こんにちは、良さんです。
読者の皆様から、良さんはパチンコはしないの?と、質問がありました。
良さんの父親がパチンコ大好きで、趣味はパチンコだけという人でしたので、
昭和40年代からパチンコ屋には出入りしていました。
その頃のパチンコは、チューリップ台で、
昭和50年代に入って、はじめてフィーバー台が出現しました。
フィーバー台が出るまでは、1台4000円くらいで終了台になり、
強制的にその台は打てなくなりました。
夕方くらいに終了台の開放がくじ引きで行われ、
カウンターにお客さんが並んでくじを引いていた光景が思い出されます。
田舎のパチンコ屋に行くと、まだ指ではじくパチンコ台も残っていました。
もっと昔は、パチンコ玉を1個づつ左手で穴に入れながら
右手でレバーをはじいて遊戯していましたが、
そのころは今と同じ、球は自動的に送り込まれる装置がついていました。
フィーバー台が現れると、パチンコ屋の様相が変わりました。
当時のフィーバー台は、出玉の規制もなく、
一度大当たりすると、開いたチェッカー内の継続穴に入れば、
何ラウンドでも継続しましたので、
バケツが用意されていたりしました。
これ以降、フィーバー台の全盛期となりますが、
フィーバー台が好きではないファンのために、一発台が出ました。
飛び込みにくい穴に入れは、ほぼ終了まで出っ放しという、あれです。
昔、センターフラッシュという似た台がありました。
中央部分に飛び込みがあり、そこに入ればチューリップが開きっぱなしになり、
両サイドにあるアウト穴に入るまで開き続けるという台でした。
一発台は、よほどのことがない限り、終了まで安泰でしたよね。
1発で1万円超のゲットでした。
押し付けゴトや傾けゴトが流行りましたよね。
ハネモノが出たのも、昭和48年ころでした。
初代はたしか「ゼロタイガー」でした。
継続回数は15ラウンドまででしたが、1ラウンドの入賞球に制限がなく
かなり出た記憶があります。
ヤクモノでは、今も「海物語」として進化した、
「ギンギラパラダイス」が出ました。
初代は3回権利のヤクモノでした。
2回目3回目がなかなか当たらず、店員に文句を言うお客さんもたくさんいました。
現在のパチンコは、リーチは頻繁にきますが、なかなか当たらず、
イライラがつのる機種が多いような気がします。
昭和の時代のパチンコの方が面白かったと思うのは私だけでしょうか?
俗に言う「ヒラ台」で、終了させて3000円勝ちみたいな。
そんな頃がよかった。
昭和でも30年代の映画を見ると、
パチンコ台の裏側に人が入れる通路が合って、
賞球穴に入っても玉が出ないと、
「お姉ちゃん、出ないよ」と、裏の人に声をかけて、
そんな風景が描かれていたりします。
パチンコは遊戯であって、博打ではいけない。
良さんはそう思うのです。
「アレンジボール」や「雀球」も懐かしいです。
平成になっても、有楽町駅のそばに1軒あって、たまに遊びました。
今もあるのでしょうか?
セピア色の思い出です
それでは、良さんでした。