3・11のあの日から5ヶ月が経とうとしてます
被害に遭われたみなさまのご冥福を祈るとともに
被災したみなさまへお見舞い申し上げます
離れた場所にいて、映像でしか観ることが無かった地元を
少しだけ見てきました
ほんとうに「見て」きただけで。
いまこのときまで どんなに大変だったか
そこにいた人たちが どんなに辛い想いをして
いまどうしているか。そこまで感じること無く見てきただけで
ほんとうに申し訳なくも思うのですが。ごめんなさい。
1日~3日まで書いてた記事と内容も文もかぶります
1日、早朝に仙台には着いてたので
5:30頃かな。インターを下りて まずは仙台空港へ行ってみました
長崎にいた頃はここも利用したよ
画像はクリックしたら大
動画で観た波が襲った空港
車も飛行機も流れていった。孤立した状態になった空港
あっという間に壊滅的被害に。ここはほんと海のそばです
整備されて とてもキレイになっていました
ここは裏側だけど。
この標識。写真じゃわかりづらいけど 傾いてるんです
そして、地面から3mくらいのあたりかな?
また見づらいけど、腐った枯れた葉っぱのようなのがこびりついてるのね
矢印のあたりに。もしかしたらこの高さまで水がきてるんではないかと。。
そう思えるほどの 周りの景色なんですよ。
少し目をやれば、もともと海岸線に沿って広い広い面積が
ほんとに平野で、高いものが何にも無いんですよ。仙台平野って。
小高いところも無いの。もちろん高台なんてものも無いの。
こういうところばかりなの。これで警報が出たからって逃げろって言われても
どこに行けばいいんだろう?って正直思いました
給油機が倒れてるスタンド。
お食事処だね。これもすべて波がさらっていったんでしょうね。
遠くに見える景色わかりますか?ほんとに平野なので、遠くまで水没したと思える状態でした
こちらは海側へレンズを。木が茂ってる向こう側は 少しはなれたらもう海です
航空大学の敷地には多くの被災して廃車になった車が積んでありました
こういう場所がたくさん
空港から閖上(ゆりあげ)へ 閖上中学校の脇には流れてきた船がそのまま
ここからもっと奥の海岸付近。なくなってしまった場所。よく行った海水浴場や
交通公園、海浜プールなどあった場所へは 行っちゃいけない気持ちがして行けませんでした
閖上大橋 ここはすっかり波にのまれたと聞きましたが
どんだけ高い波だったんだろうと 奥に見える穏やかな太平洋を見て思う
仙台市若林区荒井方面へ抜ける。本来は稲穂が出てきた田んぼがずっと広がってる場所です
空港から東方面 松島や石巻へ行く有料道路
仙台東道路が高くなってるので
それが堤防がわりになり、東道路より海側はほとんど津波にやられてしまって
それ挟んで内陸側はあまり影響が無かったようです
それが 5ヶ月経っても感じられるほどでした
母校。。ここも東道路が無かったら浸水はしていたと思う。
私は第1期生だったの。新設校で。もう20年以上経つんだ。かなり古くなってた
当たり前だけど。
田んぼの上なので、この周りの道路はかなり隆起や陥没してて、マンホールが浮きあがってたり
道路に立ってる電柱はどこもかしこも傾いていました。
ここでも 壊滅的被害をうけた 子供ともよく行った深沼海岸やその地域荒浜には
行っちゃいけない気がして。。
実家へ。
実家そばの再開発地区。新興住宅地になる予定だった場所に
仮設住宅がたくさんできてました
2日はお友達と会うのに 車で実家から仙台の駅周辺へ行きました
実家周りや駅前は、もう約5ヶ月経って
震災があったなんて信じられないくらい
普段の日常がある感じ。お店もだいたいはやっているし
うちの周りは 津波の被害は無いので。
だけど、いたるところ、道路はびっくりするくらいガタガタしてたり
瓦が無いから、みたいだけど 屋根にブルーシートがかぶってるお宅が
ほんとうに多かった。
黄色いテープで塞がれたビル1階や、やってないお店も途中に見かけたり
あちこちに 頑張ろう東北! の ノボリやポスターを掲げてるのを見ると
本当に不思議な気持ちがします
壊滅的被害を受けた、本当に一面無くなってしまった場所には
気軽に行っちゃ申し訳ない気持ちがして行けなかった
そんな場所もたくさんあるだけに
みんな頑張ってるでしょうから
頑張ろう!ばかりのポスターも変な気分だし、いっぽう自分やそこのお客さんたちは
優雅にホテルでランチしてる現実。。だし
このギャップに不思議な複雑な気持ちもしました
3日。 両親と子供たちと松島へ
これは松島地区の被害のよう。
松島も震災で津波の被害があったけれど
この島々が緩衝材の役割のようになり、比較的 被害は少なかったところです
でも車がひっくり返ったり、道沿いのお土産屋さんは軒並み
一階は浸水したもよう。写真がどのお土産屋さんにも貼ってありました
遊覧船乗り場も津波で水があがって 福浦橋も橋脚が曲がってしまったりしたようです
平日だったからだけど 観光客が少ない気もしましたが
昼過ぎには観光バスも多く駐車してたり お土産屋さんも人が出てましたよ
一部義援金になるそうなのでこちらを。。マグネットとボールペン
みんな頑張ってます 東北!
