磯田道史さんの『無私の日本人』に取り上げられている人物の2人目は、中根東里(なかねとうり)です。
中根東里。有り余る詩人の才能をもちながら、自分の形跡をひたすら消そうとした250年前の思想家。彼の書物の行方は知れず、そのため、今はほとんど忘れられてしまったかのような中根東里ですが、ゆかりの町・佐野に、彼は息づいています。
佐野の人々は、彼のことを忘れていない。佐野の町で、ふと出会った老人に道をたずねたが、
「東里先生でしたら、あちらのお寺におられました」
と、まことに丁寧に教えてくれた。
そして、その老人は、まるで大切なことを打ち明けるかのように、こうつけ加えた。
「ほんとうに立派な方でした」
静かな口調であった。その穏やかな声の響きが、いつまでも耳底にのこって、忘れられない。
思い浮かんだことがあります。
古本屋の店主さんたちです。
「古本に導かれて」で紹介した古本屋に私が訪れていた時、配達屋さんが店にやって来て、「隣の〇〇さんは、留守かなあ。知りませんか?」と店主さんに訪ねていました。店主さんは「〇〇さんは、今日、□□に行っていますから、おりませんよ。」と答えていました。近所の人とつながり、地域の中の書店というのがよく伝わってきました。
「古本に導かれて その2」で紹介した古本屋には、私が本を眺めている間に、近所の方が何かの立て看板を持ってきて、「この色でどうかのう。もっと~したほうがええかのう。」と相談にやってきました。店主さんが、地域の人に頼られているのがよく分かりました。
この二つの書店が、広く知れ渡っているかと言われれば、決してそんなことはありません。しかし、長く地域の人に愛され、長く記憶に残っていく書店であることに間違いはないでしょう。あたかも中根東里のように。
二人の店主さんが幸せそうだったのは、大好きな本たちと、あたたかい地域に溶け込むように暮らしているからかもしれません。