『ごんぎつね』と出会いました。
緑の小道さんのブログで。
『ごんぎつね』の物語は、全体を通して静かな色合いで描かれています。
しだのいっぱいしげった森の中にすむ「ごん」。
事件の発端となった季節、「秋」
ごんが、兵十と加助のあとをついて歩く「月夜の晩」
そして終局、「青いけむり」・・・
そんな物語の途中、彼岸花の赤が、一瞬際立ち、そして消えていきます。彼岸花は、『ごんぎつね』の物語のせつなさを象徴している存在です。
この彼岸花について、先日、次のような新聞記事が掲載されていました。
彼岸花を見ると新美南吉の童話「ごんぎつね」を思い出す。いたずらでウナギを盗んだ子ギツネごんが村の葬式に行き会う場面だ。墓地に火炎に似た花が「赤い布のように咲き続」き、葬列が去った後、踏み折られている。・・・倒れた彼岸花は、哀れな最期の予兆でもあった。
・・・墓地に植えられたのは土葬の遺体を(彼岸花の毒をもって)モグラから守るためだった。不吉なイメージには墓場の風景が重なっている。
火葬が行き渡り、そうした文化的背景も薄れた。今では秋の訪れを告げる花として、一面の群生をめでる土手や公園が各地にある。外国人も美しいと感じこそすれ、死や不吉を連想することはないらしい。
・・・動物で人間だけが死者を弔う。彼岸花の赤から陰影が完全に消えたら、ごんぎつねの悲しみも伝わらなくなるだろう。
(毎日新聞「余録」2018.9.24より)
『ごんぎつね』は、小学校のすべての教科書に掲載されている物語です。
だから、どの子もこの物語を知っている。
でも、知ってはいても、いずれ、この物語の陰影を感じられなくなってしまう日が来るのかもしれない。
『ごんぎつね』の原風景、そしてそれを支えている日本の文化、日本人の感性も残っていってほしいと願うばかりです。
緑の小道さんのブログに、「『ごんぎつね』大好きです」というタイトルでコメントを送ったところ、「自分にとっての『ごんぎつね』は、『好き』というよりも『愛しい』なんです。」とのお返事をいただきました。
そうか、“愛しい”か。いい言葉だなあ。ぴったりだなあ。ほんとに言葉を感じて、選んで発信されているなあ。
そして、昔読んだ、田中章義さんの短歌を思い出しました。
緑の小道さんと同じ、言葉を深く感じている世界から生まれたのだと思います。
せつなさと淋しさの違い問うきみに口づけをせり これはせつなさ