フェイジョアの苗って需要ないんですかね(´・ω・`) | ゆたか農園のブログ

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新規就農した夫婦のブログです。「ゆたか」は妻、夫、息子の名前の頭文字を1文字ずつ取って名付けました。「ゆたか」にはrich、wealthy、fertileといった意味だけでなく、家族3人で力を合わせて頑張ろうという想いが込められています。

毎年、春と秋に購入履歴のある種苗会社からカタログが届きます。かつてはフェイジョアの苗も豊富に掲載されており、たまにある新品種の発売を楽しみにしていました。ところが、近年はフェイジョアの苗自体がまったく載っていないカタログもあり、フェイジョアを栽培する農家としては寂しい限りです。フェイジョアの苗木ってそんなに需要がないんですかね。それとも逆に人気があり過ぎて生産が需要に追い付いていないのでしょうか。後者だと良いのですが。

 

どの種苗会社も新品種を発売してくれないのならと、昨年の「Nazemetz(ナザメッツ)」に続き、また苗を取り寄せてみました。今回は「Duffy(ダフィー)」と「David(デイビッド)」です。Duffyはオーストラリアで品種改良された大果品種で、最大で200gになるとのことです。Davidはあまり情報がなくてよく分かりません。国内で「ダビデ」という名前で流通していた品種と同一かどうかも分かりません。この2品種の苗は各1本しかなく、まだまだ小さいです。収穫よりまずは苗の増殖を優先させたいので、収穫できるようになるまで相当な時間がかかりそうです。 

ところで「A-2野郎」氏のブログによると、フェイジョアの品種の違いについて調べるために福岡県の農業試験場に3品種(アポロ、プリティーグリーン、実生苗)のDNA検査を依頼した人がいて、その結果、すべてDNAが同じだったと言います(下記2019年8月23日の氏のブログ参照)。にわかには信じられないような話ですが、私たちにしてみれば、それは「当然の結果」とも考えられます。 

A-2野郎氏のブログ

https://tabelog.com/rvwr/1104003000mh/diarylst/

2019年8月23日の記事

https://tabelog.com/rvwr/1104003000mh/diarydtl/164641/
私たちはA-2野郎氏のような文才に恵まれていませんし、氏が書かれる晦渋な文章は私たち程度のリテラシーではよく理解できませんが、おそらく上記のようなことが書かれているのだと思います。また、氏のブログには「私が親しいお付き合いをさせて頂いております愛知県西尾市のゆたか農園」や「親しい農家の友人」といった記載があります。「親しい」の基準は人それぞれで、私たちも「親しい」と思っていたかはさておき、過去に氏が私たちの「知人」の一人であったのは事実です。しかし現在、私たちは氏と一切関係ありません。



はじめに、私はかつての専門が国際関係論と、完全な文系人間ですので生物学や植物学について詳しくないことをお断りしておきます。その上でA-2野郎氏の「フェイジョアのDNAは同じ」という主張に対する反論を書かせていただきます。

氏が述べる品種間のDNAの同一性を確かめるにはDNAの「塩基配列」まで調べなくてはなりません。おそらく地方の農業試験場レベルではペプチドシークエンサーによる「アミノ酸配列」を調べるだけでしょうから、DNAの塩基配列まで明らかにすることはできないと思われます。品種間の違いまでが分かる塩基配列を調べることができ、裁判の証拠になるような数兆分の1という精度のDNA検査は、科学捜査研究所や大学などの高度な研究施設でなければまず不可能です。

敷衍するとつまり、地方の農業試験場で行える簡易なDNA検査では、例えばカンキツ類ならおおまかにレモンとライムを区別できる程度で、品種間のわずかな違いまでを調べることはできないはずです。いつ検査を行ったのか分かりませんが、ひと昔前では現在と比べてDNA検査の精度も低かったことでしょう。なので違う品種であっても検体の3本がすべてフェイジョアの苗でありさえすれば「DNAは同じ」という検査結果になることは十分に考えられます。


もちろん検査の報告書を見たわけではありませんし、すべて私の推論ですので、正確性に欠けているかと思います。しかし、簡易な検査でDNAが一致したから、畢竟フェイジョアの品種間に差異はないというのも暴論です。以上、私のアンチテーゼでした。山梨に住む修士(農学)のT君、読んでたら教えて!

私たちとしてはこれからフェイジョアの挿し木苗の販売も本格的に始めたいと考えており、氏の主張に対し反論を書きました。他にも生物学や植物学について詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご教授ください。



~追記~
後日、農学の修士号を持つT君から連絡があり、私の書いた内容に概ね間違いはないという見解をいただきました。

教科書に書いてある内容がすべて正しいと言うつもりはありません。しかし、A-2野郎氏の「3種のフェイジョアの木のDNAは全て同一であるといった、間違いのない結果が正式且つ正確に出ています」(2019年8月23日のブログより原文ママ)という主張が正しければ、生物学や植物学、生命科学、さらには医療などの根幹を揺るがす「超ド級」の大発見です。氏はご自身のブログでたびたび「学術」という言葉を使われます。私もかつては大学で教鞭を取っており(といっても一介の非常勤講師でしたが)、研究者の端くれのさらに片隅にいて薄禄を食んでいました。氏が「学術」の意味を理解していて、本当にフェイジョアのDNAが同じだと言うのでしたら、これは論文にまとめ、学会などで発表すべきエポックメイキングな内容です。2015年12月31日の投稿によると、氏は高校を卒業してすぐに就職したと書いていますし、ずっと自動車部品の工場で働いていると聞いていましたので、少なくともお仕事に関係ない生物学や植物学の研究履歴はないと思いますが、これだけの大発見なら学会は本気で査読してくれるはずですよ。

その一方で、氏の別の日のブログには「フェイジョアは大半の品種が1本の木だけでは実が成らず、異品種を2本以上植えて異なる品種の花粉を受粉させないと実が成りません」(2017年7月13日のブログより原文ママ)と書かれています。フェイジョアのDNAは同じだという自身の主張と完全に矛盾しています。これぞ自家撞着です。どの品種もDNAが同じなら花粉のDNAも同じはず。すなわち品種に関係なく、すべて自家受粉(自らの花粉で受粉すること)するはずです。

当然の疑問として、もしフェイジョアのDNAがすべて同じだとしたら、フェイジョアと同じフトモモ科の他の果樹もそうなのでしょうか。さらにはフトモモ科以外の果樹はどうなのでしょうか。無数の果樹がある中でフェイジョアだけが特異だというのでしょうか。 DNAが同じであれば、それはクローンです。クローンはまったく同じ性質の個体ですから、そもそも「品種」は存在しないことになってしまいます。広辞苑によると「品種」とは、「同一種の農作物や家畜の中で、その遺伝的な形態・性質が他と区別される一群」となっており、氏の主張が正しければ広辞苑の内容を書き換える必要が出てきます。しかし、氏のブログの写真でご覧いただけるように、几帳面な氏はまるで園芸店の苗売り場のようにすべての木に品種名を書いたラベルを付け、品種名がすぐに分かるようにしています。

https://tblg.k-img.com/diary/images/655/640x640_ec1a0602eed98ede5276496c9c4b7f65a4efa4887ee1635eb2d97c28a090aa8c.jpg

(氏のブログより)


氏はフェイジョアだけでなくリンゴやアンズなどの希少な品種も育てておられ、苗を盗まれやしないかと進言したことがあったのですが、独自のマイルールによるやり方や手順に強いこだわりをお持ちのようで、果樹ごとに専用の写真付きラベルをわざわざ製造業者から取り寄せ、飾り付けています。でもDNAが同じだというならフェイジョアの品種を区別する必要はまったくないはずです。「DNAは同じだけど品種は存在する」では筋が通りません。それとも数多くの品種や実生苗がある中で、検査した3品種だけが奇跡的に同じDNAだったとでも言うのでしょうか。これらの疑問点について氏の「学術」的な見解を伺ってみたいものです。


