2001年東北の旅4遠野
さて、遠野といえば柳田國男「遠野物語」。遠野市の博物館では紙芝居風に物語を見せたり、たくさんの物語を選んで聞くことのできる施設があって楽しめる。これはどこかで聞いたことがあるな、と思わせるものも少なくないが、それもそのはず、遠野に伝わる物語は、この地にやってきた旅の行商人たちがそれぞれの土地に伝わる物語を持ち込んだものが原型になっているという。遠野はかつて、交通の要衝として栄えた街なのだ。
これがその博物館と思う
わかりづらくない程度の東北訛がまたいい。余計な話になるが、本物の東北弁(といっても様々あるのだろうが)となると、これはもう異国の言語に近い。
昔、遠野から笛吹峠を越え、鵜住居川の流域に釣りに入ったときのこと、山中で山仕事のおじさんに声を掛けられたことがある。
釣れたか?と聞かれてるんだか、どこから来た?と問われてるのか、そんなところに車を止めるな、と怒られているのかさえもサッパリわがんねェ。何度も聞き直すのもちょっとはばかられ、曖昧な笑顔といい加減な返事でごまかしてしまったが、今、同じようにしゃべられたとしても、きっと同様の対応をするより他ないのじゃなかろうか。
博物館の目と鼻の先にある「とおの昔話村」では、昔話をライブで聞かせてくれる。語り部のおばあちゃんは、話をはじめる前に観客に向かって、名古屋より西から来た人はいないか?と確かめていた。おばあちゃんは、関西の人には、言葉をよりやさしく?しないと分からないから、と言っていた。そんなものなのだろうか。
「とおの昔話村」は、今はリニューアルされ、「とおの物語の館」となっている
「昔あったずもな」で始まり、「どんとはれ」で終わる物語を一つ語り終えたあと、今度はリクエストに応えてくれるという。
「何か聞きたいことさあれば話しすっから。」
そこですかさず手を挙げたのは僕だった。「笛吹峠」の呼び名の由来にまつわる話はないかというと、さすがは語り部、こちらを向いて大きくうなずくと、やおら正面に向きなおり、「昔あったずもな…」と語ってくれた。
その語るところによればこうだ。
ある雪のひどい日の暮れ方、目の不自由な旅人がその晩の宿を求めて峠のふもとの家の戸をたたいたが断られ、しようがなしに吹雪の中の峠越えを決意する。しかし、峠は難所、とうとう足を踏み外し、崖下に転落してしまう。旅人は目が不自由なためにどうすることもできず、助けを求める笛を一晩中吹き鳴らしたはてに、とうとう息絶えてしまったのだった。のちにこの峠越えにさしかかった人の耳に、どこからともなくその時の笛の音が聞こえてくるといい、これより人々はこの峠を笛吹峠、と呼ぶようになった。
僕が知っているだけでも、「笛吹」の名を持つ峠はいくつか挙げることができるが、そのどれにもこんな伝説がついてまわるのだろうか。あるいはインターネットででも検索すればそんなことはたちどころに分かるのかもしれないが、ジンと胸にしみいるような思いは、やはり人が語ってこそ生まれるものだと思う。
そんな体験が出来るここは、だからオススメのスポットと言っておこう。
2001年東北の旅 その5につづく