デフレギャップの知識がない人が政治家にもマスコミにも溢れかえっている。
潜在的に財やサービスを作りだすことのできる能力を潜在GDPと言います。
しかし、財やサービスの需要者が潜在GDPまで需要しない状況が10年以上継続している。
つまり、モノやサービスは溢れかえっているのに、それを消費するインセンティブがない。
よって価格は下がり続け、失業者が若年層を中心に出現する。そういう悲惨な状況である。
震災前、内閣府の試算ではこのGDPギャップが20兆円はあるようだ。
つまり、20兆円分の需要が新たに出現しても価格上昇圧力にならない。
復興国債の初期費用は少なく見積もっても20兆円は必要である。
政府がおカネを刷って需要を担保しても価格上昇圧力にはならない計算になる。
しかし、このGDPギャップの計算は信頼できるのか?
例えば、デパートを考えてみよう。
お客の入りが少なく、従業員がぶらぶら暇そうなデパートと好景気に沸きかえり、従業員が
忙しそうに走り回ってるデパートでは、同じ従業員の生み出す生産性、つまり付加価値は雲泥の差だろう。
この内閣府の試算はGDPギャップを低めに計算している可能性がある。
人間、忙しければとてつもない知恵とパワーを生み出すからだ。そういうものはこの計算には入ってない。
人々が失業する、貧困に陥る。
ある国では働きたくても働く場所がない、一方ある国では働く場所はあるが需要がない。
この差は決定的だ。
他の貧困国は生産性が低く供給力不足によるインフレに悩んでいる。
しかし、デフレギャップを埋めることは簡単だ。
政府が直接需要を担保する財政政策と民間のインフレ予想に働きかける金融政策を駆使して
需要>供給になるまでこの政策を継続すればいい。
必ずインフレになる、ターゲットを決めて高邁なインフレになれば引き締めればいい。
こういう経済の安定化政策というか、総需要管理政策を決定的に否定しているのが
与野党問わない政治家と日銀、官僚たちである。そしてそれを煽るマスコミ。このザマは何だ?
全く日本は不幸な国なのだ。
日本人はもっともっと豊かな生活を享受できる。これは間違いない。