かつては、趣味とはいえ果樹栽培に熱心な氏と一緒に西尾市でフェイジョアを盛り上げたいと思っていました。氏からは挿し木用に貴重な品種の枝をいただいたことがありますし、私も当時は入手困難になっていた品種の苗を差し上げたりしていました。それまで近くにフェイジョア談義をする人など一切おらず、同じ市内で年齢も近いことからフェイジョア仲間ができたと嬉しかったのを覚えています。しかし、畑を借りたいと言う氏に近くの農地を斡旋するため、私の知人である地主さんに頭を下げて頼んであげたのに、仇で返すような言動をされ、私たちだけでなく地元の方も憤慨させてしまいました。かつてこの地域の町内会長を務めた隣の農家さんと境界線でトラブルになり(知らなかったとはいえ、原因は氏が自分の畑へ出入りするために無断で隣の敷地内を通行していたことでした)、それだけならまだしもその隣人を自身のブログで「身勝手に図太く認識している浅はかなクズ野郎」呼ばわりし、「上から目線にて偉そうな態度を取り続け」たという「この地主に対し敵意と殺意が沸いて来る様になり、(中略)初対面にて相当な敵意にて私に噛み付いてきた相手ですので私も敵と見なしており、今後、再び法的な物事には抵触しない何らかの個人感情でのケチをつけて来たら、それ相応の手荒な手段にて応じるつもりです」、「この様な上下関係に異常なまでに固執している性格の人間には『人の好き嫌いが物凄く激しい』という共通する特徴や傾向が見受けられ、上や親しいと見ている相手にはヘコヘコと頭を下げて敬語をフルに使って媚びを売り、逆に下と見なしている相手には乱雑極まりない接し方をするのが差別や意地悪とかではなく常識的で正しい考え方であると本心から思っており、更にこういうタイプの性格の人間は『下と見なして乱雑に接している側の相手が自分側に反論や猛反撃をしてくることは絶対に無い』と強く認識している特徴がある上に、一度でも下でに出て反論を全くしないと、どんどんと悪質な接し方がエスカレートしていく傾向が有ると私は考えています。この様な性格や傾向の、いじめの加害者側の体質が強く認められるタイプの人間は下と見なしている者からの冷静な話し合いや意見に耳を傾ける事は無く、この様な性格の相手には手荒な手段とは言え相手が本心から怯えて精神的に参ってしまう様な攻撃を加え、相手の脳内に恐怖心を植え付けるしか根本からの解決には発展しないものと私は深く思っているのです」(カギカッコ内は2020年2月12日の氏のブログより原文ママ)などと、氏いわく「人間の心理学のようなお話」をブログに書いて公開するような方との関係は、もう維持できないと判断せざるを得ませんでした。いくら氏と付き合いのあった私たちでも、これでは氏の肩を持つことはできません。氏には感謝していることもあっただけに残念ですが、私たちとしては人を見る目がなかったと反省するしかありません。

 

この日のブログは隣の農家さんに対する「口撃」にとどまらず、「田畑等にて農作業を新規で始めますと、特に田舎の田畑の場合、昔からその地に居る一部の者が文句や言い掛かりを付けて来る事は決して珍しい事では無い」、「田舎の特に高齢者は、何の実害や法的必須事項も無いのに腹を立てだす事が多々ありまして、(中略)言い掛かりを付けて来る上に、監視をする様に頻繁にこちらの動向を少し離れた場所からジロジロと見ている暇な奴が居て迷惑している」などと、次第にこの地域(?)に対する批判に発展していきました。誰も氏に頼んで畑を借りて貰った訳ではありません。気に入らないのならテレビの「ポツンと一軒家」のような人里離れた奥地を自分で探すしかないでしょう。氏の「心理学」のご講義は続き、「強烈な制裁を加え、二度と盾突けない様に今までに何度もこの様な人間を実際に成敗して来た」、「凄まじい制裁を加えた後は私の経験上、相当に恐れおののいて『わ、、悪かった、、、すまなかった、、、。』と言って腰を抜かし、それ以降、一切何も言って来なくなる&こちらの顔色を伺う様になる」(前掲ブログより原文ママ)とも書かれていました。くどいようですが、これらはすべて氏のブログより原文ママです。成敗して相手が恐れおののき腰を抜かすだなんて、いったい何様のつもりでしょうか。でも、ストーリーとしては完全に水戸黄門ですね(笑)。ただ、氏に畑を紹介した私たちとしては、この日の氏のブログは控えめに言っても不愉快極まりないものでした。私たちも畑をお借りしているヨソモノという立場ですし、地元ではすっかり有名人の氏と「同類」と思われ、嫌われたらこの地で農業を続けられなくなってしまいます。私たちが望むのは心穏やかに土を耕したい、ただそれだけです。西尾市平原町の名誉のために断っておきますが、どこにでもある普通の田舎です。私たちもヨソモノということで最初こそ警戒されましたが、今では周りの方から野菜などの差し入れをいただいたり、地主さんのほうから「よかったらウチの畑も貸してやるぞ」と言っていただけます。極度に閉鎖的だとか決して特殊な地域ではありません。もしそうなら、氏はとっくに追い出されていることでしょう。ただし、氏のようなお考えでいると地域に受け入れられるのも難しいでしょうがね。

 

同日の氏のブログには「私自身が農作業を行っていました時に隣の畑の地主が私の目の前にやって来て文句を言い出したのです」とあります。私たちも最初に畑を借りた時はそうでしたが、周りで農作業をしている地元の人がいればこちらから挨拶に行くものです。「隣の畑の地主が私の目の前にやって来て」とのことですから、これは私の想像ですが、隣の地主さんが農作業に来たのに氏は知らん顔して自分の畑で作業に没頭していたのではないでしょうか。短い付き合いでしたが、氏にはそういうところが見受けられました。その地主さんにしてみればすぐ隣の畑に突然知らない人が来て何か植え付けをしている。いくら隣の土地でも氏が植える木の種類によっては病害虫や日当たり、風通しといったことで自分の畑が影響を受ける可能性もあります。おまけに自分の敷地内を無断で通行されていたら、隣の地主さんが腹を立てるのは当然のことです。氏は「この隣の地主は私の感性や洞察力では本当の腹の内の真意は、その私有地通路を通行する事に腹を立てているのではなく、急に隣の耕作放棄地に私が頻繁にやって来る様になり、開墾や植樹を活発に始めた事に何か生理的に不快感を感じて文句を言って来たのだと感じたのです」などと「心理学」の続きを述べておられますが、そこまで「心理学」の分析ができているならばなおさらのこと隣の地主さんが来た時に、すぐに氏のほうから挨拶に行っていればおそらく隣の地主さんの印象は違っていたと思います。それとも私の考え方が古く、私も氏が言う「文句や言い掛かりを付けて来る」ような「その地に居る一部の者」なのでしょうかね。

 

私たちが地元の方から仄聞している話とは乖離していますが、それでも氏の最近のブログによると「地元の方々に非常に可愛がって頂いております」(2020年10月24日)だそうでして、それならば大変に結構なことですので、自分の思い通り好きなようにやりたければ、私たちの紹介ではなく、どうぞご自身の力や人脈で畑を借りてください。どこの農家も後継ぎがおらず畑の維持管理が難しくなってきています。「地元の方々に非常に可愛がって頂いております」なら好きなだけ借りられるはずですよ。隣の農家さんに対して次は「手荒な手段にて応じるつもり」だとか「精神的に参ってしまう様な攻撃を加え、相手の脳内に恐怖心を植え付ける」などとブログで"宣言"した氏ですから、まさかとは思いますが、次は何をしでかすか分かりません。そのため、もう私たちは氏と一切関係ないと事情を説明しに行った町内会長さん(当時)も、「可愛がっている?誰が?まぁ本人が可愛がられていると思っているなら、そういうことにしておこう」と大ウケのご様子でした。隣の農家さんや地域に対して辛辣なことを書いておきながら「地元の方々に非常に可愛がって頂いております」と思えるあたり、少なくとも私たちとはロジックが完全に違うようです。


もちろん氏には氏のお考えや主張があるでしょうが、私たちが氏の悪口を町内会長さんなどに吹聴して嫌がらせ行為をしていると被害者意識(被害者妄想?)をお持ちのようで(後述しますが氏は法律や権利関係にもお詳しいそうなので、それならばその法律の知識で私たちにお得意の「制裁」だとか「成敗」とやらをすればよろしいのではないでしょうか)、「お前なぁ~、チッ!」と舌打ちし、あちらの社会の人かと思えるほどの語気や言葉遣いで罵声を浴びせられたことがありました。「お前」呼ばわりされたのなんて、いつ以来だったでしょうか(笑)。チッチ、チッチと、どうやら頭に血が上ると舌打ちするクセがあるようで、話の内容よりもそちらのほうが気になってしまいました。でも、そもそも論として文句を言いたいのは私たちの方ですよ。巻き舌での喋り方や声の荒らげ方などはなかなか板に付いており、そのようにして何度も人を「制裁」や「成敗」してきた(つもり?)のでしょうか。ただ私たちの場合、氏が述べる「それ以降、一切何も言って来なくなる」はもう関わり合いたくないだけですし、「こちらの顔色を伺う様になる」は物珍しく眺めているだけですけどね。そして問い詰めた挙句、完全否定から一転して結局その謝罪はあったものの、氏からは大嘘をつかれたこともあり、猜疑心は強まるばかりです。隣の農家さんだけでなく私たちにも「敵意や殺意」を向けるのは氏の自由ですが、逆恨みで「強烈な制裁」や「凄まじい制裁」とやらの危害を加えられたら甚だ迷惑ですので、今回の問題の起因となった氏のブログをはじめ、氏と交わした会話の音声データ、他にも私たちが知ってしまった氏の”秘密”など、すでに削除されているものを含め、それらは証拠としてすべて保存してあります。善意で畑を紹介したつもりだったのですが、今となってはそれを後悔していますし、地主さんには大変なご迷惑をおかけしてしまったと本当に申し訳なく思っています。


