老子によれば、真に本質的なものは虚のうちにしかないというのである。たとえば、部屋というものの実質は、屋根や壁それ自体にではなく、屋根に囲まれたからっぽの空間にある。また、水差しが役に立つのは、その形や材質によるのではなく、水を容れる空っぽの空間によるのである。
(岡倉天心『茶の本』より)
人間にもありますよね、そんな空間が。
体の真ん中に。
いっぱいになったり、からっぽになったりする大切な容れ物。
それを詩にすると、こうなります。
こころ
おかあさまは
おとなで おおきいけれど、
おかあさまの
おこころは ちいさい。
だって、おかあさまは いいました。
ちいさい わたしで いっぱいだって。
わたしは こどもで
ちいさいけれど、
ちいさい わたしの
こころは おおきい。
だって、おおきい おかあさまで、
まだ いっぱいに ならないで、
いろんな ことを おもうから。
(金子みすゞ)