2001年東北の旅1 一関 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2001年東北の旅 その1

 

章子がアルバムに貼り込んだ旅の行程

 

 ヒートアイランドの熱気がこもる首都圏を抜け出して東北道をひた走る。いつしか3車線あった道は狭まり、ようやく陽は西に連なる山々の陰に。


 東北道の夜は暗い。蔵王を過ぎ、村田、仙台に至る山間部はアップダウンを交えたワインディングロード、もう何十回となく往復しているところだが、いつも緊張を強いられる。しかし、仙台を抜け、こけしで有名な鳴子温泉のある古川、そして築館と連なるあたりには広々とした平野が広がっている。暗いのは一緒でも、走り易さには大きな違いがあるものだ。いよいよ宮城県が尽き、岩手に入ると、初めてのインターチェンジが一関である。


 今回の僕らの旅はこの街から始まるはずだった。


 インターを降りるとすぐに幹線道路。片側二車線ある車道の両サイドに大型店舗が立ち並ぶのは見慣れた光景だが、そうした大型店に客を奪われ、活気を失ってしまった街をいくつも見ているだけに今度はどうだろうかとちょっと複雑な気持ちになる。
 一関インターを降りたとき、すでに時計の針は8時を回っていた。この時間ではもう街歩きはかなうまい。


 僕らの愛車、レガシィツーリングワゴンの荷台にはフル装備のキャンプ道具に加え、2台の自転車を積んでいる。自転車は街歩きに威力を発揮する、強力な道具である。

 

レガシィツーリングワゴン。当時乗っていたのはこの型の車だ


 しかし今回は、ただ一軒の店に立ち寄るためだけにこの一関を目指したのだ。


 「ベイシー」である。アメリカの偉大なジャズマン、カウント・ベイシーの名を冠したこのジャズ喫茶にはいつか寄ってみたいと思っていた。日本一(本当かどうかは知らないが)いい音でジャズを聴けるという、その世界で勇名をはせる名店である。

 

ベイシー前にて。この旅の終わり、再び寄った時の写真だ

 

 

 しかしなぜこの店を旅の出発点と定めたか。ジャズだのオーディオだのと話しはじめればきりがないが、次々と閉店を余儀なくされた往年のジャズ喫茶の数々を思うとき、「ベイシー」のように都心から遠く隔たった一関などという片田舎(失礼!)にそれこそ全国から客を呼べる店が存在すること自体、一つの奇跡であるかのように僕には感じられたからだ。


 さて、「ベイシー」である。レンガの外壁が渋い。大通りから一つ路地を入ったロケーションもいい。しかし、である。この店の定休日が水曜日であることを、僕はドアに手を掛け、目の前に書かれた「定休日」の文字を認めるに及んで、初めて知った。本日、8月8日はベイシーの休業日なのだ。

 

ベイシーを題材とした映画も制作されている


  何たる不覚、何たる誤算。あー、でもあるんだ、こういう事。俺ってどうしてこう間抜けなんだろう。のっけからこんな事になってしまい、気持ちの整理がつかなくなってしまった。
 「帰りにでもまた寄ればいいじゃない。」
といってくれたのはいつもの旅の道連れ、つれあいの章子だった。まあ、そうだよな。この一言でやや救われた僕ではあった。


 こうして、とにもかくにも今回の東北旅行は始まった。全行程は十泊以内、岩手、秋田を中心とする北部東北エリアをめぐろうという程度のおおざっぱな計画。ワゴン車にキャンプ道具という装備で想像がつくだろうが、いたって気ままな旅である。


 さて、ベイシーにふられてしまった以上、この一関に執着する理由はない。東へ向かえば太平洋、気仙沼へ出ることができる。気仙沼といえば演歌にもうたわれた港町、以前一度立ち寄ったことはあるが、朝の市場の活気に触れるのも悪くはない、と考えがまとまった。ならば今のうちに近くまで行くのが有利、一応は物色しておいた泊まり場である河川敷の駐車場を捨て、一路気仙沼へと針路をとる。

 

 道中、やや丘陵地帯を通る程度で、暗いことを割引けば、まずまず快適な道のりだ。途中、千厩(せんまや)という名の町を抜ける。何かいわれがありそうで興味を引かれるが、またいずれ、と通り過ぎる。一時間あまりで気仙沼市に入った。再び宮城県である。県境を越えるとまもなく橋にかかる。


 橋があるなら下は川、これは世間の常識である。テン場は河原、これがここ何年かの実践で得た旅の極意だ。早速川づたいに泊まり場を探すことにする。すぐに、どうやら砕石工場のトラックが出入りするとおぼしき広い台地に出た。この台地の端ならば車を止め、テントを張るのに十分な場所が確保できそう。念のため少し川の上流まで探ったが他に適当な場所が見つからず、泊まり場をここと定め、テントを張ってまずは一杯。一関のスーパーで仕入れた甘口の日本酒だが、微発泡酒といった感じのさわやかなもの。この手の酒は最近になってよく見かけるようになった。何年か前に、それとは知らず一ノ蔵の「ひめぜん」を飲んだときには驚いたものだったが、これが本当に米からできるものなのかと、半ば信じられぬ思い。


 眼下に流れているはずの川からは瀬音が聞こえるだけだが、こんな風に酒が飲めればハズレの一日であっても、もうどうでもいい。終わりよければすべて良し、とはよく言ったものだ。


 真夜中、ガラガラという大きな音で目を覚まされた。台地の対岸にある砕石工場のベルトコンベアーが突然動き始めたのだ。時はといえば丑三つ時、あれはいったい何だったんだろう。章子はその時、「砕石工場殺人事件」じゃないかと思ったという。そりゃ、その手の本の読み過ぎだ。松本清張にそんなストーリーのがあったっけ。だけど待てよ、ひょっとすると…と思わせる薄気味の悪さ。こりゃ眠れないなと思いはじめたが、しばらくすると音はやみ、元の瀬音の静寂に戻ってほっとした。

 

 

2001年東北の旅 その2につづく