こんにちは、良さんです。
昔から、男の遊びは「飲む」「打つ」「買う」と言われます。
「飲む」とは、お酒のこと
「打つ」とは、博打のこと
「買う」とは、女(娼婦}のことです。
今日は、これらすべてが詰まった中洲という町が、昭和のころのお話をします。
中洲は、ご存知の方も多いでしょうが、
福岡県福岡市の中心部で、博多地区と天神地区に挟まれた、
那珂川河口の「洲」のことをいい、
戦後、西日本随一の繁華街として成長しました。
終戦前の博多大空襲で、一面焼け野原となった中洲は、
明太子の本家である「ふくや」の川原さんをはじめ、多くの方々が復興に尽力され、
昭和40年〰50年ころには、中洲1万軒と言われるほどの歓楽街に成長しました。
そのころは、キャバレーとクラブが主流でしたね。
中洲3大クラブと呼ばれた、「みつばち」「あざみ」「ロイヤルボックス」が、
政財界の大物たちで隆盛を極めたのも、このころです。
今の中洲大通り沿いに、ラインビルが何件も建ち、
大通り沿いは普通の店、一本左は「ヌキ通り」南新地は「トルコ街」
中洲に通う人々は、こんな風に認識していました。
平成になってから、ソープランド(昭和ではトルコ風呂)はすべて南新地に集められ、
箱ヘルも主だった店は南新地へと移転しましたが、
このころは、街並みがちょっと違ってました。
明治通りからミスドの角を中洲大通りに入り、50Mほど歩いて左折(川端方面へ)すると
すぐにストリップ劇場がありました。その名も「ロック・ハリウッド」。
当時は「生板ショー」がありましたので、ここで童貞を失った高校生が何人もいました(笑)
そして、その先には、おさわりキャバレー「ハワイ」。
そして、中洲大通りに並行した裏通りを進むと、ヌキキャバ「ロンドン」。
この「ロンドン」チェーンは、最盛期は「A館」「B館」「C館」「D館」と、
4つの店舗があり、深夜のテレビではCMも流れていました。
「楽しいロンドン、愉快なロンドン、ロンドン、ロンドン」のフレーズは、
当時は小学生まで知っていました。
昭和50年代に入って、40年代に栄えたお店も移り変わりをみせました。
キャバクラのはしりである、「スキャンダルレディ」
チェーンスナックの「スイス館」アメリカ館」「イギリス館」
ヌキキャバチェーンの「リップス」などなど
中でも冬野観光グループが強かった記憶があります。
そうそう、「孫悟空」も待ち時間がかなりありました。
「わくわく孫悟空」「ときめき孫悟空」「ジャングル孫悟空」など
お世話になった方も多いのではないでしょうか。
現在の中洲大通りにあるビルで、そのころから変わっていないのは、
多門ビル、エレガンスビル、ラインビル、ジョイフル山本ビルなど、
数えるくらいしかありません。
バブルのころの中洲は、週末になると人出がすごくて、
23時くらいがピークとなり
中洲大通りは人がすれ違うのに苦労するくらいでした。
なつかしいです。
明日あたり中洲に出てみようかな。
それでは、良さんでした。
この次はソープのお話をします。