2019トルコ共和国5 トロイ | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2019トルコ共和国3 

トロイ

 

10/26(土)①
 朝食のブッフェで、隣にいた東南アジアからの夫婦にザクロの片割れを頂いた。この人たちは食べ慣れているようで、おいしいから食べてみて、という感じで勧められたように記憶している。

 

                           コリンホテルのロビー


 この日、まずバスで向かったのはトロイの遺跡。ハインリッヒ・シュリーマンが生涯をかけて発掘した物語はどこかで読んだこともあって、実際に目の当たりに出来ると考えれば胸が躍った。バスでホテルから1時間ほどだったと思うが、もう遺跡は間もなく、というところで道が細くなり、前に停車した観光バスを追い抜くことが出来ない状態が15分くらい続いただろうか。道端に土産物を売る店があり、前のバスから降りた数人の客が何やら物色しているようだ。皆さん鷹揚で、特に文句も言わないでいるが、日本でなら考えられない現象。


 車中では、シュリーマンが発掘を思い立った原点であるホメーロスの叙事詩、イリアスに語られた内容をアルペルさんがレクチャーしてくれた。半ば神話の形で伝えられたものと理解してはいたけれど、あまりに人間くさい物語で、どことなく実際にあったことが伝えられているのかも知れない、と考えても無理からぬこととはいえそうだ。

 

                             引率・解説のアルペルさん


 あらかじめ配られていたイヤホンガイドの装置を付け、遺跡の中をガイドのアルペルさんについて歩いて行く。発掘された石造の遺跡は初めての目には凄いものに映る。ずうっと続いている石畳の道を歩いて行くと、石の城壁や建造物がそこここにあり、都市を形成していたことが段々分かってくる。アルペルさんの解説は的確なうえ、知識が豊富なのに驚く。遺跡から遠望すると、海岸は遙か遠くに退き、すでにその距離は2キロほどというが、近くを流れていた河川の氾濫による堆積で、そのようになってしまったらしい。当然、遺跡自体が地中に埋もれた原因もそれだ。

 

                           海は遙か遠くに退いている

 

 かつては港湾に位置していた、商業の盛んな都市だったところが、海岸が遠く離れるにつれ、その利用価値がなくなり、荒廃していった、という。今夏、日本各地を襲った台風が河川の氾濫を招き、浸水した後に相当量の泥土が堆積したのを目の当たりにしていたせいで、あれが何十回、何百回となく繰り返されたときに、都市さえも埋もれてしまうことが、実感として想像できるようになっていた。


 シュリーマンは半ば英雄のように語られているが、実は埋もれた財宝を狙って発掘に情熱を燃やしたわけで、さほど褒められたものでもない、という意味のことを、アルペルさんは口にしていた。


 都市遺跡は実に9層に及び、港湾都市としてこのあたりが長く利用されてきたことが分かった。古代ローマ時代の都市には必ず円形の劇場が造られ、当時の市民の10分の1が収容できるように設計されていたことから、ここは人口が6000人前後の、比較的小さな都市国家だったことが分かるという。なるほど、比較的小規模な円形劇場が、半分ほど壊れた状態で残されていた。

 

                           600人収容の円形劇場


 しかし、自分が目の当たりにしているのがどの層の遺跡なのか、ということはほとんど意識できなかった。よほど詳細に解説してくれないと、というよりはこちらが予備知識として相当に学習していない限り、それを理解することは困難だろう。


 初めての我々にしてみれば、イメージにあるギリシャの石造遺跡のような凄いもの、という風に目に映ったが、アルペルさんは、盛んにここで写真を撮る観光客の皆さんも、次のエフェソスに行くなり、こっちのことなどすっかり意識に上らなくなる、という意味のことを言っていた。保存状態と規模が格段に違うらしい。

 

                          トロイの木馬前でハイ、チーズ!


 遺跡の入り口に立つ巨大な木馬は、窓が開いていて中に入れることから分かるように、全くの観光目的のようだ。この木馬に上り、さんざん写真を撮ったが、映画「トロイ」で撮影に使われた木馬は、チャナッカレの市内に据えられているという。見にいく時間がなかったのだから仕方がないが、後に映画が製作されていることを思うと、文字資料が残され、遺跡に意味が付け加えられていることの重要さを思わされた。日本の縄文~古墳時代に全く文字資料がないことは、返す返すも残念である。

 

 次の目的地、エフェソス遺跡までは3時間ほどの行程。途中で休憩に寄ったのがオリーブオイルや、それを使った石鹸などが豊富に並べられている、ちょっとお洒落な店。車内でアルペルさんが、いかに良質なオリーブオイルがトルコで生産されているか、そしてそれが美容に大変いいことなどを力説していたためか、結構な勢いで購入する人達が多いようだった。我々は、その時話に出た「塩ヨーグルト」を一本飲んでみたが、これはこれでイケると思った。

 

                                                               オシャレなお店

 


                         塩ヨーグルトはまあまあいける

 それほどアップダウンの激しい行程ではなかったが、一カ所、峠越えがあった。現在、トンネル工事が進行中で道の左手に2本、トンネルが掘られている様を確認できたが、峠を越えると眼下に見えてきたのがエーゲ海だ。白い壁と黄土色の屋根の家々が見える一帯は別荘地ということだったが、背後に紺碧の海が広がり、なるほどこれが噂に聞くエーゲ海か、という感慨はあった。

 

                                                          工事中のトンネル

 

          峠を越えたらエーゲ海!見渡せる限り、生えている木はオリーブ


 標高400メートル以下にはオリーブが生えている、という解説だが、なんと、峠を越えて下っていくと、目に入る木という木が全てオリーブなのだ。何人かで収穫中の姿も見えたが、これは凄い。日本では小豆島で作っている、という話を聞くが、そんなもの、といっては失礼なのは重々承知しているが、ここに比べたら物の数ではない。たとえばの話、奥武蔵を走っていて、目に入る杉の木が全てオリーブ、というほどの光景が延々と続くのだから。道の端には小屋がけでオリーブを売る店がいくつも見えた。

 

 

2019トルコ共和国6につづく