コロナ感染者を乗せたクルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港してから一年が過ぎたがコロナ禍は一向に収まる気配がない。

 

こうなるとワクチンに頼るしか方策はないのかも。

 

こうした中、付き合いの長かった2人の友人と、家に帰ると真っ先に飛びついて来ていたチワワも亡くなってしまった。

 

このように気持ちが萎え、覇気も落ち込んでしまった時に必ず脳裏に浮かんでくる曲がある。

 

サラサーテ作曲のツィゴイネルワイゼン。

 

初めて聞いたのはヴァイオリニストのヤッシャ・ハイフェツのレコードで、60年も前のことだが、特に第二部の「ハンガリーの月」には日本語の歌詞があったので今でも歌うことが出来る。

 

「望み~があ~れば、別れ~も楽~し、ま~た~会~う日~まで~え、さ~らば~我が友。」

 

ジプシー達が数百年にわたって背負ってきた悲しい歴史。

 

精一杯の虚勢を張って歌いながら友と分かれて旅立っていく情景が浮かんでくる。

 

だから今回も打ちのめされ、内外の色々なバイオリニストのツィゴイネルワイゼンの演奏をYouTubeで聞いたのだが・・・。

 

みなさん元気が良くて、私がこの曲に抱いているイメージとは対局にある感じ。

 

そんな中、2019年の12月にモスクワで行われた「くるみわり人形2019コンクール」でグランプリを受賞した8歳のバイオリニスト吉村妃鞠(よしむらひまり)ちゃんの奏でる音を聴いて衝撃を受けた。

 

 

わずか8歳で人の心を虜にする演奏をするのが信じられず、何度も何度も聴いているが、その度に3人の審査員がアンコールを要求するかのように拍手し続ける様子を観て微笑んでいる。


妃鞠ちゃんが大人になった時の演奏も是非聴いてみたいので、コロナ感染だけは避けなけねば。

 

コロナ感染者数がまたまた増加しているため、何処にも行けないので菜園で燻製を作った。

 

前日に業者用のスーパーに行き、丸鶏・豚バラ肉ブロック・ソーセージ・ホッケやサバなどを買い、ソミュール液を作って一晩漬けて置いた。

 

翌日菜園に行き、隣にある竹藪で適当な太さの竹を切り、インデアンテント風に櫓を組み、針金で固定した2枚の餅網の上に食材を置き、櫓の周りを新聞紙で覆った。

 

 

この作り方は源流のイワナ釣りにハマっていた頃、荷物の軽量化を図るために考案した。

 

燃えやすい新聞紙だが、火をつけると内側は炭化して燃え難くなるので問題なし。

 

 

使う薪は剪定で切り出した梨の木。

 

暗くなるまで時間が余り無かったので火力は上げた。 

 

完成した燻製だけど、火力が強過ぎたためにホッケとサバは真っ黒け。

 

 

豚バラ肉を切ったら中まで火が通り過ぎ。

 

 

丸鶏も同様。

 

 

と言うことで今回は短時間で作ろうと火力を強くしたため失敗したけど、食材を捨てる訳にはいかないので表面に薄く包丁を入れて剥ぎながら食べている。

 

またコロナ感染者が増え出したから外出は控えるようにしているが、菜園や食事にはたまに出かける。

 

菜園に植えてあるニラは3年もほったらかしだから花が咲いて枯れた。

 

九条ネギは収穫時期が分からず放置している間に結構伸びているが細い。

 

生姜は大きくはないが収穫した。

 

里芋も結構とれた。

 

バターカボチャは20個以上とれたが少し食べただけで残りは置きっぱなし。

 

これは紫キクイモで、糖尿病を患っていた友人が6年も前に植えたのが未だに生えてくる。

 

これを食べたら血糖値が劇的に下がって治った、と大喜びしていたが、結局は糖尿病が原因で目がやられ足がやられて3年前に亡くなった。

 

民間療法だけではダメと言い続けていたのだが・・・・一個だけかじって後は焼却処分。

 

外食に行く回数は随分と減った。

 

ちょっと豪華な海鮮丼。

 

蕎麦を食べてケルセチンとルチンを補給してCOVID-19に打ち勝つ、つもり。

 

友人が作ってくれた鶏のレバーを使ったブイヤベースみたいなもので、料理名は知らない。

 

痛風の毛があるのでレバーは控えているけど好きだから止められない。

友人のKに誘われて向かったのは福島県の奥会津。

 

標高700m付近から積雪しているのが見え始め、900mにある小さなスキー場はこんな状態。

 

 

目的地は更に奥の標高1000mを越えるところなので速攻で断念し、かつてナメコを採取したことがある標高が5-600mの沢に変更した。

 

この沢には昭和50年頃から数年間、ヤマメ釣りに通った。

 

森はかつて伐採され、その後に新たに生えたブナの2次林となっている。

 

 

 

昔の記憶を頼りに沢の右岸についている踏み跡を辿ったのだが様子がおかしい。

 

玄武岩で構成されていると思われる黒い10mほどの落差の滑滝が現れたり、流紋岩で構成されているような8mほどの直滝が出てきたりで、落差のみならす水量も多い。

 

ヤマメ釣りで入渓した頃は滝など皆無だったし、その後にナメコ採りで入った時も滝など無かった。

 

こうなるとナメコなどどうでも良くなり、間違っていないかどうかを確かめるため友人を滝の近くに残してナメコを採集してもらい、引き続き沢を遡行した。

 

滝から奥は穏やかな流れが続いたが脳裏に残っている昔の面影がない。

 

長靴の中まで水浸しになりながら1時間ほど辿った後、諦めて戻ったのだが頭の中は混乱していた。

 

入渓した沢を間違えたのか、沢の様相が変わったのか・・・・?

 

林道を車で戻りながら渡った橋の名前と位置、沢と本流合流点にある部落の名前、何一つ間違ってはいない。

 

こうなると沢の様相の変化の原因として考えられるのは2011年7月に起きた只見川豪雨と同年3月にあった東日本大震災の影響。

 

でも、あれだけ落差のある直滝があると言うことは断層がずれた?

 

と言うことでナメコのことはすっかり頭から飛んだため、途中の道の駅で栽培ナメコや特産のトマトなどを買い、塩原で温泉に浸かってから帰宅した。

 

 

いずれにせよ納得は出来ないので来春になったら山菜採りを兼ねて再入渓しようと思っている。

 

ちなみに友人Kはナメコ、ムキタケとクリタケを採ったが量は少しだった。

 

(携帯GPSはガーミンと携帯で使えるgiographicaをインストールしてあったが、無料のせいかいつの間にか使用不能になっていた。)

 

 

 

 

 

 

 

先日、葛飾区のうどん屋で声をかけた野球部学生は法政大学の高田孝一君。

 

ドラフトで指名されるとは思っていたが、前評判は3から4位くらいだとスポーツ紙書いてあったので、3位指名から速報を見ていたら2位に名前があったので調べたら彼だった。

 

当日、本人はパリーグ志望と言っていたので夢が叶ったのではないかしら。

 

また面白いのは今年のドラフトの目玉は早稲田の早川君と言っていたが、その早川君も楽天の1位指名で同じ球団。

 

うどん屋では早川君に対抗心をみなぎらせていたから、お互いに切磋琢磨して公式戦に早く登板してくるのではないかしら。

 

いずれにせよ、なんとも嬉しいニュース。