後日談ですが、だんだんと私たちに対する「口撃」もエスカレートしてきましたので、私たちが知ったその”秘密”を氏に突きつけたところ、「(私たちがそこまで知っているとは)不気味な恐怖感を感じる」と言い返されてしまいました。状況的にマズイのは氏のほうだと思うのですが・・・。「不気味な」という言葉は氏のほうがお似合いなのでそのままお返しするとして、ブログで「相手の脳内に恐怖心を植え付けるしか根本からの解決には発展しない」と、意気揚々に持論を述べていたのは氏でした。それを書いた本人が「恐怖感を感じる」と言うなんて、自分で書いた「心理学」を忘れてしまったのでしょうか。何はともあれ「恐怖感を感じる」とのことですので、これで氏が考える「根本からの解決」に繋がりましたね(笑)。それにこれは氏のブログに書かれていた情報を元に検索した結果、偶然知ったことで、なにも四六時中、氏を監視していた訳ではありません。某オークションサイトで「権利者承諾済み」だと説明(正確には「この商品は私自身が数年前にコスプレのイベント会場に出掛けた際のグッズ販売所にて販売されていた物を購入し、(中略)各ワッペンが包装されていたビニール袋には権利者許諾済みのミニステッカーも貼られていました、購入した際に包装されていたビニール袋は処分してしまいました」)して売られていた某特撮ヒーロー番組のワッペンとまったく同じものが、その少し前の氏のブログでも写真付きで紹介されていました。ところが氏のブログでは、「私には昔からお付き合いのあります愛知県内に在りますオリジナルの刺繍パッチを製作して下さる個人経営のパッチ屋さんが知り合いにおられますので」(2020年8月16日)と、「私には~おられます」と自分に敬語を使っていたのは触れないでおくとして(笑)、パッチ屋さんに依頼してそのレプリカのワッペンを特注で3枚作ってもらったと書かれていました。氏は仮面ライダーなどの特撮ヒーロー作品やロボットアニメの大ファンだと公言しており、この分野に関しては大変お詳しくて膨大な知識を持っておられます。関連グッズの収集も趣味らしく、何万円もするリアルな「変身ベルト」を次々と買ってはご満悦の様子です(2018年4月17など)。ワッペンの出品者のIDは氏のメールアドレスの@マークより前の部分と同じでしたし、文末に句点(。)ではなくなぜか読点(、)を付けるなどの独特の文体も同じですので、出品者は氏だと思われるのに、「権利者承諾済み」というオークションの商品説明と、氏のお知り合いのパッチ屋に作ってもらったというブログの内容は完全に背反しています。氏ほどのマニアが「権利者許諾済みのミニステッカーも貼られていました」というビニール袋を処分するのは不自然ですし、出品のワッペンが過去に公式グッズとして販売されていた様子もありません。ブログの内容が事実で、自分で作ったレプリカを「権利者承諾済み」と偽って販売したのなら、これは明らかな欺罔行為で「軽いウソ」では済まされません。今は関係ないとはいえ、かつて付き合いのあった人です。せめてもの情けと捨てアドを作り、第三者としてオークションの「質問」からやんわりと指摘したのですが、ほどなくして削除されたのは出品ではなく氏のブログ記事のほうでした。慌てて証拠隠滅するかのようにブログ記事を削除するくらいなら、はじめから書かなければ良かったのに・・・。結局そのワッペン、「中々出て来ない希少な商品です」といったマニア心をくすぐる説明が効いたのか、2枚とも驚くほどの高値で落札されていました(残りの1枚が自分用ということですかね)。それからというもの氏が私たちを避けているのか、それとも単に畑に来る時間帯が違うだけなのか、はたまたお仕事やほかの趣味でお忙しいのか、氏の姿を見かけることはほとんどなくなりました。氏の前掲ブログには「攻撃的な手段を私に仕掛けて来る奴には一切の誠意や遠慮は無く応戦する様にしているのです」とも書かれていました。私たちは氏のように威圧的な喋り方をすることはできませんが、私たちへの「口撃」がこれ以上酷くなる前に遠慮なく「応戦」してみました。なにせ氏の「心理学」の分析によると、「一度でも下でに出て反論を全くしないと、どんどんと悪質な接し方がエスカレートしていく傾向が有ると私は考えています」(同2020年2月12日)ですからね(笑)。「精神的に参ってしまう様な攻撃」や「強烈な制裁」、「凄まじい制裁」を加え、「相手の脳内に恐怖心を植え付けるしか根本からの解決には発展しない」などという「心理学」をブログで居丈高に書き連ねた氏です。私からの指摘により慌てて証拠隠滅を図った氏には悪いですけど、オークションはもちろん、当該ブログも削除前に証拠として複数の方法でしっかり保存してあります。「制裁」や「恐怖心」といった氏の高明な「心理学」を否定はしません。その代わりに私たちは氏の「心理学」にしっかり備えたいと思います。ただ、私たちは安心してこの地で農業を続けたいだけですし、「私も故意に争い事を引き起こすのは好きでは有りませんが」(同日)という氏のお考えは、数少ない私たちとの共通点です。お互いの利益のためにも氏が賢明であることを願います。


話を戻します。氏は地主さんと10年間の約束で畑を借りたようですので、氏の今後の言動次第では私たちの知人である地主さんにお願いし、10年後は私たちが氏の畑をすべてお借りし、氏にはこの地域から退去していただこうと考えています。2020年2月12日のブログで氏は「特に私は法律や権利といった物事全般にある程度の知識が有る人間でして」とも書かれています。法律にお詳しいのですから「契約自由の原則」についても当然よくご存じのことだと思います。もちろん畑をどうするかについて決めるのは地主さんですが、さすがに地主ご夫妻も今回の氏の言動には眉をひそめていました。そもそも農地を取得(売買や賃貸借)するには農業委員会の許可が必要です。農家でない氏は正式な手続き(農地法第3条や利用権設定)で農地を借りることができません。いわゆる「ヤミ小作」で農地法に違反している状態ですので、法律に詳しいと言うのでしたら、まずはご自身がしっかりと法律を守ってはいかがでしょうか。

 

ここまできたらもうついでにですが、氏は「私は太平洋戦争の史実に深い興味と造詣がある者ですので」(2021年12月4日)と自称し、法律だけでなく歴史にもお詳しいのだそうです。いちおう国際関係論でドクターまで進学し、大学院生や非常勤講師時代に多くの研究者と接する機会があった私ですが、自分で「造詣がある」と言う人は氏がはじめてです。それはもうさぞかし歴史にお詳しいのでしょう。ただ、私の不勉強のせいか、氏が述べる「歴史」にはよく分からない点がいくつもあります。例えば2018年12月15日のブログで、満洲国について「当時の日本は日本政府=政治家よりも日本という国が主導とする物事のほぼ殆どの物事は政治家ではなく実際の権力は日本軍が握っており、満州国への多人数の日本人の移民送致の主な目的は、日本国内の人口調整よりも、会話口調の様な言い方をしますと『表面上は仲良くしているが、いつ、何をしでかすか分らないソ連国に対しソ連国境付近の警備の強化』がメインの目的であったのです」という説明を冗長にされています。悲しいかな、私程度の読解力では何度読み返してもこの文章の主語が何なのかさえ分かりません(汗)。私以外の読者はちゃんと理解できているのでしょうか?契約書や示談書、判決文などで主語が間違っていたら大変です。法律に詳しい人ほど日頃から主語や述語に気を付けて文章を書くものなのですがね。そして、同日のブログの中に「かつての日本は『日露戦争』と呼ばれますソ連軍との戦争に勝利し、ソ連国と中華民国の国境付近の中華民国北部の地域への利権を手中に収めます」という一文があります。日露戦争で日本が「ソ連軍との戦争に勝利し」とは驚きです。私が知る限り1904年の日露戦争で日本が戦ったのは「ロシア帝国」です。そしてソ連が建国されるのは1922年末のことです。日露戦争で日本が「ソ連軍」に勝利したなんて初耳です。歴史に「深い興味と造詣がある」と自分で言えるほどの御方が「ロシア」と「ソ連」の違いすら知らないなんて考えられませんし、日露戦争という中学でも習うような重要な史実をたとえウッカリでも間違えるはずがありません。それとも、歴史に造詣が深いなどと自分で言っておいて、まさか日露戦争で日本が戦った相手国すら知らないのでしょうか(笑)?さらに「ソ連国と中華民国の国境付近の中華民国北部の地域」と氏は書かれていますが、日露戦争当時は「ソ連国」でなければ「中華民国」でもありません。「ロシア」と「清」です。日露戦争で日本が「ソ連軍」に勝利し、「ソ連国と中華民国の国境付近の中華民国北部の地域への利権を手中に収めます」というのは何か新しい史料に基づく学説なのでしょうか??国際関係論とはいえ、この辺りは私の専門外でしたので、機会があればぜひ歴史に造詣が深い(と自称する)氏に教えを乞いたいですね。

