2008山陰19 佛谷寺 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2008山陰19

佛谷寺

 

8/17(日)①
 幸い、朝には雨もすっかり上がり、昨日と同じ宍道湖畔へ。そろそろ帰路を考慮に入れる必要があるが、とりあえず午前の計画としては宍道湖-中海の南岸を東進、安来にある清水寺に参拝、そこから境港を抜けて美保関へ、と決めた。

 

                    宍道湖畔で朝食を


 清水寺は、山の中腹に展開する大きな境内を持つお寺。山陰唯一という三重の塔を擁す。
山岳修験の雰囲気もあり、苔むした石垣や鬱蒼とした周囲の山林と相俟って、素晴らしい名刹。

 

                 山陰唯一の三重塔を擁する清水寺

 

 「厄除け観音 南無十一面観世音菩薩」「厄除けの寺」の幟が立ち並ぶ。まだ8時だが参拝客の姿もちらほらとある。すぐに考えてしまうのは、こんな寺が京都、あるいは鎌倉にあったなら、というようなことだ。


 章子は、ずっと体調の優れない友達のことを思い出し、厄除けのお札を受けていく気になったらしい。


 米子を抜け、美保関への途中、米子空港を通り過ぎた。章子が2ヶ月ほど前、大山まで友人の喜多村さんと一緒に来た時には、この空港で乗降したのだそうだ。メモに「なつかしい」と書かれていた。

 

                      美保神社


 美保神社は、もう、絵に描いたように立派なお社。祭神は事代主だったと憶えがあるが、してみると、出雲とは親子の関係になる。社殿の太いしめ縄は出雲大社との関連を示すようでもある。もう一柱祀られていることが社殿の造りから分かる。立地からすると、海上安全を祈る神社に間違いはなさそうだが…?章子はここで、家内安全、商売繁盛の福種銭を受けていた。メモには「お守りが気になるのは歳とったせいかな」と書いてあった。確かに、もう50の大台は目の前だ。

 

                     青石畳の道


 石畳の路地が続いている。「美保関 青石畳通り」と幟が出ているから、観光地としてここをアピールする狙いがあるのだろう。これを歩いていくと佛谷寺に出会う。境内にあったのが八百屋お七の相手、「吉三」の墓だ。そもそも、「お七」自体が実在の人物かどうかも分からない、というのが世間の通り相場、まして事件の舞台は江戸だ。え、どうしてこんなところに、と佇んでいると、後ろから声を掛けられた。

 

              佛谷寺ボランティアガイドのおばさんと遭遇


 歩み寄ってきたおばさんは、我々より7つ8つくらい上の年格好、この近くに住んでいるというが、ボランティアガイドをはじめた、という。吉三は八百屋お七が処刑されたのち、菩提を弔うために出家、諸国行脚し、この地で亡くなったというのだ。そのほか、佛谷寺に伝わる仏像は大日堂に納められ、平安仏が5体、拝観\300というので案内してもらう。堂に入れてもらうと、ずらりと5体、中央の座像を中心に、両脇2体ずつが立像だ。なるほど、重要文化財に指定されているというだけあって、5体とも素晴らしい。

 

                  佛谷寺の仏像(butsuzo.jpより転載)

 

 平安仏といわれれば、なるほど、と頷ける。「左から二番目の虚空藏菩薩が、腰を捻り、写実的」とメモに残る。おばさんはいろいろと勉強中のようだが、まあ、実によくしゃべる。結局、小一時間、八百屋お七の物語や、この寺は行基の開山、のちに後醍醐帝が隠岐に流されたときの行在所になったなど、こちらも勉強させてもらった。


 

※後に調べたものでは、仏像に関してこのページが詳しい。上掲の写真もここから拝借したが、このサイトの写真は、作品として通用するほどの素晴らしいものばかり。

 

 

 
 

 

2008 山陰への旅第一弾 その20につづく