照れ隠しされている人間愛 ─『風の歌を聴け』(村上春樹)─ | 出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

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「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 『風の歌を聴け』を読んで、「『羊をめぐる冒険』に登場した『鼠』がここにも出ている!」なんて思いましたが、逆ですね。ここに出ている「鼠」が、『羊を─』にも出てくるんですよね。どうも読む順番を間違えたようです。『羊をめぐる冒険』を先に読んでしまっていました。

 

 村上春樹さんの「鼠三部作」の最初の作品、『風の歌を聴け』。デビュー作でもあるこの作品は、小説でありながら、「私はこんな小説を書いていく」という、村上春樹さんの宣言のように感じました。

 

 村上春樹さんの小説を特徴づけるものとして、まず、巧みな比喩表現が思い浮かびます。『風の歌を聴け』も、その魅力を携えています。

 ・・・夏の香りを感じたのは久しぶりだった。塩の香り、遠い汽笛、女の子の肌の手ざわり、ヘヤー・リンスのレモンの匂い、夕暮れの風、淡い希望、そして夏の夢・・・。

 しかしそれはまるでずれてしまったトレーシング・ペーパーのように、何もかもが少しずつ、しかし取り返しのつかぬくらいに昔とは違っていた。

 この作品の中で、私がもっとも好きな比喩です。

 

 そして、村上春樹さんらしい、世の中を客観的に、クールに眺める雰囲気も味わえます。

 あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。

 

 ただ、私がふと感じたのは、比喩に飾られ、ニヒルに人生を眺めているように見える村上文学の、その奥に潜む「人間愛」です。

 

 作品の中の「僕」は語っています。

 高校の終わり頃、僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した。理由は忘れたがその思いつきを、何年かにわたって僕は実行した。そしてある日、僕は自分が思っていることの半分しか語ることのできない人間になっていることを発見した。

 

 村上春樹さんを「僕」に重ねるとしたら、その「語られない半分」とは何か。

 それが、作品に登場するおちゃらけた雰囲気のラジオDJが、ただ一度だけ真剣に語る次の言葉にあるように思います。

 

  ・・・山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久し振りだった。でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておくれよ。

 

 僕は・君たちが・好きだ。

 

 村上春樹さんの作品が多くの人に愛されているのは、村上春樹さんが人を愛しているから。それは、普段は飾られた言葉の中に、恥じらうように隠れているけれども、ふいに見せる「人間愛」が一層読む人の心を打つから。

 私は、そう思います。