2012山陰24 浜田の観光スポット | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

 

8/15(水)①
 狭い部屋とはいえ、ベッドの方が安眠できるのは間違いなく、8時近くまでぐずぐずしていた。テレビをつけると、目に飛び込んできたのは京都で発生した洪水の被害状況。秋雨前線に向かって、南から湿った空気が流れ込んだ影響が続いているというから、山陽方面の山間部にはちょっと近寄れない。


 出がけにフロントで氷をもらう。ビニール袋を出し、なるべくたくさん欲しいといったら、本当に口までいっぱいにしてくれた。ありがたい限り。


 益田方面へ9号を更に西へ向かうが、浜田の観光案内地図にある、「秀忠の墓」が気になって、そのあたりに行ってみた。よく分からぬままに進むと、瀬戸ヶ島に架かる斜張橋を渡ってしまい、再び橋を渡り返す羽目になった。

 

斜張橋の浜田マリン大橋(浜田市観光協会公式サイトより転載)


 「秀忠」というからには徳川の二代将軍のことだろう。例えばの話、高野山の奥の院に墓がある、というなら、後世の誰かが分骨でもして墓を建てる、ということに不自然さはないが、おそらく縁もゆかりもないだろうこの地に墓、というのには何か訳がありそう、という興味が湧いたのだ。


 地元のおじさん二人が話し込んでいるところに、すみません、と割り込み、墓のことを聞いてみるが、どうも要領を得ない。そのあたりじゃないかという地点に行ってみると、あったのが「大歳神社」、社は石段を登った先にあるようだが、参道の右側にあたる崖が崩れそうで危険。連日報道される豪雨被害を聞くにつけ、こんなところが妙に気になってしまう。


 境内には、浜田出身という「島村抱月」の言葉が記してあった。この人と松井須磨子とのスキャンダルなら、オレでも聞いたことがある。これを簡単に要約すれば、「山陰、石見は世間から忘れられた土地、そこで自分は育った。しかし、忘れられたればこそ、純朴な人々のよいところが残っている。浜田はその中にあって活気のあるところ、これからの山陰地方には希望が満ちている」というところだろうか。最後のところにちょっと無理な感じが覗くが、それにしても明治の人がすでにこんなことを言っているのには驚く。なるほど、「山陰」という言葉に、ある種の暗さがつきまとうのは、確かに否定できないとは思う。そうではあるが、この季節に各地を巡ってみた限りでは、観光資源は満載、自然の景観は言うに及ばず、神話に始まり、文化や歴史、民俗的にも見るべきところはたくさんあって、想像以上に魅力のあるところ、と言っておきたい。これは、弁護しようという気持ちからではなく、正直な感想である。

 

島村抱月の言葉(浜田市観光協会公式サイトより転載)


 神社の脇には、「烈女お初の碑」が立っている。何代目だかの「尾上梅幸」の筆になる、ということだが、女中の仇討ちの物語、「お初」の本名は「松田察」、実話という。これを「鏡山事件」と呼ぶらしいが、歌舞伎の演目になっているということで、役者が石碑の揮毫をしたのだろう。

 

※鏡山事件

1724年4月に江戸の浜田藩邸で起こった、世に知られる『鏡山事件』の主人公です。
当時、浜田六代城主松平周防守康豊の奥方は津和野藩主亀井家から迎えられたが、その時名のある家系の侍の娘・落合沢野がお付け女中として遣わされた。そして奥の中老として岡本道女(みち)が召抱えられ、その道女の召使いとして武芸が出来、女丈夫である“お初” こと松田察(さつ)がいました。主人である道女によく仕え、姉妹のような関係でした。道女は才色兼備でしたが、その父は大和郡山の元藩士で、今は浪人中、また察(お初)の親は長府毛利家の足軽頭でした。
ある時、藩主が急用で道女を呼び出し、急いで駆けつけようとしたとき、間違えて沢野の草履をはいてしまったのです。沢野はひどく怒り、道女をひどく罵りました。家柄まで侮辱された道女はとうとう自害してしまい、それを知った察(お初)は、主人の仇を討つため、道女の短刀で沢野を刺し殺しました。その後、「主人の仇」と罪を免れ、浜田の地で晩年暮らし、71歳の命を遂げました。浄瑠璃『加賀見山旧錦絵』や、歌舞伎『鏡山旧錦絵』として描かれ、全国で有名なお話となっています。

(はまナビより転載)


 

 説明の看板に以上のような事件の概略が記してあったが、その末尾に、秀忠の碑が極楽寺境内にある旨の記述があった。これだ。

 

烈女お初の碑


 「極楽寺」は、ちょっと変わった姿の本堂、墓地に崩れそうな姿の、古い墓石があった。これが秀忠の墓の正体。浜田藩主の古田重恒が、秀忠より石見国5万5千石を頂いた、その恩を忘れぬために建てた、「拝み墓」だそうだ。

 

秀忠の拝み墓(浜田市観光協会公式サイトより転載)


 斜張橋を三度渡って、瀬戸ヶ島の「おさかなセンター」へ。なるほど、海産物が豊富で安い。アマダイといえば高級魚、これが¥1000、水槽で泳ぐ活ヒラメは¥1700、これなどよそでは手に入りにくいと思う。その割に寿司のパックが安くない。とはいえウニ5貫で¥1000。地物のウニなら高級ネタだろうから、それでも世間の相場からすればお買い得だろう。お腹が空いているときならよかったのだが。

 

おさかなセンターの生け簀


 

 

2012夏 山陰の旅第2弾 25につづく