2008山陰20 お菓子の壽城 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2008山陰20

お菓子の壽城

 

8/17(日)②
 美保関の灯台へは車で行ってみた。海と灯台は実に素晴らしい景観、特にここの灯台は優美に見えた。

 

                   美保が関灯台を遠望


 「沖之御前地之御前」と額のかかる鳥居の写真が残っているが、美保で風待ちをした後醍醐帝の流された壱岐を遙拝するポイント、ということだろうか。

 

                    沖之御前地之御前


 灯台の傍らに「ビュッフェ」というカフェ兼食堂があったが、灯台とまるで一緒の外壁、かつて灯台とともに建設された建物と思われる。刺身定食などというメニューまであるものだから、どんな様子だろうかと中を覗いてみたりした。章子はといえば、珍しく、しきりとお腹がすいたと訴えはじめた。

 

※沖之御前地之御前 
   美保之碕の由来
 島根半島の最東端に位置にするこの岬は、古くから「美保之碕(みほのさき)」と呼ばれています。
 出雲国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
 この鳥居の中央約四キロ先の海上に浮かぶ島を「沖之御前(おきのごぜん)」、眼下に横たわる島を「地之御前(ぢのごぜん)」といい、共に事代主神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年五月五日には美保神社で事代主神とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎(かみむかえ)神事が続けられています。
 夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出を拝むことができます。
 沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。又、この島の海底には常に神楽のような響きがあり神異奇瑞の島として今に伝えられています。
 この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和四十八年十二月設置したものです。


  以上、「美保之碕の由来」説明板より全文引用
  https://ameblo.jp/sanin-department-store/entry-11742370847.html


 境港に戻って、和食の看板を出す「さかゑや」に入る。「海鮮丼」と「さかゑや御膳」を注文、店主は、原材料の高騰をしきりと言い訳にしている。何にも知らなきゃ分からないところが、聞かされてみると、なるほどイマイチの内容と感じてしまう。正直なのがいいとばかりは限らないようだ。

 

                      さかゑやにて


 おそらく、ガイドブックを参考にこのあたりを巡ったのだと思う。「アジア博物館・井上靖記念館」は、規模の大きな施設だが、ここは失敗だった。開館当初は、きっと華々しく披露されたのだろうが、入館者が思うように集まらず寂れていった、という感じがありありと現れていた。この時持参したのが2004年の「るるぶ」だったが、入館料は¥1500と書かれている。しかし、4年を経た今は、およそ半額の¥800。どこかの時点で値下げを余儀なくされたのだろう。

 

                 アジア博物館・井上靖記念館 入り口


 展示は、山陰がかつて大陸との貿易拠点だったことを示すべく、日本を含むアジア諸地域の民俗を網羅しようとした意図は分かるが、展示物の質はともかくとして、面白くない。今時、映像シアターに代表される、少なくとも何か動的な展示が欲しい。観客の側が理解しようという気を持って向かわなくても、なんとなく分かった、という気にさせる仕掛けがなければ人は呼べない。そのようなサービス精神がまるで感じられないのと、中にあるカフェや食堂のたぐいが全て閉じている現状に、終末に向かう気配が濃厚に漂っていた。

 

 施設の手入れがおろそかになるのも当然の成り行きと見え、展示物は総じて埃っぽい感じがしたし、池の鯉は珍しく黒いものばかりな上、心なしか痩せていた。そんなわけで、井上靖記念館も書斎が再現されていた以外、すでにほとんど思い出せることはない。


 そのリベンジというのはおかしいが、再び米子の「お菓子の壽城」へ。そろそろ帰路を考え、東に向かおう、という意図もある。ここは大型バスも数台来ているほどの大混雑。乗用車の出入りも次から次へとひっきりなしだ。


 試食が充実しているのが人気を保つ最大のポイント。我々もいくつかいただいて、何かと世話になった宇都宮のおばさんにお土産を物色した。おばさんの名が「城★★壽★」なものだから、「壽城」はぴったり、と思ったこともある。  

 

                    お菓子の壽城にて


 二階の喫茶で一休み。コーヒーを飲みつつ、遅れがちな日記をつけていると、ライブ演奏が始まった。アコーディオン・ギター・ベースのトリオで何曲かやった後、女性ボーカルが加わる。何も知らなかっただけに、幸運に巡り会った、という感じ。おかげでさっきまで空いていた座席がすっかり埋まる大盛況。


 演奏を聴きつつ、さて、残すはあと一日、どこを通って帰るかを考えはじめた。とりあえず、今晩は一度確認しに行ってみた、太平山公園の「ライオンズの泉」にテン場を取ろうという意見の一致を見た。風呂はすぐ下に「はわい温泉」がある。調べてみると国民宿舎があるのは東郷温泉、「水明荘」という宿だ。はわい温泉とは東郷湖を隔てた対岸である。


 旅先で風呂、というと、すぐに銭湯が見つかるような場合、その必要はないが、まず国民宿舎、あるいはかんぽの宿を調べる、というのが我が家のルーティーン。そこそこ快適で料金も手頃、という線を狙う。場合によっては三朝温泉の時のように、共同浴場のような、余計なものが一切ないところへも好んで行く。

 

                 夕暮れ、というにはまだ早いか?


 水明荘の風呂から見る夕陽が美しかった。やっぱり、日本海は夕暮れがいい。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す云々」というのは遣隋使の文書だが、これを読んだ隋の煬帝は激怒したという。なるほど、海の向こうは日の没するところ、に違いはないのだが、煬帝が怒ったのは、そこにではなく、この天下に「天子」は朕一人あるのみ、たかだか辺境の蛮族の頭目風情が、天子を名乗るとは何事だ、というところだったと聞く。余計なことだが。 


 太平山の公園は、よく手入れされ、ゴミもない。心配された虫も不思議に少なく快適、満月の美しい夜だった。

 


                   太平山公園のテン場にて

 


 

2008山陰21につづく