人の一生にはいくつもの岐路がある。
僕一人、の今までの人生の中でも、自分の意志を関係なく予定していた道が突然折れ曲がった事もあるし、自分自身で進んで選んできた道もある。

 



自分で道を選ぶとき、いくつもの要素が折り重なってきっかけを作り出していたりするから、
どう言う理由で、と単純に選択理由を話せるものではなかったりする。

お話と生弾き語りの会、

では、僕の半生、を大筋に話しているけれど、4回やってみて、4回とも違う話が出てきた。
今日はこの話をしよう、って決めているわけではなくて、その場で、思い浮かんだ事を話すと、話しながら、

「ああ、これはあの時のきっかけとして存在していたのだなぁ、、」
なんて、自分で気づいたりする事もある。
    

    
そして、まだまだエピソードのストックはある。限りなくある。
自分の脳にこんなにもたくさんの記憶が眠っていたのか、と自分で驚いてしまうくらい。

        
      
今「とにかく明るい安村」さんが、イギリスのオーディション番組で、大人気になって話題だけど、、
安村さんにとっても、『ブリテンズ・ゴット・タレント』に出演した事は、一つの大きなきっかけになるんだろう。
  
あの番組、実は、オーストラリア版もあって、オーストラリアに住んでいた時代、大好きでよく観ていた。
素晴らしいパフォーマンスをする出場者もいれば、どちらかと言えば、
「お笑い」的に、そんなパフォーマンスで出てきちゃう「勘違いな人」のを馬鹿にするような趣旨の部分もあって、
そう言う辛辣さも一つの目玉になっていた。
      

     

ある日の放送で、東南アジア系の女性が、なんとも珍妙なダンスを披露して、これは「勘違いさん」扱いかな??という場面があった。
ちょっとへんちくりんなダンスを、それはそれは楽しそうに踊るものだから、珍妙であり、へんてこりんでもあるけれど、やや失笑を買いつつも、なんだか微笑ましく、清々しい、不思議なパフォーマンスだった。
    

    
当然不合格、だったのだが、彼女は、依然として満面の笑顔で、嬉しそうで、
審査員たちに、そのダンスについて尋ねられると、彼女は自分の生い立ちを話し始めるのです。
          
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  
自分の生まれた国は、貧しくていつも戦争の中にいて、人がたくさん死んで、
両親が自分と弟を連れて、難民船に乗り、命からがら、なんとかオーストラリアのどこかにたどり着いた。
オーストラリアについてから、家族で一緒にいると捕まるから、と言う理由で、家族はバラバラになり、弟と歩き始めたけれど、どこかではぐれ、なんとか自分はシドニーに辿り着き、子供の頃からホームレスになって、これまたなんとか息抜き、20歳くらいの時に(実際自分の年齢がわからない)オーストラリア政府の恩赦で永住権をもらい、そこで初めて、正式に、名前も、住所ももち、人間として扱われるようになった。仕事をもらい一生懸命生きて、今の旦那さんと出会い、自分達の家をもち、子供が生まれ、家族ができ、生活に余裕ができるようになってから、踊りたい、と思った。
上手には踊れないけれど、一生懸命練習して、今、踊ることがとても楽しい。
自分に、人間としての人生を与えてくれたオーストラリアに、今、こんなに楽しく生きていますという感謝を伝えたいと思ってやってきて、みなさんの前で踊れて本当に幸せです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
     
これを、ダンスで息の上がった声で、汗の光る顔に満面の笑を称えて、
嬉しそうに、まるで、何かの賞をとったかのように、
嬉しそうに、楽しそうに、彼女は話すのです。 

ときどき、えへへへ、って言いながら。
      

審査員も、観客も、号泣。
割れんばかりの拍手。
  
                
その時、ビデオ録画もしていない、今のようにネットも発達していない。
だから、ダンスを見返すことができない。


たった一回、彼女が話しをする前、嬉しそうにニコニコと踊る彼女を、なんだこりゃ、と思いながら見た、そのたった一回しか観ていなかったことにショックを受けた。
しまった、と思った。大変なものを投げやりに見流してしまった。

でも、ありがたいことに、その後、リプレイが放送されて見ることができたのです。
      
もちろん上手くない。とてもとてもダンス単体として観られたもんじゃない。
だけど、そこに現れる、彼女の幸せを表現したい、感謝を表現したい、って気持ちがね、すごかった。
こんなに人の心を動かせるエンタメ。
エンタメってのはすごいんだ、って思ったなぁ。
   
      
そんなのはやらせ、とか言う人もいるわけです。
そうかもしれない。
でも、僕はそれがすべて事実なんだと信じようと思った。
     

   
その放送があった時、僕は、一度本格的に単身で日本に帰って、音楽活動の可能性を探ってみたいと思っている時だった。
かなり迷ってた。
これは、成功すれば、あんなに頑張って永住したオーストラリアから撤退する事になる。
その時にあった、それまでの成功を、全部捨てる事になる。
一方で、やらなきゃ、それまでの成功にしがみついて生きていくことはできる。
それは決して不幸な事ではないし、考え方を変えれば、のんびりと、楽しく生きてく事ができる。
日本で、ミュージシャンで生きていくって、すごい試練の連続になるんだろう。

そうやって、すごい迷ってた。

彼女のダンスをみて、お話を聞いて、

歌に人生賭けてみよう。
人生かけた歌を、ちょー笑顔で歌って、日本の人に聴いてもらおう。

そうやって、僕は日本に帰ってきた。
あの番組のあの日の回、が、今こうやって生きている、きっかけのひとつだ。

   

   
例えば、今、こうやって、僕のブログを読んでくれている人は、たいていの場合、かなりの自由を持っている。
そうでない人ももちろんいるだろうけれど、ほとんどの人が、自分の生きる道を選択する自由を持っているだろう。
それに気づいていない人、もいるだろう。
   

  
自分の人生は自分で決めるものです。
だから、こうしろ、とも、ああしろ、とも僕は当然言わない。
 
ただ、僕は、安全や気楽、平穏、を選択した結果が、ほんとうに「安全で気楽で平穏」でしょうか?
と思う事が多いんです。
   

  
日本で、いろんな人から相談を受ける。
申し訳ないけど、僕はあくまでもミュージシャンなんで、人生相談の人でもセミナー講師でもないので、そんな事いわれても困る。
でもさ、そういう相談をしてくる人って、それ、ほんとは幸せですよ、って事ばっかりなんだよ。あなたにはほんとは自由がありますよ。って。
ただ、自分で、逃げているだけなんですよ。って思う事が多いの。

やりたいと思う事があって、冷静に周りを見回して、
チャレンジできる環境があるなら、
やってみればいい、って思うのです。

失敗したらどうなるか、をきちんと整理して考えて、準備して、
その上で、やるとなったら、
   

    
失敗はしない。
絶対にしない、意地でも、その道で生き続けられるように、必死にやる、って覚悟を決めて、突っ込んでいく。
って勇気、が切り開くもの、っていっぱいある。