ある夏の終わりの出来事でした。
夏休みが終わり、皆夏休みの宿題を提出しますが、
日記、夏の生活テキスト、自由課題などなど、
ギリギリになって慌てて
夏の課題をやっつけていたと思います。
その中で、私の小・中学生の頃は
課題に絵画がありました。
https://www.irasutoya.com/2012/03/blog-post_24.html
看板屋さんのお兄さん(息子さん当時中学生)は
描いた絵を学校に持って行ったのですが、
その絵になんと事もあろうに
前日、お父さんが筆を入れてしまっていたのです。
学校が始まる直前のことでしたので、
お兄さんはそのまま学校に持って行って提出しました。
その作品がなんと学校で夏の課題作優秀賞
として表彰されてしまったのです。
私はその絵を見ていませんが、
お母さん(看板屋さんの奥様)
に直接聞いたところによると、
あれはどう見てもうますぎると。
まさかこんなことになるとは思わず、
父に頼んだわけでもないのに、
とお兄さんも焦ったことでしょう。
そして悲劇はこれでは終わりません。
いたずら好きな神様もいるものです。
その絵は一人旅を始め
更に手の届かないところに
行ってしまうことになります。
なんと学校の代表作として市の展覧会に出展
されることになってしまったのです。
超真面目なお母さんは、
そんなことわざわざ言わなくても
誰の耳にも入らないものを
近所の人に
お父さんが手伝って描いた息子の
夏休みの課題の絵が選ばれて
賞を取ってしまったと告白して回りました。
お母さんの心配をよそに、
界隈の住人は普段ない仰天ニュースに皆大喜び。
どんどんその話が大きく広がって
町内界隈では知らない人のない
トピックスになってしまいました。
当時ローカル瓦版があったらおそらく
トップニュースを飾っていたことでしょう。
そのニュースはその後も何年も
語り継がれていくことになりました。
お母さんは、それはそれは優しいお母さんでした。
お父さんは黙ったまま。
お母さんがお父さんに聞いたところによると、
ちょっと筆をくわえただけと言っているらしい。
いや、それもあるかもしれない、
魔法の一筆を持っているから。
真面目なお母さんとお兄さんは
とても心を痛めていたでしょうが、
息子、娘の夏の課題を手伝う父親って多くないですか?
結局、最初から最後まで全部
パパかママがやっちゃったって
のも良く聞く話ですよね。
さて、市の展示会まで行ってしまった絵は
期待どうりの成果をあげてしまいます。
https://illustimage.com/?id=2124
金賞受賞!
地方新聞にも名前が掲載され
勿論、学校でも朝の朝礼で
校長先生からも改めて授与式が行われたそうです。
でも残念ながら?その先はなかったようです。
お母さんはホッとしたでしょうね。
全国大会まで繋がっていなかったようです。
全校中学生夏の課題コンクールみたいなものがあったら
おそらく…。
それにしても、その絵、どんな絵だったんだろう、
一度も目にしたことがない
幻の絵は、きっとその中学校に所蔵されたことと思いますが…。
そのお兄さん、その後、優秀な成績を修められ、
有名大学で教育学を学ばれた後、
学校の先生になりました。
最後にもう一つ、
看板屋さんは日活ロマンポルノ映画の
プロモーション看板も何度か製作していました。
小学生低学年の頃から看板画に慣れ親しんでいた
私にとっては見て照れるような類いの
ものではありませんでした。
看板屋さんにも奥さんにも
見ることを咎められたり、
私の母親にもそれは見るなとか
言われたことは一度もありませんでした。
夏の暑い日に看板屋さんが間口を解放して
その絵を描いていたことがあっても
近所の人は看板屋さんの
その仕事をリスペクトしていないような
人は一人もいませんでした。
通りがかりの人といえば、
製薬会社の工場と
大きな市立病院が目と鼻の先にあって
お昼休みになると、向かいのうどん屋さんとか
その先のお寿司屋さんに
お医者さんとか看護婦さんが大勢
ランチに来ます。
看護婦さんとか職工さん達が
看板屋さんの前を通りかかり、
入り口が解放されて描いている時は
看板画を見て
“わーすごい“と通りすがりに声を上げていきますと
何か自分が褒められたような気になった覚えがあります。
一度、 裸婦の看板画を
通りに出して最終チェックをしている時
通りがかりの看護婦さん達が
立ち止まって黙ってずっとその絵に
見とれていたこともありました。
ふんどし一丁の看板画師と
白衣の看護婦さんと
その看板画の
三つ巴の風景は
おそらく日本全国広しといえど
この時意外にありえないのでは…。
高校生の時、油絵で人物画を描いたことがあるのですが、
肌色を出すことの難しさをその時思い知らされました。
肌色と言っても影の部分とか場所によって全然違いますし。
そういえば、
なんでその時とか看板屋さんに
絵を教えてもらわなかったのか、
教えてもらおうと思わなかったのか
今更ながら疑問に思うのですが、
どうもわかりません。
おそらく別次元のものと考えていたから
だったからなのかなと。
看板屋さんは、決して裕福ではありませんでした。
むしろ、朝から晩まで毎日休みなく描く大変な作業の割に
その対価は大きいものではなかったと想像します。
子供心に看板屋さんってこういうものだと思っていただけで、
それを芸術とか、そんな風に考えたこともなかったし、
ただ、隣のおじさんが淡々と作業をこなしていく
その過程を当たり前のように、日常生活の中で
断片的に見ていただけなんですが、
今思えば、今はもう見ることのできない
誇り高き職人芸をこの目で見させてもらっていたんだと
思うと、大変感慨深いものがあります。
今は亡き看板屋さんのおじさんに感謝し、
改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
本日もブログを訪れていただきありがとうございました。
どうぞ良い週末をお過ごしくださいませ。

