「流れる雲よ」大阪公演、

9月23日、9月24日。
     

    
実は、この9月23日、24日は、特別な日なんです。

  

    

   

「流れる雲よ」

立ち上げからのプロデューサーだった、立川亜美さんは
2012年の9月23日に、facebookで、和歌山の熊野の風景と雨のエピソードと共に、

「新しい一日、誰かの幸せのために役立てますように」

と言う言葉を書いて投稿していました。


そして、その翌日9月24日、

大変残念なことに、交通事故でお亡くなりになりました。

実は、僕の誕生日です。
この日、僕は友人と熊本、天草で、誕生日旅行をしており、
その報告もfacebookにUPしていたため、どこからも連絡が来ず、
翌日になって、

「昨日は連絡ができなかったけれど・・亜美さんが・・」

と、最初は、朝活の池田千恵ちゃんから電話が入りました。
僕は、鹿児島に向かうバスの中にいました。
 
あれから、11年。
初めて、流れる雲よ、の舞台で、
君が代を歌います。


あなたが、人々へ最後のメッセージになった、

「新しい一日、誰かの幸せのために役立てますように」

と書いた日、
   

  
そして、天に召された日

あなたが人生をかけた、
「流れる雲よ」
は、あなたがいなくなった後も、たくさんの人に感動を与え、
ずっと、生き続けています。

 

 

そして、この「流れる雲よ」に、大きな情熱を注いだ女の子がいました。
長い闘病の末、今年2月22日に天に召されました。

佐竹芳織ちゃん。
京都でライブがある時は、お母様と一緒に必ずきてくれた。
もともとは、お母さん、が僕の友人なので、
最初は、友達の娘、だった。
    



悲しく送るまい、寂しく送るまい、
と、みんなでパーティーのようなお葬式になって、
ご遺体の横にすわって、何曲か歌って、、

当時は寒さもあってまだコロナの後遺症がかなりひどく、
家に帰ってからも、少し辛い時は、
  
芳織ちゃんを思っては、絶対に負けない、
この程度の体の辛さで、俺は絶対に負けない、 

負けたら芳織ちゃんに恥ずかしい、
そう思って頑張ってた時期もありました。

 

 
石垣島以降くらい、本当に体調は劇的に回復して、
芳織ちゃんに、支えられてたな、って思う。
  

 
 
芳織ちゃんと、亜美ちゃん、に届くように、
 
「流れる雲よ」の前に、我が国「日本」の美しさ、が、
観客のみなさんに、響くように。

日本人である誇りと、感謝を込めて、

国歌「君が代」 歌わせていただきます。


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残席、23日夜公演だけになってしまいましたが、
23日夜でしたら、まだわずかながらチケットあります。