大恐慌さなかの1932年8月1日。チロル地方の小都市ヴェルグルが舞台です。ヴェルグルの当時の人口は4300人。ウンターグッゲンベルガーという元鉄道工夫の町長は、1500人を雇用し公共事業を開始します。道路、橋の建設、スキーのジャンプ台など観光地開発が目的でした。町は賃金の支払いのために、町独自の地域通貨を発行しました。町の職員の給料の半分も、地域通貨が支払ったそうです。この地域通貨(「労働証明書」といったそうですが、国の通貨シリングと同価値とされました)には、一つの工夫がされていました。それは、月がかわる度に額面の1%相当の印紙を貼らないといけない決まりです。この紙幣を持っている人は、月末には印紙を町当局から買って貼り付けないと無効になってしまうのです。町は、印紙の売上を貧困者対策に限定して使うことにしていました。
この結果、「労働証明書」は猛烈な勢いで町を巡り始めました。持っているうちに月がかわると印紙代だけ損になりますから、できるだけ早く「労働証明書」を使ったほうが得です。
こうした循環の結果、町はたった4ヶ月で10万シリング分の公共事業を実施し、税の滞納は消え、税収は以前の8倍になり、30%を超えていた失業率は低下し、ほぼ完全雇用を達成したと言われています。
ヴェルグルの奇跡は、内外で評判になり、多くの経済学者が取材に訪れたそうです。米国の経済学者アーヴィング・フィッシャーもそうした中の一人でした。フィッシャーは、負債デフレの指摘で有名です。
しかし、オーストリア政府がこの実験を潰しにかかります。政府は、貨幣の発行権は国の独占的な権利であるとし、ウンターグッゲンベルガー町長を国家反逆罪で告発します。裁判で、国の主張は認められ、開始後1年ほどで「証明書」は回収されました。ヴェルグルの失業率は、また30%近い高率に戻ったそうです。
これは究極のインフレ誘導政策です。
貨幣の価値が年で12%下がるということで、貨幣の退蔵が減り消費が活発になり町は完全雇用を達成できました。ヴェルグルの町民は不幸だったのでしょうか?