僕は、「◯◯の代わり」と言う考え方が大嫌いだ。
いや、何かの代わりと言う発想自体が嫌いだ。
例えば、甲と言う人間と乙と言う人間がいて、甲が乙の存在を心の拠り所としていたとしよう。
甲にとっては乙が全て。乙がいなくなった後の人生なんて考えられない。
ところがある日、乙は、ある理由から、甲の前から姿を消さなきゃならなくなったとする。
しかし、乙が甲にとって生き甲斐であることを知っていた乙は、丙に「甲を任せる。私の代わりに甲を支えてやってくれ。あとはお前に任せた」と言い残し、後を去った。。。
果たしてそれで甲はその先生きていけるのだろうか?
もし生きていけたとしたら、それは、甲が他に何らかの生き甲斐を見い出したからだろう。
或いは、甲にとって、丙が欠けがえのない存在になったのかもしれない。
しかし、乙=丙ではない。
甲が、丙を、乙の代わりとして心の拠り所になんて、出来るわけがないのだ。
もし、乙が、本当に自らが幸せに甲をしてやりたい、と決意したなら、乙は甲の前から、決して消えてはならないのだ。
でも、いつか乙は甲の前から消えなきゃならない運命にあった。或いは、いつ甲の前から消えなきゃならなくなるか分からない。
それでも甲を幸せにしてあげたい、幸せになって欲しい。乙がそう切に願うのなら、乙に出来る事は1つしかない。
甲を「乙に依存させない」事だ。
甲にも乙にも辛い事かもしれないが、乙は甲を適度に突き放さなきゃならないのだ。
それは、乙が「甲から逃げる」事とは違う。
甲と一緒に、甲の幸せを目指す以上、甲の乙に対する依存をなくすと言うことは、二人がむしろ越えなければいけない壁なのだ。
例えが極端になったが、僕は、人であれ、モノであれ、大切にしている以上、大切にされている以上、「何かの代わり」なんてない。
TRAITORも、今まで幾度とメンバーチェンジをしてきた。
でも、辞めたメンバーも、今のメンバーも、誰の代わりもいない。
TRAITORと言うバンドではあるが、「あの時の」TRAITORと、今のTRAITORは完全に別物なのだ。
TRAITORはこれからも変わる可能性が皆無とは言えない。
でも、願わくは、このTRAITORがいつまでも続いて欲しいと願ってる。