松島から塩釜へ行く遊覧船に乗り 父だけは車で塩釜へ行って待って。
船から塩釜港方面を。。塩釜港は5,6mの津波がきたらしいと
船の中の売店のおばさんが話してくれました
津波の被害が目に見えてわかります。
この大きな漁船2つは まだ片づけられずにうちあがったままなんだって。
父が待ってた 塩釜港の駐車場 この辺も工場が多かったし
民家もたくさんあったけど、どこの1階も無くなってました
父が家に帰るルートを間違ったのもあったんだけど
昔 行ったことのある 菖蒲田浜のほうへ行ってみようと。
車の中からだけど、ここは七ヶ浜町。壊滅地域でした。
土台のコンクリートだけで あとは何もない。
道路も寸断されてる場所も 陥没して水が溜まったままのところも多くありました
海のそばでは無い場所までも、↑ これ屋根だけが流れてきて残ってる感じ
この一帯も車もそのままだったり がれきも残っています
海が見えないんだから驚く。川を逆流したのかなぁ?
津波がそれほど大きかったことかなぁ?
だいぶ離れた場所のように感じたんだけど、津波の影響はあったようでした
まだこんな状態なのに、少し小高いところは大きなスーパーもあって
お家とかもキレイだし、小学生たちがたくさんお店の前にいたりして
すぐ後ろまで津波がきてた場所なんて、そのまま残された状態の場所なんて
なんかここでもそのギャップに驚きが。
多賀城も津波の被害が大きかった場所
ハッキリとその影響は目に見える
多賀城イオンが津波に襲われていく様子をYTで観たけれど
そのへんも本当に建物は残っているけど 1階は水没したんであろう
建物、民家がとても多かった
父の元職場の方、仙台新港あたりもまわり
あの日直後、両親が片付けを手伝いに行った時は道にガレキや車が山積みになり
車が通るのも大変だったみたいだけど
母が あら~~キレイになったごだ~!って言うくらい
いまはそのあたりはキレイに片付けられ、驚いてました。
近くにキリンビールの工場があり、あの時はビールケースやら
商品のビールも 足の踏み場もないほど散乱していてすごかったと。
もう工場の人が 持っていってください!!って、
その飲料たちをもらいに(拾いに)きてる人も多くいたんだって。
震災当日、会社屋上から車が枯れ葉のように流されていくのを見ていた同じ駐車場に
たくさんの車が駐車されていて
何もなかったかのように整備されているところもあれば
1階は全部水没したであろうベニヤ板が貼られた
綺麗な新築一戸建てがならぶ新興住宅地や
こんなところまで水が?と驚くところまで
流されてきたんだろう車が点々と放置されていたり
片付けが進んだ場所と手付かずの場所と
差がありすぎるのです
津波の威力の恐ろしさは5ヶ月経っても そのまま感じられた気がします
でも…所詮私は ひとごとのように思ってるから こういうことができるんだろうか?とも思えます。
人の気も知らないで!と思う人もいるでしょうね。
仙台でのいままで行ったことのある場所が様変わりしていた。
でも、その様子は見に行けなかった。現実見るのも怖かったし、興味本位で行ってるんでしょ?って
そんな気持ちもあるからか、すごくすごく冒涜してるような気持ちもして。
被災住民以外立ち入り禁止でもあるし。
チビとパパが去年行った深沼海岸、パークゴルフもした。きっともう無い。
高校のとき 自転車で何度か行った深沼海岸。
こんなひどい災害があったこと忘れちゃいけない、って気持ちだけは持ち続けていなくては。
まだまだ復興なんかしてない。
よくツイッターでも見る。被災地じゃないよ。復興地なんだよ。
瓦礫じゃないよ、板1枚でもそれまでは誰かの宝だったんだよ。
被災してない自分たちが気づかないこと、ひとごとだと思っていること。
きっとあるんだと思う。
ここまで、自分の気持ちだけ書いてきたけど
言葉足らずで傷つけてしまったかた、気に障ったかたがいらしたら ごめんなさい
まだまだ5ヶ月なんだよね。何も状況が変わってないひと、状況が悪くなってるひと
たくさんいるんだろうね。
長い道のりだけど みなさんに心からの笑顔が戻る日を。早くくることを願って。
またYTで 津波の映像観たりして。
これもアップするのも考えてしまったけど。。
自分の気持ちをいつも残していたのでアップします