今日は、

余暇は「愛」に役立つ

について書きました。

 

技術の発達による社会の変化で

余暇が増え、

そのため「愛」する機会が増えました。

 

余暇を自分のことばかりに

使ってしまうのは、もったいないです。

 

なぜなら、愛が機能したときの

喜びを感じられない生き方だからです。

 

パートナーとより愛し愛されることを

深めることができたら、すばらしいですね。

 

目次

・高められた「愛」

・母親の幸福と健康

・アドラーの「余暇」とは

・余暇の正しい利用方法

 

■高められた「愛」

アルフレッド・アドラーは、

技術の発達は私たちに労働しない時間、

すなわち余暇を増やすこととなった

とする一方で、

技術の発達により労働者が必要なくなり、

協力の必要が減少した

と指摘しています。

 

そしてさらに、

このような状況は、

たくさんの労働者が必要ないなら

出産もそんなに急ぐ必要はないとして、

出産意識(産めよ増やせよ)を

高めるものではない一方で、

愛することについて非常に高められた

と指摘しています。

 

例えば、

薪(まき)を使ってお米を炊いていたのが、

技術の発達によって電気炊飯器の

スイッチを押すだけで炊けるように

なりました。

 

それは、

薪割りや薪を運ぶといった

労働が必要なくなり、

その労働にあてていた時間が

まるまる余暇となったことを

示しています。

 

その分、

薪に関係する人たちとの

やりとりがなくなったため、

今までその人たちと協力関係を

築くことで効率化されたのが、

薪が不要となると

そのやりとりまでなくなるので、

協力関係を築くことが不要となりました。

 

技術が発達する前なら

生計を立てる意味での職業があり、

人海戦術のごとく、

人は多ければ多いほどよいような

状況であったのが、

技術の発達によって

人は多ければよいわけではなくなり、

社会の出産への依存度が減った感じ

なりました。

 

そうなると、

出産を急ぐ必要がなくなり、

それまでたくさんの出産・育児のために

必要だった資源を、

夫婦が互いを愛することや、

1人の子どもを愛すること、

さらには家庭外の人たちや

人類の幸福への貢献のために

使うことができるようになりました

 

これがアドラーの指摘している

愛することについて非常に高められた

ということです。

 

■母親の幸福と健康

さらにアドラーは、

母親の幸福と健康に関係している

と指摘しています。

 

それは、

出産が減ること、

さらには出産への期待が減ることで

母親の負担が減り、

母親自身の幸福や健康について

十分に時間と労力を注げるようになった

ということです。

 

もちろん、

父親の負担も減りますが

出産はしないため、

アドラーは、父親についての言及は

していないのだと考えられます。

 

■アドラーの「余暇」とは

アドラーは、

社会からたくさんの出産を期待され、

それに応えるべくたくさんの出産を

していた時代から変わったことで、

男性(夫・父親)と

女性(妻・母親)の時間や労力を

注ぐ質と対象が変わった、と指摘しています。

 

まず、

子どもを何人出産するかの決定は

(医師が)十分に相談に乗った上で、

全面的に母親に委ねられることが

最善である、としています。

 

家族の中での合意が得られることは

出産の前提になっていると思われます。

 

そして、

教育の対象となる子どもが

昔にくらべて少数となったために、

教育の質が変わります。

 

さらには夫婦は、

自分たちの教養を高めたり、

趣味や娯楽などを楽しむこと、

そして長めの休息時間をとること

十分に可能となりました。

 

現代における長めの休息時間とは、

おそらく2泊3日の温泉旅行などを

指しているのだと思われます。

 

このように

仕事、出産・育児以外の時間が

余暇であると読み取れます。

 

そしてこの余暇について

アドラーいわく、

正しい利用方法がある

としています。

 

■余暇の正しい利用方法

そしてアドラーのいう

余暇の「正しい利用方法」とは、

自分とまわりの人たちの

幸福に貢献するように使うこと、です。

 

このように使うことは、

法律や規則によって抑えることが

できないことであり、

誰でも自分の意志ひとつで

実現可能なことです。

 

そうして、

他者貢献、社会貢献ができると

高い次元の喜びを得られることが

人間と動物を区別している、と

アドラーは指摘しています。

 

つまり、

余暇は「愛」に役立つものなのです。

 

せっかく「愛」に役立つのですから、

関心を自分にばかりに向けることなく、

近い他者からで構わないと思いますので

関心を向けていくことで

「愛」を形にしていきたいものです。

 

そうして「愛」することが

形となったときには、

極めて深く大きな喜び

得られることでしょう。

 

アドラーがこのような指摘を

100年前にしていたなんて、

驚きです。

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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