なぜブログをかくのか?
やはり何かを残しておきたいと本能で思うし、歴史的に見ても
書籍で残してくれた障害を持った先輩たちの書籍には
金言が多々あり救われる思いだった
俺のような屑はなにも言えないが少なくとも長く障害者を
生きてきたというキャリアはあるだからこそ思うこと言える
切り口があるかもしれないと思い模索する
何度もブログは挑戦しようとしてきたし
いろんな人たちのブログや日記やホームページを30年近く見てきた
でも、難しいなとやはり思う
友達を作りたい、記録しておきたい、何かの時に書き残しておきたい
様々あるが、
本当は、いろいろ感情の吐露や医療現場の暴露をしたいことも
沢山あるのだろう、でも、したくてもできない
するときはおそらく、病院の移動か裁判か死を覚悟した時だろうが
細かく書き記せば、透析の仕組み上、ブログ主を特定されかねないから
書けないとゆうことになる
しかも、体調の難しさで、継続的に書くのも社会的に活動することも
難しいい場合もある俺がそうなのだが、やはり最後は文章しか向き合うことは
難しいのかなと感じる
透析室の特殊性と題したが
言いたいことは人間関係の難しさに尽きる
数時間の交流と死ぬまでの時間の関係、
そして、スタッフさんの忙しさや入れ替わり、周りの患者さんの人間性に対しての
意識の持ち方や配慮、複雑である
一番難しいのは、「人との距離感」である
距離が遠すぎても寂しくもあり気持ちが届かず、言葉をかけずらくもなり勘違いも出てくる
近くなり友達感覚になれば、今度は悪意なのかジョークなのかわからないというより、
体調の変化で精神的に影響が来ることがあって落ち込んでいるときには軽いジョークも
付き合えないと感じることがあり、相手が家族なら感情的になっているような言葉はよくある
でもスタッフは家族ほどの信頼を築くのは難しくやはり
距離をとることが正解となってしまう
俺ならではかもしれんが、スタッフとの距離が近づくほど
人間味の温かさや心地よさに帰宅してから寂しく切なくなる
それが、強くなるだから初めから距離をとるようにしている
スタッフは何度もコミュニケーションを試みてくれているのは伝わっています
とても嬉しく思っているけど応えられない自分が悲しい
とまあ、すんごく意思の疎通は難しい
いくつもの社会問題と人間の感情と思考のレイヤーが重なり
雑談自体が難しい
医療現場の医療人の問題・・・無論見てきているし
被害を被ってきています
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
でもね、
悪意のあるスタッフはいなかった
むしろ、オーバースペックじゃね?
ってくらい、頑張ってくれてるようにしか
少なくとも俺の眼には見えなかった
ケアレスミスはまーしゃーねえ、
本当はもちろんよくないよ^^;でもしゃーないんだよ
問題は、作為的にやられた医療行為に対して
どのように向き合うかだが
難しいが、医療側に対する理解も必要だ
今の日本の現状、人材不足、薬の難しさ医師としての経験、判断
おそらく、透析患者におきることに対しての答えを出すことはまだ
難しそうだ、最低限の医療マニュアルや統計的データに基づく判断はできても
複合的な患者の症状に対して厳格な判断、絶対的に言えることは難しいだろう
そうなったとき、あと患者側ができることは
自分の身は自分で守ること
透析を継続していく中での身体感覚の経験値とでもいうのか
それを大事にして食事の精神的に落ち込まない程度、筋力が落ちない程度に食べる
リンはある程度オーバーしても死なないがカリウムは間違いなく死ぬ
全身の痺れはやばいので気を付けつつ、自分で判断して食べる
ただし、自分の判断はもちろん自己責任だ、何かあったときに医療人の責任にするわけにはいかない
ある意味、先生たちが患者にとって難しい選択や判断、決断を背負って引き受けてくれていることが
多くあることを我々患者も知っていなければならないだろうなと思う
殴り書き勘弁、腹減ったから置いてあるコンビニのハンバーグ弁当かじる
またな
医療人も最善を尽くし
患者も最善を尽くす
その先に最高の医療があると思う