 

また、同日の氏のブログには「日本政府は今も昔も満州国と満蒙開拓移民に関する事を黒歴史と認定しており、(中略)日本政府も隠し切れないと判断しているのか多少の史実の関与はしていますが、満州国と満蒙開拓移民に関する事は本当に隠そうとしているのが実情です」なんて極めて重要なことがサラリと書かれています。さすが造詣が深い(と自称する)人は何でもご存知なんですね。では仮に氏が述べる通り、日本政府が満洲国や満蒙開拓移民といった過去の歴史的事実に蓋をしようとしていたとします。隠そうとしているのに「これは日本政府にとって都合の悪い歴史です」などと、わざわざ「認定」するでしょうか。氏によると「日本政府は~認定しており」とのことですので、これは政治家個人の思想ではないようです。「認定」ですから「満洲国は日本政府にとって黒歴史です」と、政府として閣議決定や閣議了解でもしたんですかね。記録が残らない政府の「認定」などありませんから、どのような「認定」なのか、そしていつの政権が「認定」したのか、その辺りも歴史に造詣が深い(と自称する)氏に聞いてみたいところです。そもそも近現代史や国際関係論などの専門家によって多くの研究が自由にされている中で、いったい日本政府は何をどう隠そうとしているというのでしょうか。満洲事変については中学や高校の授業でも習いますけど、氏によると日本政府はそれを隠そうとしているのですから、そんな政府の方針に反するようなけしからん歴史教科書を認めてはいけませんね(笑)。

 

次に、氏が2019年1月5日のブログで書かれている「1975年(昭和50年)4月に蒋介石さんが母国の中国国内にてお亡くなりなられまして・・・」というのも私は知りませんでした。「国共内戦」で蒋介石の国民党は毛沢東率いる共産党に破れ、台湾に逃れたはずですが、蒋介石は亡くなる前に秘密裏に中国本土に帰っていたのでしょうか。事実ならこれまた論文で発表すべき大発見です。台湾の正式名称は「中華民国」ですが、それを略して台湾を「中国」とはふつう呼びません。それとも氏は「1つの中国」という原則のお立場で、蒋介石が亡くなった台湾を「母国の中国国内」と書いたのでしょうか。なにせ歴史に造詣が深い(と自称する)御方が書かれたことですので、色々と考えてしまいます。

 

さらにさらに、氏は西尾市東幡豆町にある「殉国七士廟」を訪れ、そこの管理人さんから「体が熱くなってくる様な真実のお話を聞く事が出来ました」(2019年2月23日)と書かれています。「殉国七士廟」は東京裁判で死刑となった東條英機氏ら​​​​7名のご遺骨の一部が埋葬されていると伝えられ、祀られている霊廟です。同日のブログで氏は、殉国七士廟が「7名の方々の御遺骨が埋葬されている墓地としての場所なのです」、「『記念碑・慰霊碑』等の建造物ではなく、本当に上記の方々が眠っておられる墓地としての場所なのです」などと、まるで当時の埋葬の様子を現場で見ていたかのように説明していますが、米軍将校が7名の遺骨を「太平洋の上空から私が撒いた」と記した公文書が2021年6月、米国立公文書館で見つかっていることから、「殉国七士廟」に7名の遺骨が埋葬されているかの信憑性は定かではありません。もちろん私も日本人のひとりとして、この7名だけでなく、すべての戦没者の御霊が安らかならんことをお祈りしており、その気持ちは氏も同じだと思います。しかし、氏はこの「殉国七士廟」がどのような施設かご存知で「真実のお話」と書いているのでしょうか。同日のブログで「殉国七士廟の存在自体を日本という国自体が余り公に存在そのものを公開したくない様な感じや雰囲気が有る様でして」と、これまた非常に高度な日本語で考察されています。私はまさに殉国七士廟がある西尾市東幡豆町で生まれ育ちまして、地元民ですので(少なくとも氏よりは)良く知っているつもりですが、日本最大規模の右翼団体とされる「日本青年社」が管理しており、毎年の終戦記念日などには全国から街宣車が集まって警察とにらめっこをするような場所です。「右翼の聖地」と呼ばれている殉国七士廟は宗教施設でなければ、公的な施設でもありません。そのため、西尾市や西尾市観光協会のホームページでも紹介はされていません。そのような施設の管理人さんの話を聞いただけで「真実」や「本当」と言うのは、歴史に深い造詣がある(と自称する)人の結論としてはあまりに浅薄と言わざるを得ません。氏は同日のブログで、東京裁判が戦勝国による一方的な判決が出された「酷い裁判」、「ムチャクチャな裁判」、「理不尽極まりない裁判」だったと痛烈に批判していますが、管理人さんの話を聞いただけで、それを一方的かつ盲目的に「真実」だと結論づける点においては氏も同じだと思います。また、重箱の隅をつつくようですが、「地元の幡豆町や蒲郡市の市長や町長、市議や町議、住民からも深い理解が得られ昭和35年8月16日に殉国七士廟が完成し、現在に至っているのです」という氏のくだり。殉国七士廟が作られた昭和35年といえば、「蒲郡市」ではなく、まだ「宝飯郡形原町」ですね。それに、当時の「市長や町長、市議や町議」がどうだったか知りませんけど、少なくとも私の地元では殉国七士廟に対して「深い理解」があると言うには程遠い状況です。もっとも殉国七士廟は三ヶ根山のてっぺんにあって地元の人がわざわざ行くような場所ではありませんし、最近の若い人はそんな施設があることすら知らない人が多いです。

 

それにしてもイマイチ自分に自信が持てない私ですから、この程度で「知識が有る」とか「造詣がある」と自ら言える氏のたくましい自己肯定感だけは本当にうらやましく思います。ここまで自己肯定感が強いと人生の幸福度もさぞ高いことでしょう。



~追・追記~
さらに後日、A-2野郎氏とまた話をしなければならない状況になり、折角の機会とDNAの検査結果をどのように知ったのか尋ねてみました。氏が知り合いだと言う検査を依頼した方から「電話で聞いた」とのことでした。「3種のフェイジョアの木のDNAは全て同一であるといった、間違いのない結果が正式且つ正確に出ています」(2019年8月23日)とまで言い切った検査結果の出所が、まさかの「電話で聞いた」だけとは・・・(苦笑)。ことあるごとに「学術」だとか「研究」という言葉を持ち出す氏が「間違いのない、正式、正確」とまで断言する以上、てっきりデータや資料など確たる証拠をお持ちだと思い込んでいました。氏にとっては電話で聞いただけの内容も立派な「学術」になってしまうのでしょうかね。


重要な点なので、そのDNA検査で前述の「塩基配列」を調べたのか、それとも「アミノ酸配列」を調べたのかについても尋ねたところ、「知らねぇよ、○○(某園芸店)がそう言ってたんだよ」と吐き捨てるように言われてしまいました。検査の依頼者がどちらのDNA検査を行ったのかを「知らねぇよ」なのか、それとも塩基配列とアミノ酸配列の違いについてもともと氏が「知らねぇよ」だったのか、そのどちらなのか(両方かもしれません)私には分かりません。質問の趣旨を申し上げても「あっ、そう。それで?」、「だから?」などと、取り付く島もありませんでした。「A-2野郎」という匿名のブログとはいえ、ご自身が書いたことではないのでしょうか?氏にとっては面白くない質問だったのかもしれませんが、氏の主張が本当なら私たちは大きな影響を受けます。フェイジョアを栽培する農家として私は真実を知りたいのですが・・・。

