2012夏 山陰の旅第2弾
山陰は、それまで単発で出雲を詣でたこともあったが、意識して巡ろうと思ったのが2006年の旅が最初だ。神鍋高原にテン場を取り、ここを根城に城崎温泉、コウノトリの里、餘部、浜坂、香住、湯村温泉と、兵庫の北西部を中心に回った。
2006年、コウノトリの里にて
2006年、城之崎にて
2006年餘部鉄橋
ほかには神鍋高原に近い、山中の廃村を尋ねて歩いている最中、子連れのイノシシと遭遇しそうになったこともある。間近に息づかいが聞こえ、あれは本当に危ういところだった。(阿瀬渓谷の奥、金山廃村と思う)出石を自転車で巡ったのもこの時だ。
我が家の意識としては、旅はここから連続しているのだが、定義によると山陰は鳥取以西ということなので、この時は山陰には到達していなかったことになる。
というわけで山陰の旅第1弾は2008年、前回の続きを意識して、福崎から北上、鳥取から三朝、米子、安来、中海、宍道湖畔を経て松江、出雲まで到達した。この旅では青谷上寺地遺跡や投入堂の三徳山、足立美術館、植田正治写真美術館、鳥取県立美術館に、出雲をはじめ美保、日御碕、佐太、須佐などと関連する神社仏閣をかなり巡って歩いた。この周辺を彷徨うと、どうしても神話の世界を探ってみなければ、という気持ちになる。まだ静かだった竹田城址に登ったのもこの時のこと。
これが山陰の旅 第一弾
そして山陰の第2弾がこの旅だ。主なターゲットは出雲以西だが、「もののけ姫」を見ていたせいもあろうが、「たたら製鉄」については、今回、是非遺址を訪ねてみたいと思っていた。また、世界遺産に登録されて話題になった、「石見銀山」は見ておきたい、との気持ちも募る。
それから、趣味のアナログレコード情報を集めているときに、クリーニングやら機器の細かいメンテナンス、果ては改造に至るまでの情報を発信している人が、米子郊外で喫茶店をオープン、店内でレコードを掛けているということを知った。「カフェ遠音(とおね)」という店である。
「カフェ遠音」を知ることとなったアナログレコードのサイト
いつもと同じ、全ては行き当たりばったりの旅だが、最終日を8/21と定め、最後の一泊を、浜名湖の舘山寺温泉「花ノ井」で過ごそう、と予約を取った。この宿は、最近各地の旅館の再生に手腕を発揮していることで有名な、星野温泉がかかわっているらしく、前の年に一泊し、大変気分がよかったところだ。
大雑把には鳥取から山陰を西進し、山陽へ出て帰ってくるイメージをしているが、さあ、どんな展開が待っているだろうか。
8/8(水)
神流川の釣りで固着した竿がようやく抜け、高倉寺に行って施餓鬼の供養料を払い、墓を掃除して花と線香を供えてきた。家では章子がすっかり風呂を洗って洗濯物も取り込んだ。そんな懸案を全て済ませて、入間インターに滑り込んだのは、もう午後3時に近かった。
今回の旅はお盆を挟んで二週間、ここ数年の夏の旅では最も長丁場となる予定。幸いにもまだ帰省渋滞は見られない。
この時刻の出発となると、いきなり山陰まで到達するのは難しく、どこかに中継点を探す必要がある。すぐ頭に浮かんだのが、以前泊まったことのある琵琶湖畔、長浜のテン場だ。テン場とはいいながら、湖畔にある駐車場から低い植え込みを隔てた、ただの草地だが、ここは気持ちよく泊まれる、我が家的には西日本の旅の拠点。
いつものように中央道から名神へ入る頃には、すでに日は沈まんとしていた。
夕食は養老サービスエリアで、ちょっと贅沢を。「飛騨牛ひつまぶし膳」(¥2000)、「飛騨牛ステーキ膳」(¥2980)と、普通では選びそうにないメニューを注文、ステーキは150グラムあると説明されたが、確かにこれは旨かった。
養老サービスエリアで、ちょっと贅沢をした
長浜インターで降りたのは既に9時近く、すぐのジャスコに寄って明日の朝食と若干のアルコールを仕入れ、セルフのスタンドで給油してみると、燃費は14㎞/Lくらい走っている。この車(レガシィランカスター)としては、おそらく新記録だ。
この当時乗っていたのはこのクルマ、レガシィランカスター
前に来たことがあるはずなのに、周囲がすっかり暗いせいで、テン場の位置関係がはっきりせず、探すのに苦労した。長浜から琵琶湖沿岸に北へ伸びる「さざなみ街道」が、片側1車線に狭まってから左手に現れる、湖畔の駐車場だった。
テントを張ってから、駐車場の最奥に停めた車の前に椅子を出し、缶ビールを開けた。駐車場には何台か車が入っては出ていく。きっと、外にいる先客の我々を嫌って他へ回るのだろう。幸いに、その後は静かになった。
星はかなりたくさん見える。昼間の暑さが嘘のよう、気温は下がって23℃ほどになった。テントのベンチレーターを全開にしたままだと肌寒いくらい。
2012夏 山陰の旅第2弾 その2につづく