こんにちは、良さんです。
今日は中洲のソープランドについて書きます。
昭和の時代のソープ、まだ「トルコ風呂」と呼ばれていたころは、
さすがに知りません。
1970年代の終わりころ、はじめて南新地に行きました。
当時は今みたいに顔見世やネットでの検索なんてありませんから、
運を天に任せて突撃が主でした。
でも、気に入らない姫の場合は、変えてもらうことは可能でした。
気の弱い人は、自分の母親や、ひどいときにはおばあちゃんくらいの方が出てきて、断りきれずにやっちゃったという、悲惨なこともよく聞きました(笑)
そのころは、高級店3万、一般店2万、大衆店1万くらいでした。
もっとも、高いほど入浴時間は長かったですが。
そして、昭和50年代後半に、今もある「蔵屋」が、総額4万でオープンし、
高級店4万~5万、一般店2万~3万、大衆店2万未満という図式が生まれました。
ソープランドの有名エリアは
札幌すすきの、東京吉原、岐阜金津園、滋賀雄琴、神戸福原などなどですが、
中洲で働く姫たちは、地元九州が最も多いのですが、吉原から流れてくる姫が意外に多かった記憶があります。
平成に入り、それまでは個人ビルがほとんどだった南新地に、ソープビルが建設されました。
そのころから、地元メインだったソープオーナーに、吉原やすすきのの資本が入り始め、今の店舗構成となりました。
一番中洲が元気だった昭和50年代後半から平成にかけて、
中洲の風俗専門雑誌も刊行され、顔出しの姫もぞくぞく出てきました。
このころは、雑誌を見て気に入った姫を決め、電話予約してから行くのが主流でした。
今みたいにとんでもない修正が入ったりはしていなかったので、安心でした。
人気の姫は、出勤一日中予約で一杯なんてこともありました。
良さんは、当時中洲でも人気の姫と、プライベートで3年ほどつきあっていましたので、
姫たちの裏話にはかなり詳しいです。
まあ、ソープ業界に入ってくる姫たちは、なにがしかのやんごとなき理由を持っていますので
「なんでソープで働いてるの」とか、「出身、前職は」などのプライベートな話は、
よほど仲良くなって、姫から話を振ってこない限りは、やめた方が無難です。
あと、プライベートでお客さんに偶然会って、話しかけられるのも困るみたいです。
まあ、姫たちは我々にとって芸能人、女優さんと同じですから、
遠くから見守り、自分の前で演技してくれる時は、思い切り遊ぶのがいいですね。
それでは、良さんでした。