 

そして、インターネットで「フェイジョア DNA」と検索したら、次のようなページが見つかりました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13175470218 (Yahoo!知恵袋)

この回答者のお名前と氏が言った園芸店さんの名前が一致しています。おそらく文中の、趣味でフェイジョアを多品種育てている「愛知のお客さん」が氏のことではないでしょうか。私はてっきり氏が「電話で聞いた」と言う園芸店さんがDNA検査の依頼者だと思っていたのですが、そうではなかったみたいです。この園芸店さんの近所でフェイジョアを生産している方が検査の依頼者で、園芸店さんはその方から話を聞いたということが書かれています。もちろんこの園芸店さんは偶然同じ屋号で氏とはまったく関係ない方かもしれませんし、この園芸店さんも後に自らDNA検査を依頼したなど、様々な可能性が考えられますが、いずれにしても氏の主張に対する私の疑問符を払拭するには至りません。それに、ここには「(混ざってしまったフェイジョアの品種は)DNA鑑定をして貰っても分からなかったそうです」と書いてあるだけで、どこにも「フェイジョアのDNAが同じ」とは書いてありません。繰り返しになりますが、DNAの「塩基配列」ではなく「アミノ酸配列」しか調べることができない簡易な検査なら、品種間の違いまでを明らかにすることはできません。いわんや伝聞のさらに伝聞なら、氏が電話で聞き間違えた、あるいは違う解釈をしてしまったという可能性だって大いに考えられます。

 

さらに調査を進めたところ、上記の園芸店さんは同じく「Yahoo!知恵袋」で「品種不明の木の種類を調べることができるか」という質問に対して、「フェイジョアは、DNA鑑定をしても品種の特定は出来ません。5~6年で実が付かないのであれば、クーリッジ、アポロ、プリティーグリーン、バブビナ等の自家結実性のある品種を購入すれば、間違いなく交配して果実が収穫出来るはずです」とも回答していました。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14206747524

DNA鑑定をしても品種の特定ができないというのは、アミノ酸配列を調べるだけの簡易なDNA検査しかできないからなのか、それとも氏と同様に「フェイジョアのDNAはすべて同じ」というお考えだからのか、これだけの文面では分かりません。この園芸店さんにコンタクトは取っていませんが、植物に携わる人なら遺伝の仕組みについての最低限の知識くらいは持っていると信じたいです。

 

私の感覚では「電話で聞いた」だけの伝聞情報を「間違いのない、正式、正確」とまでふつうは言わないと思いますし、伝聞のさらに伝聞ならこれはもう「噂話」や「風説」のレベルです。しかし、誰かが嘘をついていない限り、検査結果は氏が述べるようなものだったのかもしれません(この考えられる理由については前述の通りです)。だからといって異なる品種のフェイジョアのDNAが同じとは思えません。確かにフェイジョアの品種間の差異は小さいですが、それでもまったく同じではありません。氏はフェイジョアについて「品種や各個体毎の違いや差異は全く感じられません」と述べています(2020年9月19日)。私にはそれこそ氏がわざわざ使い分ける「違い」と「差異」の意味の”違い”が分かりませんが(笑)、樹形、葉のサイズ、実の形や大きさ、果肉に占めるゼリー部分の多寡など、品種によって明らかに違いは認められます。それでは逆に、フェイジョア以外にも氏が育てておられるリンゴやアンズなどは、木を見て瞬時に品種を言い当てられるくらい品種間の「違いや差異」があるのでしょうか?氏は「私個人の長年の栽培実経験」からこの結論を導き出したと書かれていますが(2018年7月14日)、「長年」って・・・氏は栽培を始めてまだ5年じゃないですか。その翌年にはすでに「アンズとフェイジョアは私の中で既に軌道に乗ったという感覚が有り」(2019年6月15日)だそうで、さすが頭の良い人は違いますね。そんな大変に物分かりが良い氏とは違い、私たちが栽培を始めて5年の頃なんて、買ってきた苗を畑に並べただけで、フェイジョアについて何も分かってないに等しい状態でした。また、「長年」と同様に基準があるわけではないので本人がそう思っているのなら構いませんけど、氏は育てている中で比較的大きい何本かのフェイジョアの木をブログで「大木」だと呼んでいます(2017年12月20日など)。しかし、失礼ながら私たちから見ればせいぜい「大苗」です。そのような生長途上の幼木では品種特性がまだ安定せず、本来と異なる性質を示すことは珍しくありません。私たちの農園でも植え付けて数年後には結実が始まりましたが、本当に良い実が収穫できるようになるまで7~8年かかりました。果樹栽培なんて10年単位で行うものです。


そのうえ氏にはブログで、フェイジョアの「品種に拘るのは、ネームバリューやブランド志向の感情的な自己満足感でしかない」(2018年7月14日)とまで書かれてしまいました。「感情的な自己満足感」と、「自己満足感」の前にわざわざ「感情的な」という言葉を付けるあたりが、いかにも重言(重複表現)を多用する氏らしい表現ですね。氏のブログには先ほどの「実経験」という造語をはじめ、「まず初めに」や「一番最初」(二重表現の定番です)、「実際の実情、実際の実力、実際の実物、実際の実務、実際の事実」(以上、実際シリーズ)、ほかにも「上記に明記」に「上記に記載」、「現実の事実」、「後の後継」、「冷たいお冷」、「美味な味」、「席に着席」、「確実に確定」、「味覚の感覚」、「珍しい珍メニュー」、「果物がなる果樹」、「果樹の木」、「葉が落葉して」、「特に特筆する」、「敗れて敗戦」、「最盛期の時期」、「鳥よけの防鳥ネット」、「頭文字を頭に付け」、「数少ない希少な」、「広く知られている周知の」、「数多くあります店舗の内の中の一軒」、「未だに未経験」、「急激に激増」、「色とりどりの多彩な」、「事前予想」に「事前予約」、「美味しく頂かさせて頂きました」、「午後15時」(何時?)、「約1000円程」(アバウト1000円くらい)、「『餃子』という食べ物兼料理」や「組織兼団体」(何を兼ねているのでしょうか?)、「真っ最中の最中」(「まっさいちゅうのさなか」と読むのかな?)、さらに「有名且つ、よく知られている事」、「些細且つ僅かな違い」、「目の前&至近距離にて」、「最も近い、、または最も酷似している」、「生まれて初めて&人生初の」(これら5つは何が違うのでしょうか?)、「自然に見られる自然果樹」(野生種と言いたいのかな?)、「二つに二分する」(4分の1?)、「逆に逆手にとる」(元に戻りました)、「久々に利用したいと思い立ちましたので久しぶりに利用させて頂く運びとなりました」(A=Aの小泉構文)、「目視確認が確認出来まして」(ダブルチェック!)、「今現在の現時点」(トリプルnow!!)、「ロープライスな廉価価格の」(ダブル「安い」&トリプル「価格」のコンビネーション!!!)、そして「新規にて農地での新規就農者の農業」(もうアタマの頭部の頭痛が痛くなってきました・・・)などなど、重言のオンパレードです。非常勤講師時代に多くの学生のレポートを添削しましたので、氏の一生懸命に伝えようとしている気持ちは理解できますし、重言のすべてを間違いと言うつもりもありませんが、氏がおっしゃる「感情的な自己満足感」ならぬ”感情的な違和感”を私は覚えます。閑話休題、フェイジョアの品種を「感情的な自己満足感でしかない」と切り捨てるのでしたら、なぜ取り寄せてまで写真付きの専用ラベルをすべての木に飾り付けて品種名を表示しているのでしょうか。高額な新しい品種の苗をなぜ買い揃えているのでしょうか。フェイジョアの品種が自己満足で、そのうえDNAも同じだと言うなら、なおさらのこと「ロープライスな廉価価格」(笑)の実生苗で良いはずです。「実生の木は、これは各個人の個人的見解ではなく、特に果樹類全般に関しましては学術的にも間違いのない研究結果が正確に立証されていまして『実生の果樹からは可食部の多い良質な味の実が生らない』とされており、要は実生の大元になった種からの発芽は、例え、その発芽した種を内蔵した美味しい味の実を付けた親の木の遺伝子を実の内部の種が次世代に引き継ぐ事は、ほぼ確実に無いという事が上記にも明記致しましたが長年の専門的な研究結果から判明しているのです」(2020年3月18日)と、この暗号のような文章を斟酌して好意的に解釈すると要は「実生苗はその親木と同等の実がならない」と氏は言いたいようです。でも、実生苗もDNAは同じだと「上記に明記」(笑)でご高説を説いてましたよね?DNAが同じなら実の質だって同じになるのではないでしょうか。私には論理破綻しているとしか思えませんので、氏がお詳しい「学術」や「研究」とやらでご説明いただけませんでしょうか。

