこない。普通ならこんなに時間は掛からないはず、いったいどうなってんだ、と焦ってみても、目の前の現実は変えようがない。

 

 あ、あれだと自分たちのキャリーバッグが見えた時には既に発車時刻も間近だった。もう間に合わないのは確実、と悟ったものの、ケータイを持ってきていないから、連絡する手段がなかった。幸い、リムジンバスのキャンセルは出発の2分前まで、間に合わないと考えた章湖が、機転を利かせて払い戻しをしていた。


 さて、こうなると電車で帰るしか方法は残されてはいないが、車輪の具合が悪い荷物のことよりも、今度は終電が気懸かり。池袋発の西武線最終が何時なのかを確かめる術がないのだ。京急のホームに下りてしまうと、既に羽田空港のWi-Fiは使えず、これで万事休す。仕方がないから、ともかく来た電車に乗り、品川で山手線に乗り換える。この時刻というのに、車内は結構混んでいる。来た電車は大崎止まり、しかし既に湘南新宿ラインは終わっていて、選択肢は次の山手線しかなくなっていた。


 渋谷に着いて電車のドアが開くと、ウワー、こりゃ何だとビックリ。妙な仮装の若者がどっと乗り込んできたのだ。ゾンビの仮装などはともかく、赤のバニーガール姿の若い子が二人、これにはちょっと目のやり場に困った。一応コートを持っている風だったが、今日はこの季節にしては異常に暑かったらしく、日中は26~7℃、この時刻でも、まだ20℃を超えるくらいはある。だからそれも着てはいなかった。電車に乗ってからも二人で写真を撮りあい、どこにも恥ずかしげな様子は見られない。その手のお店の中だったら、どうと言って不自然はないだろうが、公共交通機関の中だぞ。高校で習った古語の「かたはらいたし」が頭に浮かんできたが、まさにそんな状況であった。

 

    ネットで検索したバニーガールの衣装。ちょっと違うが、まあこんな感じの子らが乗ってきた


 そう、今日10/31はハローウィンなのだ。渋谷の交差点の騒ぎは毎年、テレビで見て知ってはいたが、一週間以上日本を離れていて、すっかりそれが頭から抜け落ちていた。乗ってきた若い人達の会話から、もう終電終わってるからネットカフェかな、なんて声が聞こえてきて、不安は増すばかり。もし間に合わなかったら、俺たちもそんな運命か、しかし明日は一限から授業だぜ、といやな予感は募る一方。しかも今日は特別な一日だ、店がどこもいっぱいであぶれた場合は、などとネガティブな連想が次から次に湧いてくる。


 さて、次なる選択肢はこのまま池袋まで行くか、あるいは高田馬場で西武新宿線に乗り換えるかの二つに一つ。合理的に考えれば、この電車は高田馬場へ池袋より9分ほど早く着く。西武新宿発の終電がまだあるとして、高田馬場へは少なくとも2~3分はかかるから、可能性としては高田馬場だと判断、一か八かに賭けた気持ちだったが、これは当たった。西武線のホームに上がって、次の電車が新所沢行き最終、の電光掲示が確認できた瞬間、ああ、助かったという安堵感がこみ上げてきた。


 めでたく乗ることができた電車が所沢に到着する直前、既に池袋線は上下線とも運転を終了しています、とアナウンスが流れた。ということは、高田馬場で降りた我々の判断は正解だった、ということだ。


 新所沢駅には幸い、客待ちのタクシーがいてくれた。深夜料金の割り増しを考えると、4~5千円は掛かるだろうかという予想に反して、所要時間はわずかに10分と少し、2千円ほどで武蔵藤沢のミニストップまで運んでもらえた。ここで明日の朝食を仕入れ、今回の旅は終わりを告げた。


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 旅のメモをほとんど取らずに書いた旅行記としては意外な長さになったように思う。本格的に取り組みはじめたのは、既に年が明けてから、記憶はどんどん薄れていき、大ざっぱな輪郭だけの旅行記にしようと考えていたが、写真を参考に書いていくと、やはり、あれもこれも、と欲張ってしまった。結果として、またしても人に読んでもらうことが出来そうにない仕上がりとなった。


 同様のパックツアーに行った人のブログ等も参考にしたが、ツアーガイドはやはり優秀な人が多いようで、アルペルさんが特別、というわけでもないようだ。しかし、彼には教わることが多かった、というのは文中に記したとおり。

 

 

2019トルコ共和国 おわり