生きるとは。愛とは。 ─『人魚の眠る家』(東野圭吾)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 プールで溺れ、小学校入学を目前に、“おそらく脳死”という状態になってしまった瑞穂。脳死判定をして臓器提供の道を選ぶのか、そのままの状態で生かし続けるのか、悩む父・和昌と母・薫子。結局二人は、最新技術を使って、生かし続ける道を選びます。その技術を用いれば、意識のない瑞穂の手足を動かすこともできるのでした。

 

 それから、瑞穂の命をめぐって、いろいろな立場からの思いが錯綜します。

 

 祐也君、あれがあなたの守りたい世界なの?その世界の先には何があるの?(技術者である祐也の恋人・真緒)

 

 人の身体を電気仕掛けにしてしまうなんて、神を冒とくしとるような気がする(瑞穂の祖父・多津朗)

 

 「…でも一番大事なのは、御自分の気持ちに正直であることです。人の生き方は論理的でなくともいいと思うのです。」(特別支援学校の教師・新章房子)

 

 「この世には狂ってでも守らなきゃいけないものがある。そして子供のために狂えるのは母親だけなの」(薫子)

 

 事故に遭う前の瑞穂は、四つ葉のクローバを見つけても、「瑞穂は幸せだから大丈夫。この葉っぱは誰かのために残しとく。会ったこともない誰かが幸せになれるように」と言う子でした。

 そんな優しく愛らしい少女・瑞穂は、「人形」ではなく「人魚」。魔女に声を奪われながらも、人間への愛を語りかけるアンデルセン童話『人魚姫』を思い出します。

 言葉を発することのできなくなった人魚姫・瑞穂が、私たちに語りかけているようです。

 生きるとは何か、愛とは何か、ということを