 

そんな氏ですが、最近は「黄覆輪のビワは今現在では殆ど流通が無く、私の所有しています1本の木が枯れてしまいましたら再用意が極めて困難になりますので、スペア用の苗木を作る目的にて採取した種を育ててみようと考えています」(2021年4月10日)、「黄覆輪の苗木は今現在の日本では全く売られていない=万一の枯れてしまった場合に再入手がほぼ不可能な品種の樹木になります関係にて、枯れてしまった際のスペア苗木を用意しようと思い立ち、今年度は黄覆輪の実がたくさん生りましたので『種を育てて実生苗を生産』する事を私自身が計画をしており」(2021年5月8日)、「黄覆輪の木は今現在では入手が難しく、枯れてしまった場合のスペアとして今年度は種からの実生育苗を行う」(2021年6月5日)と、葉に黄色い斑模様が入る珍しい品種のビワの苗を殖やすため、せっせとそのタネを蒔いているようです。組織培養という特殊な方法もありますが、一般的に同じ品種の苗を殖やすには挿し木や接ぎ木を行います。「学術」にお詳しいだけでなく「長年の栽培実経験」もお持ちの御方が、同一品種の果樹苗を増殖させる目的でタネ蒔きするというのも信じられませんが、タネを蒔いて実生苗を育てても、その親木と同じ性質(同一品種)になることは絶対にありません。これは生物学の常識です。もっとも生物学の常識を超越している氏ではありますけど・・・。それとも氏は、フェイジョアと同様にビワもDNAがすべて同じだとお考えなのでしょうか。だとしたらタネ蒔きしている氏の言動には一貫性がありますね(笑)。タネを蒔いて苗ができたら、その苗を知人にプレゼントするつもりらしいですが、品種間違えの苗が流通する原因のひとつを氏のブログから教えていただいたような気がします。

 

その後、タネが発芽し「まだ葉が数枚の幼苗ですので今の時点では到底、目視確認は出来ませんが親木と同様に黄色のシマ模様が入ったビワの木に果たして成長して行くのか否かは現時点では全く分らない状況です。種から育てる実生苗は一般的には『親木と同等の良い味や大きさの実が生らない』と、、、数多くの植物学の専門家達の長年に渡る研究の末に明確な事実として認められておりますが、今回の黄覆輪の木に関しては実の収穫目的は一切無く、見た目が美しい鑑賞用樹木としての繁殖量産を目的としており、果たして実生苗は果実だけでなく葉や木の地上部の見た目そのものにも親木との違いが出るものなのか、、、今回の黄覆輪の繁殖は検証実験的な意味合いも含めているのです」(2022年3月1日)、「昨年に種を植えました1本のポットでの単独幼苗誕生成功2本の内、、、片方の幼苗は1年でそこそこに大きくなりましたが、、今の所は親木の様な黄色の縞模様が入った葉は出て来ていない状態です。一般的に種から育てる実生の木は果樹の場合、、親木の様な良質な実が生る可能性(確率)は相当に低いと学術的な観点から見ても高確率にて正論であると認められてはいますが、、、果たして果実以外の葉や枝、幹と言った箇所の特徴も実生では親木の特徴を引き継がないものなのか、、、今の所、、、私の黄覆輪に関しては全く結果や結論が分らない状況下に有るのです」(2022年6月11日)などと毎度の超ハイレベルな文章から、どうやら氏は、実生苗の「果実」に関しては親木と同じにならないが、葉っぱの特徴などのその他の部分なら親木と同一になる可能性が十分にあるとお考えのようです。その一部分でも実生苗が親木とまったく同じ性質になることはないと思うのですが、なにせ生物学の常識を超越する人ですから、氏のお考えは私には理解できません。さらには「単独幼苗誕生成功」という氏の難解な"8文字熟語"の意味も理解できません。案の定、今のところ実生苗の葉に黄色の斑模様は出てないようで、私に言わせれば「現時点では全く分らない状況です」や「全く結果や結論が分らない状況下に有る」などと悩むまでもなく、これは至極当然の結果です。実生苗の果実は親木と同じにならないが、葉っぱなどのそれ以外の部分なら同じになる可能性があるとは、一体どのような「学術」の解釈によるものなのでしょうか。「学術的な観点から見ても高確率にて正論であると認められてはいます」と、何やら小難しい言い回しがされていますが、その「学術」という言葉がとてもチープ、いや氏のお言葉をお借りすれば「ロープライスな廉価価格」(笑)に感じてしまいます。ご自身の学を衒うのは結構ですし、これも氏の強いこだわりなのかもしれませんが、今どき論文でもこんな回りくどい表現は用いません。ともあれ、タネ蒔きによる「黄覆輪の繁殖」(少なくとも氏は「繁殖」だとお考えのようです)は「検証実験的な意味合いも含めているのです」とのことですので、氏の「検証実験」による今後の"学術的なご研究"の成果が待たれますね。

 

話をフェイジョアに戻します。「いつも&毎度の如く今年も地植えフェイジョアの木が原因不明にて枯れました」(2020年8月28日)と、氏が育てるフェイジョアが少し前に立て続けに何本も枯れてしまったようで、「見事な枯れっぷり」だとか「あっ、、枯れた、、、はい終了」、「枯れてくれても何の実害も無い」などと氏の文面から面白くない様子が伝わってきます。そして、2020年9月19日にはフェイジョアについて色々と氏のお考えが述べられていますが、その中に「『植樹直後でない植えてから多少の期間が経って定着している地植え果樹に水やりは不要である』という考えをフェイジョアに対し強く誇示するのは大変危険」とあります。氏はどうか知りませんけど、自分の考えを「フェイジョアに対し強く誇示する」(誇らしげに示すこと)人なんていませんから、この点については心配無用だと思います。それとも氏はフェイジョアの木の前で「エッヘン!」と、自分の考えを得意げに「誇示」しているんですかね。たしかに別の意味で「大変危険」かもしれません(笑)。さらに2019年11月2日のブログには、氏がフェイジョアの木に対し「誇示」したかもしれないお考えが書かれています。「フェイジョアの木も当然ながら生き物であり、品種毎というよりも各木々に個体差が有りまして、例えば同じマンモスの木でも今の時期に木の根元に大量の実が落果している木もあれば、まだ、成熟までもう一息時間が掛りそうな他のマンモスの木もあり、また、フェイジョアにも他の果樹と同様に実の収穫期を示す『早生(わせ)・中生(なかて)・晩生(おくて)』等の各品種毎におおよその収穫期の説明がフェイジョアの各種育成情報に記載されておりますが、最も収穫期が遅いとされる晩生に該当するジェミニが10月下旬に収穫期を迎えたりと、個人的にはフェイジョアの育成指南の各種説明文に対し私は『これらの文面の筆者の方々は、実際且つ現実にフェイジョアの育成に密に接しておられる方が執筆しているのか?』と少し疑問というか不思議に感じる事がたまにあります」(2019年11月2日)。同じ品種でも木によって個体差があるのは否定しませんが、専門家が書いた文章を批評する前に、ご自身が育てるフェイジョアの品種間違えを疑うのが先ではないでしょうか。それに「上記に明記」(笑)の通り、幼木が本来の品種特性と異なる性質を示すのは珍しいことではありません。少なくともその説明文は、「3種のフェイジョアの木のDNAは全て同一であるといった、間違いのない結果が正式且つ正確に出ています」と生物学の常識を無視する内容を堂々とブログに書き、それを尋ねられて「知らねぇよ」と無責任に答える人よりずっと詳しい方が書いていると思いますよ。だいたいDNAが同じなら、どの木も性質はすべて同じで、早生も晩生もないはずです。「語るに落ちる」とはまさにこのことですね。改めて、品種が違うのにDNAは同じという氏のご主張は、私のような凡人には遠く理解が及びません。普段からブログで「学術」、「学術」と書いているのですから、ぜひフェイジョアのDNAについても「電話で聞いた」や「知らねぇよ」ではなく、「学術」的に論じていただきたいと思います。ただ、「大半のリンゴはS遺伝子型が二倍体、、、S型の染色体が2列配置になっているタイプですと花粉=精子が有効であり、同型のS遺伝子でないリンゴの木に受粉させますと受精が成立して有精幼果が誕生する」、「三倍体の品種は花粉=精子が無精子状態の品種になります」(2020年12月5日)などと、異次元の「学術」も平然とブログに書く人です。「有精幼果」なる謎の日本語は聞いたこともありませんが、氏によると「フェイジョア自体の花粉(精子)が生成=出来上がっていない状態でして」(2018年5月29日)と、驚くことにリンゴだけでなくフェイジョアの花粉も「精子」なんだそうです。ニワトリの有精卵や無精卵じゃあるまいし、果樹も精子と卵子で"受精"するのですか?二の句が継げません。果樹の花粉は「精子」だと言う人の「学術」は難し過ぎて私にはとうてい理解できません。

