元迷惑系ユーチューバーである
へずまりゅう氏奈良市議当選の記事を
何気に読んでいて思ったのは
肯定的にコメントしている人物が
取材をしている対象が若年であり
慎重なコメント者が高齢者であるというところ
若年であれば人生経験も浅く
その奥深さの意味や見識がなく
意味の洞察もできない
そのため、希望的観測で良いコメントを
するのは当然で
高齢者は様々な経験から心配して
慎重になるのは当然
記者にはそろそろこのロジックを
逆転させた取材をしてほしい感もある
しかし社会の閉塞感による結果によっての
様々なバイアスのかかり方
情報化で目立ちたくないと思ってしまう視点
社会を守る人たちが減っていく中で
少しでも頑張っている人が頑張れる
社会であってほしいと願う
見えないところの努力は
たぶん、普通の人には見えないのだろうと
なんとなく思う
へずまりゅうという人物はよく知らないし
本質は人間は変わらないと思うが
もし仮に、この選挙のために数年前にわざと
事件を起こして知名度を得ようとしていようとして
本当は良くしようとして戦略的にしている人物だとしたら?
もしかしたら数年単位で努力している人が
どこかにいるのかもしれないと
志高く持つ人物を
まだこの日本社会のどこかにいると信じつつ
いい天気だな明るい
今日は透析だ
構えず、ゴミ屑のような俺の
あるがままの姿で
病院スタッフの
お世話になりに行く
またな
参照元記事↓
