蟬は、地上に出てから七日間でその生を終えると言われています。
もし、八日目に生き残った蟬がいたとしたら、その蝉は幸せなのでしょうか。
それとも、周りとはちがう自分に悲しみを感じるのでしょうか。
妻のいる男を愛してしまった希和子。希和子は、その夫婦の赤ん坊・恵理菜をさらって逃げます。どこまでも逃げのびることができたなら、本当の母になれるような気がして。
しかし数年後、希和子は逮捕されます。
一方で、もとの家族へ返されるものの、どこか違和感の拭えない恵理菜。そして、成長した恵理菜もまた、妻のいる男を愛し、彼の子どもを身籠もってしまうのでした。
父親のいない子どもを産むべきかどうか。母親の愛情を知らない自分が母親になれるのか。恵理菜は悩みます。
そんな恵理菜を決心させたのは、おろすつもりで訪れた産婦人科の、白髪の先生の言葉でした。
「病院に調べにいったときも、その場で手術の日取りを決めるつもりだった。だけどね、千草、おじいちゃんの先生がね、子どもが生まれるときは緑がさぞやきれいだろうって言ったの。そのとき、なんだろう、私の目の前が、ぱあっと明るくなって、景色が見えたんだ。海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて大きい景色が見えた。今まで見たこともないような景色。それで私ね、思ったんだよ。私にはこれをおなかにいるだれかに見せる義務があるって。」
(角田光代、『八日目の蟬』より)
大それた事件を起こした希和子なのに、そのせいで悲しみを背負っている恵理菜なのに、二人の母性、子どもへの思いの強さに、希望を感じます。
『八日目の蟬』─ 七日間では見られなかった新しい光を予感させる物語です。