 

ところで、2020年4月24日には「私が育てていますフェイジョアは毎年、5本程の枯れ死が確実に発生しており、それに比べますとリンゴとアンズは全く枯れずに済んでいます」と書いてあり、フェイジョアとは対照的に氏はリンゴやアンズをまったく枯らしたことがないと言います。さすがプロのアンズ農家さんを前にして自ら「私はアンズの実際の栽培者=有識者である関係上、アンズに関する専門用語が口から出ます」(2019年3月28日)と言えるだけはあります。「造詣が深い」もそうですが、「有識者である」と自分で言いますかね(笑)。とれはともかく氏のブログをよく読むと、「単刀直入に事実を申し上げますと、今回の冬場から春先に時期に私の自宅にて育てていますアンズの苗木が正確に言いますと計14本、、、枯れてしまいました」(2017年6月2日)や、「アンズの木は真冬の期間中に枯れてしまう現象が有るのです」、「アンズだけは毎年、少数なのですが冬場に枯れてしまうのです、、、正確な原因は解らないのです」、「今年も農地に植えていて秋までは元気だった4本のアンズの木が枯れている可能性が高いのです」(2018年4月10日)、「枯れたアンズ『美杏』を伐採処分しました」(2019年3月7日)、「私の農地内に植わっていますアンズのおひさまコットの木1本が冬季中に枯れてしまった」(2020年4月10日)、「順調に育っていたアンズの木が突如、、、計4本も一気に枯れてしまいました」(2021年4月17日)、「生きているのか死んでいるのか分からない半端&虚弱な個体は先日、全て抜根廃棄を行いました、、、その本数計8本に及びました」(2022年5月7日)などなど、アンズも毎年のように枯れているようですが・・・。2018年6月11日の氏のブログには「私の農地には全部で30本以上、20種程の品種のアンズの木が植わっていまして、(中略)愛知県の西三河地区で大規模な生アンズの多品種の栽培生産&収穫を実際に行っているのは、恐らく私1人だけであると思っています」と書かれています。私はアンズについて詳しくありませんので、数十本が「大規模」なのかは分かりませんが(しかもまだどれも幼木で)、氏の栽培規模からすると枯死したアンズの本数は相当な割合です。「リンゴとアンズは全く枯れずに済んでいます」とは一体どういうことでしょうか。


実は私たちもこれまで何本ものフェイジョアを枯らしてきました。でもそれはブルーベリーやポポーも同じです。特に地植えのハイブッシュ系のブルーベリーは栽培のコツを掴むまで、植えては枯らしまた植える・・・の連続で、一体どれだけ枯らしたか分かりません。「私の自宅庭に地植えしていますフェイジョアの木がまたしても突然枯れ死に見舞われまして、(中略)それにしても今年は計4本も私の自宅庭のフェイジョアの木が原因不明にて枯れました、、、、もう、フェイジョアの木の育成を熱心に行おうという気持ちがますます減退しました次第です」(2020年11月7日)などと、次々に枯れたら嫌になる気持ちは分かります。しかし、枯れるからには必ず原因があるはずです。フェイジョアがマイナー果樹で情報が少ないという点についてはまったく氏に同感です。ただ、氏だってそれを承知のうえで栽培を始めたはずです。だからこそ分からないことがあれば自分で答えを探すしかありません。私たちは枯れた原因を考察し、年単位で1つ1つ検証し、改善することで栽培技術を少しずつ会得してきました。「上記に明記」(笑)の通り、果樹栽培は10年単位で行うものです。たった5年を「長年の栽培実経験」と言う人には向いていません。

 

それでつい数年前には「私の家庭では私以上に私の妻がフェイジョアの実が大好物ですので、今年初のフェイジョアの実を喫食を楽しみにしている状態です」(2017年10月18日)だとか、「本当にお勧めしたい果樹&植物なのです」(2018年5月29日)などと持ち上げていたのに、先日のブログでは手のひらを返したように「実の味がお世辞にも優れているとは言い難い」で、知人に配っても「非常に不評」とのこと(2020年4月24日)。自分の気に入ったものは無条件に肯定する一方で、隣の農家さんや次々に枯れるフェイジョア(そして私たちも?)など、気に入らなくなると徹底的に排除する偏向をお持ちのようです。まぁ、好き嫌いの問題ですので「不味い」とか「不評」と言われたら仕方ありませんが、ほんの数年で氏の嗜好はすっかり変わってしまったのでしょうかね。その割には「有無を言わさぬ旨さでした」とレビューを投稿して、お気に入りのラーメン屋には今でも通い続けているようで・・・。「有無を言わさぬ旨さ」のラーメン屋とは、客が「旨い!」と店主から無理やり言わされる怖いお店なのでしょうか(笑)。チェーン店のラーメンなんてどこの支店で食べても同じだと思うのですが、やはりここにも氏の強いこだわりがあるらしく、「常連店」だと呼ぶその支店のラーメンを食べるためだけに長野県まで何十回も通っているとブログに書かれています。愛煙家なのに味覚が鋭いのか、支店ごとのわずかな味の違いまで感じられるとはさすがですね。ガソリンが高い昨今ですが、「私のおかかえの獣医さんによりますと・・・」(2020年4月1日)だとか「私のおかかえの正規ディーラーに連絡をし・・・」(2020年4月24日)と、なんと!氏は獣医や正規ディーラーを「おかかえ」していると言うではありませんか!!ペットや車をさぞ大切に思っているのでしょうが、獣医や正規ディーラーを「おかかえ」してしまうなんて驚きです。私なんてせいぜい"かかりつけ"の町医者がいる程度ですので、「おかかえ」だなんて凄すぎて羨ましいという気持ちすら湧いてきませんが、獣医と正規ディーラーを「おかかえ」できるくらいですから、氏にとって長野県までのガソリン代くらい微々たる金額なのでしょうね。そんな獣医と正規ディーラーを「おかかえ」できるほどお金持ちの氏だからでしょうか、通路が広々としたお店に行けば「何の窮屈感も感じずに悠々自適に店内と店内商品をゆっくりと拝見させて頂き」(2021年8月31日)ですし、駐車場が適度に空いていれば「悠々自適に車を停めて」(2022年8月18日)入店することだってできるそうですよ。まだ40代半ばの年齢で、買い物や駐車まで「悠々自適」とは、やはり獣医と正規ディーラーを「おかかえ」できる人は違いますねぇ。私も早くそんな生活をしてみたいものです(笑)。生物学の常識を破る「学術」を唱え、心理学にお詳しいうえに法律の知識があって歴史にも造詣が深く、さらにはアンズの「有識者」でいらっしゃり、おまけに獣医と正規ディーラーを「おかかえ」できるほど裕福な氏と、研究者崩れの貧乏農家である私たちとでは何もかもが違い過ぎ、やはりこんなトンデモな人と付き合うのは最初から間違いだったと改めて後悔しています。そしてファッションにも強いこだわりをお持ちの氏は、たとえ通販をやっているお店でも「手の届く距離に所在している店舗でしたら最低でも1回は実店舗に行ってみたい」(2021年12月9日)と、近県くらいなら頻繁に出かけているようですので、氏にとってやはり長野県くらいは生活圏内なのかもしれません。それにしても最近は送料が高いことですし、私も氏のように「手の届く距離」に良いお店があればぜひ利用したいですね。私の腕の長さでは頑張って1.5mくらいですけど・・・(爆)。

 

