夜中に出発。
途中休みながら、朝方に宮城には入り
高速を実家近くでは無く手前でおりて、下を通って行きました。
二年前、震災から五ヶ月後
→ 二年前の記事
被災地へ行って、目で確かめてきたから。
その後どうなってるかと…
二年前に行ったところと同じ場所
そして、あのときはまだ混乱していて
居住者しか立ち入れない、壊滅地区といわれた場所へ。
亘理郡逢隈町の海に近いとこ通って、
仙台空港へ。
二年前にもあったお店はまだそこに。
周りは家や工場など、新たに再生してる場所もあるけど
あのときのまま、雑草だけが生い茂ってるところも多い。
閖上大橋から見る太平洋は今日も穏やかです。
この橋の上も津波は通過してるはず
閖上の海岸方面へ
二年前は居住者以外は立ち入り禁止で入れなかったので
前は手を合わせられなかった。
行きたかったのが慰霊塔がある、日和山でした。
みなと神社の小高い丘。
このあたりは海水浴場もあり、海の家なんかもたくさん。
サイクリングセンターという、大きな公園があって、
自転車でグルグルするんだけど、信号機や踏切もあって、
遠足や子供会でくることが多くてね。
子供心に楽しかったわ。
賑やかな海沿いの街は跡形も無くなってました。
ほんと港町でしたよ。花火大会も毎年あってね。
民宿なんかもあって。
丘から見下ろすと、ほんとになんにも無くなってて。
止まったまま。
有ったものが、何も無い。。。
知ってる場所なだけに、涙が出てきました。
どれだけの悲しみがあったんだろう。。
慰霊の塔婆などもあるので、手を合わせてきました。
閖上から、仙台市若林区荒井へ抜ける。
行った高校の近く。
仙台での海水浴場はここなので、多くの人が行ってると思うな。
ここも自転車でよく行った海水浴場があるところ。
チビとパパが海水浴したのも、近くのパークゴルフへ行ったのも。
閖上同様に、あのときと同じ、止まったまんまの場所。
こちらは慰霊碑と菩薩様?が建てられていました
土台の数だけ、人びとが暮らす家があったのだから。
その人びとの生活、生きてきた証、
根こそぎ流しちゃったのね。。。
知り合いも多く住んでいた地域で、胸が痛い。
左上は荒浜小学校かな?
右側から津波がくるんです。
その右側の2.3階のフェンスはグニャリと内側に曲がってました。
水の威力のすごさにビックリです。
活気があって、もうあのときのことなんて無かったかのように
街は賑わってるけど、太平洋沿岸地区は
どこも時間は動いてない気がします。
復旧工事もやってますけど。
土地のかさ上げとかも始まっているけど
まだまだ先のことですよね。
そして、かさ上げしても、そこに戻ってくるか、の選択も
なかなか難しいよね
ほんとうに、すごい出来事だったよね。