江國滋さんが、日本語の乱れを縷々綴った一冊です。
例えば「オバさんする」「主婦する」などの気色の悪い語法を「ことばのチンピラ」とこき下ろします。
また、道路交通法施行令にある「人の形の記号を有する青色の灯火、人の形の記号を有する青色の灯火の点滅及び人の形の記号を有する赤色の灯火の信号を連続して表示する場合 人の形の記号を有する青色の灯火、人の形の記号を有する青色の灯火の点滅及び人の形の記号を有する赤色の灯火の信号の順とすること」については、「なんじゃ、こりゃ。青巻紙赤巻紙黄巻紙じゃねえてんだ。」と一刀両断にします。
私も「うん、うん、確かにそんな日本語は許せない!」といたく共感しながら読んでおりましたが、一つ、「あ、自分もやってしまっていた…」という事例がありました。
貧乏人は麦を食えといって物議をかもした総理大臣が、総理大臣になる前だったか、なってからだったか、アメリカに出掛けて「エケチット」といった。あのときもおもしろがって、バカにして、何度もマネしているうちに、エチケットというべきときに、エケチットのほうが口をついてとびだしそうになって困った。
(江國滋、『日本語八ツ当り』より)
私が中学生の時の理科の授業で、ある子が、ナフタレンのことを「ナフレタン」と言い間違えました。ここぞとばかりに、友人たちと「ナフレタン、ナフレタン」とその子をからかいました。
そのうちに私は、「ん? ナフレタン? ナフタレン? どっちが正しいんだっけ?」とわけが分からなくなってきました。(今、このことを書いていても、「どっちが正しかったっけ?」と事典を調べる始末です。)
これも「言霊(ことだま)」なのでしょうか。言葉にした通りの自分になってしまいました。
だから、もっと優しい言葉を口にしなくちゃ。「ナフレタン」はもう手遅れだけれども。