また、氏があるラーメン屋を訪れた時のこと。店内には先客が一人しかおらず「静かな環境を好む私からしますと天を仰いでしまいそうな位、嬉しい気持ちが込み上げて来ました」(2019年11月2日)だそうです。「天を仰ぐ」って、悲しいことや嫌なことがあった時に「嘆いて空を見上げる」という意味なんですけど・・・。嬉しくて”天にも昇る”気持ちになる人はいるでしょうが、嬉しい気持ちが込み上げてくるのに氏は「天を仰ぐ」のだそうです。お店が混雑してなくて個人的には嬉しいけど、店主の生活が心配になってしまったのでしょうか。でも氏はテレビゲームをクリアしても「本当に天を仰いでしまいそうな位、嬉しさが込み上げて来るものなのです」(2018年10月20日)だそうですし、やはり氏は嬉しい時に「天を仰ぐ」みたいです(笑)。さらにまた別のラーメン屋に行った際には、「非常に優しい性格の方で、物腰も非常に低い」店長さんだったと感想を述べています(2021年12月5日)。話し方が穏やかという意味で「物腰が柔らかい」と言いますけど、「物腰が低い」とは「物腰が柔らかい」と「腰が低い」を同時に言おうとしたのでしょうかね。

 

「A-2野郎」というブログのIDのとおり、お洒落だと自称する氏は「A-2」という米軍のパイロットが着用していた革製ジャケットのレプリカを収集しておられます。その中の1着が経年劣化により糸がほつれてしまったそうで、「(修繕を依頼できるお店の)オーナー様に破損部を拝見して頂きまして修理作業を御願いさせて頂きました」(2020年8月1日)と。氏は非常に丁寧な文章を書いているつもりなのかもしれませんが、ここまで来るともはや慇懃無礼。それに「オーナー様に破損部を拝見して頂きまして」では「オーナー様」よりもジャケットのほうが上の立場になってしまいます。まぁ、それくらい氏にとっては大切なジャケットなのでしょう。


ところで、氏が食べログで5つ星を付けて絶賛していたレストランについて、「お店の外側から見ると少しパッとしない感じはしますが、実際の料理の味と実力は相当な凄い物を持っている」(2017年11月24日)と評価したうえで、そのお店は「『羊の皮を被った狼』といった感じ」がしたと書いています。「羊の皮を被った狼」は、「親切そうにふるまっているが、内心ではよからぬことを考えている人」や「自分の正体を隠している悪人」と、ふつう良い意味で使うことはありません。氏はこのお店を褒めているのでしょうか、それとも貶しているのでしょうか。ともかく氏によると「羊の皮を被った狼といった感じ」がしたということですので、このお店の人は見た目とは裏腹にかなりの悪人らしいです。ボッタクリの被害にでも遭ったのでしょうかね。いくら料理がおいしくてもそんな店は行きたくないです。それにしても「有無を言わさぬ旨さ」のお店や、空いていて「天を仰いでしまいそう」になる飲食店、「物腰が低い」店長がいるラーメン屋、そして「羊の皮を被った狼といった感じ」のレストランに、たまごチャーハンがそのお店で「フラッグショップ的な位置に居ます」と氏がおっしゃる中華料理店と、ずいぶんと氏は変わった飲食店ばかりを好まれるのですね。「フラッグショップ」って、中華料理屋なのに旗でも売っているんですかね(笑)。ちなみにですけど、当園の「フラッグシップ(主力商品)」は今でもブルーベリーだと思っています。


「今現在の私は趣味の域を超える果樹栽培マニア」(2019年3月5日)だと自称する氏は、果樹栽培やファッション以外にも多趣味でいらっしゃり、その一つがザリガニです。遠くの水族館のザリガニ展示を見に行くほどの熱の入れようで、「その迫力は圧巻される物がありました」(2020年1月30日)と感想を書いています。別の日のブログでも、豪華な料理を前にして「運ばれて来た直後の会食開始前の光景は圧巻される物がありました」(2022年4月14日)と述べていますが、「圧巻される」と「圧巻」を動詞で使うのはどこかの方言でしょうか?そんな中で「ウチダザリガニ」なるザリガニはもともと食用で非常に美味らしく、氏は捕獲のためにその生息地である滋賀県の湖も頻繁に訪れています。ただ、湖へ繋がる遊歩道をザリガニ捕獲のための重装備で歩いていると周りから「相当な数奇の目で見られてしまいました」(2021年6月16日)、「ハイキングや情景写真撮影の為に淡海湖付近の来られている方々より数奇な目で見られ」(2022年6月11日)だそうです。状況的に「好奇」や「奇異」の目ならまだ分かるのですが、氏ほどインテリで裕福だという御方が2年も連続で「数奇の目」で見られたとは、よほど不遇なことでもあったのでしょうか。さすがにちょっと心配です・・・。また、そのザリガニがいる場所は相当な山奥らしく、氏のすぐ近くで突然の落石があり「あわよくば命を落としそうになった」(同じく2022年6月11日)こともあるそうです。これまた「あわや」なら分かりますが、「あわよくば」って言わずもがな「うまくいけば」とか「運が良ければ」という意味です。つまり氏は「うまくいけば落石に当たって死ねそうだった」と、自殺願望でもあったのですかね。2年も連続で「数奇の目」で見られたうえに「あわよくば命を落としそうになった」だなんて、これはもうただごとではありません!赤の他人からいきなり「数奇の目」で見られただけでなく、「あわよくば命を落としそうになった」くらいですから、私には分からない氏ならではのご苦労が多々おありのことと拝察しますが、そんな悲しいことを言わずくれぐれも命だけは大事にしてください。

 

そして、2018年8月7日のブログで氏は、あるアメリカ人を「日本語が悠長に話せる」と紹介しています。日本語が「悠長」なアメリカ人とは、麻呂が思ふに平安貴族のような話し方をするのでおぢゃるのかな?知らんけど。普段からブログで「喫食」、「視認」、「呼称」、「思案」、「意見具申」などの難しい言葉を多用したうえに、「私の自宅庭にて鉢植えにて植えました」とか、「生垣用途にて同じ農地内にて引っ越し移植を行った」、「LINEにて定期的にトークにて双方の近況をやりとりをしたり」、「制作される方の御家庭にて手作業にて1点1点手作りにて作られた上質のハンドメイドマスクが最寄りのお店にて御安い御値段にて売られている」、「ビワ類の果樹は全ての品種に於いて1本の木のみにて実が生る」などのように、「~にて」や「~に於いて」といった固い表現を不自然なまでに用いた冗長な文章を綴り、崩した表現をする時はその都度「会話口調にて言いますと」や「会話口調の様な言い方をしますと」などと断っていることから、ふだんの氏は格式ばった硬い文語調でブログを書いていらっしゃるのでしょう。意見具申は「目上の人に対して意見を述べる」という意味ですが、氏のブログによると「私の母より(中略)との意見具申が有り」(2022年4月14日)だそうでして、なんと!自分の母親から「意見具申」を受けたとのことです。やはり「私には~おられます」と自分自身にさえ敬語を使うような偉い氏の前では母親でさえも敬語になってしまうようです(爆)。そのアメリカ人が「日本語が悠長に話せる」のは結構ですが、毎回のように非凡な表現力と豊かなボキャブラリーを駆使し、大変に個性的かつハイレベルな"文学"をブログでご披露できる氏ほど私は日本語能力が高くありませんので、私としては「悠長」な日本語より、ぜひとも「流暢」な日本語でお願いしたいですね!


どれだけ自分が賢くて偉いと思っているのか知りませんけど、畑をお借りしているヨソモノという立場で隣の農家さんや地域に暴言を吐き、法律の知識があるとか歴史に造詣が深いと自ら言って己惚れ、アンズの「有識者」を気取る前に、そして「強烈な制裁」や「凄まじい制裁」だのを加えて「相手の脳内に恐怖心を植え付ける」だとか「成敗」がどうのこうのと傲慢で意味不明な「心理学」、さらには知りもしない「学術」をあれこれ語る前に、まずは尊敬語と謙譲語の違いを含め日本語の基礎から勉強し直すことを強くお勧めします。


長くなりました。まさかとは思いますが、「学術」だの「研究」だのと書かれている氏の衒学的なブログを読み、フェイジョアのDNAはすべて同じだと学術的に証明されているかのごとく受け取ってしまう人がいるとも限りません。しかし、その「まさか」なのか、実際に某フリマサイトで「調べると、なんとDNAも全品種同じだそうです」と、フェイジョアの品種は無意味かのような説明をして実生苗を売っていた方がいました。支離滅裂な主張の数々にいちいち反論するまでもありませんが、フェイジョアを栽培する農家として、これ以上の誤った情報の拡散は座視できず、氏の主張に対する疑問点や矛盾点を列挙しました。しかし、結局のところ、私たちは反論ができても反証はできません。氏の「学術」的なご主張と私たちの反論のどちらが正しいと思うかは皆様のご判断に委ねたいと思います。どうぞご賢察ください。

(カギカッコ内の引用部分はすべてA-2野郎氏のブログより原文ママで、閲覧時のデータは保存してあります。)