2001年東北の旅 その2
気仙沼の漁港は朝が遅く、気合いを入れて五時に起きたのがあだになった。仕方がないので近くを散策したあげく、朝のラジオ体操に加わってみる。参加者の大半は年寄りと子供。僕らの世代はすっぽり抜けている感じだ。神社にお参りしたり、釣り人の魚籠を覗いたりしながら、頃合を見計らって市場に入って行く。
気仙沼漁港近くの海岸。まさにリアス式
市場内にはカジキマグロがずらり。これは圧巻だ。テレビの撮影クルーが来ているので近寄ってみると、あ、あれだ、ズームイン。ところがいつものブラウン管を通してみる映像とはずいぶん違って、いたって素っ気なく、淡々と仕事をこなしているという印象。当たり前だが、これが現場というものだろう。
どういうわけか残っていたのは白黒の写真
かつて一度、気仙沼に立ち寄ったことがある、と書いたが、その時に買ったのがサメの心臓。気仙沼は遠洋漁業の基地、サメの水揚げも多いという。有名なのはフカヒレだが、心臓を食べたことのある人はそう多くないだろう。モノがモノだけに血だらけで気味が悪いが、なあに、食べてみれば全くクセのないレバーといった印象。章子は、むしろ物足りないと文句を言ったくらいだ。
気仙沼からは三陸海岸沿いを北上する。唐桑半島ではビジターセンターの津波体験館へ。この辺り一帯は、かつて津波で大きな被害を受けたというが、3Dの体験シアターが珍しくなくなった現在としては、この施設はいささか古く、若干インパクトが足りない感じはある。それでも、それなりに楽しめる施設ではあるので、興味があれば寄ってみるのもいいかも知れない。
調べてビックリ!津波体験館、営業してる
あちこち寄り道をしながら北上を続ける。碁石海岸の看板にひかれて広田半島へ。しかし来てみれば、何てことない、ただの海岸に見えた。浜辺の石が碁石のように白黒だからこの名がある、ということだが。
さて、三陸といえばリアス式海岸。でも「リアス式」って何だ?「サクマ式」といえばドロップだが、ともかくここは、うまいものが獲れるところ、と僕の脳にはインプットされている。道路沿いにはところどころ、ホタテだのウニだのと看板を出している店があるが、そのうちの一軒に寄ってみた。店にはイケスがあり、中にはホヤが生きたまま入っている。
僕はホヤ、大好きです。昔、釜石の北、鵜住居というところに、中学校の教員をしていた友人がいた。元はといえばこの人の奥さんが僕の古い友達なのだが、「いた」と書いたのは、彼はもうこの世にはいないからなのだ。ここで詳しく書くのは控えるがこの人、ホヤが大好物だった。半分に割ったホヤをつまんで上を向いて口に入れ、ぺろりと食べちゃう。うまそうに。はじめはなんだか苦くて癖があるように感じたけれど、慣れてしまえばそのほろ苦さがそれこそ逆にクセになっちゃう。この人に勧められて僕は食べるようになったが、章子は、私、これは苦手なんだという。もう十二年も一緒に暮らしている我が連れ合い、味の好みからいってこの人がホヤを嫌いなはずがない、とふんで半ば強引にふたりで食べることにした。
だいたい、関東あたりまで来るようなホヤで本当の味がわかる訳ないんです。僕だって近所の居酒屋でホヤ酢なんていうのを注文して失敗した経験もあるし。
で、この店、ここでホヤ食べたいといえば、おねえさんがその場で割ってイケスの水でチャッと洗い、ハイどうぞ、と出してくれる。これをペロリといくわけだからまずかろうはずがない。
思ったとおり、章子もこれはおいしいという。何というか、甘さがいつまでも口の中に漂っているという感じ。引き合いに出すのも変だが、昔旅行した台湾でいいお茶を飲ませてもらったときがこれと似ている。あの「甘み」の正体はいったい何なのだろう。
値段を聞いてまたびっくり。一個五十円。こんなので商売になるのだろうか。こっちはありがたいけれど。
すっかりホヤ好きになった章子
更に北上を続けると大きな街に入る。釜石だ。釜石といえば、鉄の街だが、ご存じ新日鐵が炉の火を落としてもうずいぶんになる。ここには僕個人はなじみが深い。
先ほど鵜住居にいたという友人のことを書いたが、かつてこの友人の手ほどきで釜石周辺の渓流に釣りに入って以来、もう何度となくこの地を訪れているからだ。特にゴールデンウィークには毎年決まって、と言っていいほどこのあたりの川へいつもの仲間と釣りに来る。
何も埼玉から、わざわざそんな遠くへ行かなくたって、と思う人はずいぶんいることだろう。我々だってそう思わなくもないのだが、いかんせん、首都圏近郊の川には人が多い。渓流の釣りは、殊に小さい川ほどそうだが、先に人に入られてしまうと、まずいけない。ヤマメやイワナといった魚は警戒心が強く、人影や物音に驚いて岩陰に隠れてしまうと、もう容易にはエサに食いついてくれなくなる。また、五月の上旬では、内陸部や日本海側の河川であれば、まだ雪解け水による増水で、釣りにならないところが多い。その点では、太平洋沿岸なら雪もそう多くはなく、そんな心配はほとんどいらない。
というわけで、遠いところと知りながらも、ついついこのあたりまで来てしまう、ということになる。
少し横道にそれた。というわけで、かれこれ何十回となくこの地をふんでいる僕なのだが、目的はいつも釣りだ。この街のことなど何ほども知りはしない。つまり、それが「旅」とそうでないものの間に横たわる相違点だ。釣り人にとっては街などただの通過点。一方、旅とはすなわち「過程」なのだ。旅人にとっては設定した目的地はそれ自体が目的なのではなく、過程をこそ楽しむための、いわば手段と言ってもいい。
2001年東北の旅 その3につづく