■自分の望む通りにする

許せないことは、

自分が「許したくない」と

思っていることです。

 

自分が「したい」と思っているのですから、

それを「ダメ」としてしまうと

自分は我慢することになります。

 

ただでさえ劣等感を抱える日々なのに、

そこにさらに自己否定して

自分に我慢を強いることは、

心に重い負担をかけてしまいます。

 

それは、

嫌いなものは”嫌いなもの”であり、

好きになれないから

嫌いなものであることと同じです。

 

無理に好きになろうとするのは

自分で自分に犠牲を払えと

迫っているようなものです。

 

そうしてストレス過多が続けば、

緊張状態が増えるし、

お肌は荒れる方へ傾くし、

太りやすい体質へと向かいやすくなります。

 

そんなの、自分らしくないです。

 

だから、

真に自分らしく生きるなら、

許せないことは

自分の望む通りに

「許さない」とすることです。

 

「許さない」とすること自体には

何の問題もないことですから。

 

許せないことは

基本的に許さない、で完璧にOKです。

 

 

自分が許せないから、

許さないだけです。

 

その決定には、

自分がかかわらせない限り

誰もかかわることはできません。

 

別に公言する必要もなく、

誰の同意も

誰の許可も必要なく、

誰かにいくら非難されても、

堂々と許さない選択を

すればよいのです。

 

自分の望む通りにする、

という目的の下で、

「許さない」を選ぶだけです。

 

許さない自分でいることが、

自分らしくいられていると

感じられることが大切です。

 

■真に自分らしくいる道

許す=善、みたいに言う人も

いるでしょう。

 

それに同意しないからといって

自分が即座に”悪”とはなりません。

 

しかし、

「他者によく見られたい」との目的

自分が持っている場合には、

許す=善としたい人に自分が

”悪”と見られることが

気になってしまいます。

 

「他者によく見られたい」との目的を

実現するために、

自分が許したくないことについて

自分は許せた」とか

許す努力を、ほらこんなにしてますよ

などと相手に見せたくなってしまいます。

 

それを見た相手が自分に

それならよし」とのサインを

出すのを確認できると安心するのです。

 

でもこれでは

自分らしくは

ありません...

 

我慢の日々を続けることに

なってしまうだけです。

 

だから、他者に

「自分は許せた」とか

「許す努力を、ほらこんなにしてますよ」

などと見せたくなる自分を感じたら、

他者によく見られたいことが

自分の目的となっていないかを

確認したいです。

 

なぜなら、そう確認できれば、

そこから再選択できるからです。

 

そうすれば、

相手に「まだ許せないの?」とか

「許せないままじゃ、しあわせになれないよ」

などと非難や脅しをされたとしても、

自分は自分、相手とは違う」と確認して

自分に我慢をする道ではなく

真に自分らしくいる道を選択できます。

 

■徹底的に自分を大切にする

自分が許す/許さないは

自分しか決めることはできません。

 

あなたは許すべきだ」みたいに

決定に首を突っ込んでくる人も

いるかもしれません。

 

その場合には

その相手にどう見られようとも

「その話はしたくありません」

「それについて触れないでください」

などと、はっきりと

首を突っ込むことを断ることです。

 

毅然とした態度で

本気を伝えることが大切です。

 

私の嫌がることを

今あなたは私にしていますよ、

と伝えることです。

 

それでもやめない人は

自分が嫌がると承知の上で

嫌なことをしてくるのですから、

嫌がらせると嬉しい人」です。

 

対話になりませんから、

すぐに離れたりして、

それ以上自分に無理をさせないことです。

 

徹底的に

自分を大切にするのです。

 

■責任とらせるかどうか

許さないことと、

相手に責任をとらせることは、

別の話です。

 

明らかな証拠があって

社会的責任を取らせたいのなら、

そうする選択もあります。

 

暴力などで

致命的な損害を受けた場合などは

それがふさわしいこともあるでしょう。

 

ただ、

相手に責任を取らせる活動は、

その相手との関係が

深まることでもあります。

 

自分の状況をよく観察して

真に自分らしくいるために

どうするのが最適か、を

慎重に判断することです。

 

■常楽の場合

私の場合は、

中学生~高校生にかけて

父親に「性的に嫌なこと」を

されました。

 

過去に何度か

「性的に嫌なこと」を私にしたことを

父親に理解させれば

私は救われるはずだ、と

思って試みたことがあります。

 

嫌なことをされたかどうかは

私しか決められないことですが、

父親はそれがわからない人で、

「そんなことはしていない」の一点張りで

毎回、話になりませんでした。

 

目の前にいる私が

父親に「嫌なことをされた」

と言っているのに、

父親はそれがわからないのです。

 

通常であれば、

相手から「あなたに嫌なことをされました」と

説明されたら、

自分にそのつもりがなくても

相手が嫌な思いをしたことについて

「そうなの!?ごめんなさい」

のように謝意を示したくなるでしょう。

 

そうすることで

相手との関係を調和へと

進めることができると思うからです。

 

一時期、

どうしてもわからない父親に腹が立ち、

毎日毎日そればかりを思う日々を

送っていました。

 

この当時、

私はこの件を許せないと

自分は楽になれないと

強く信じていました。

 

しかし、

父親のことばかりに考える日常に

ものすごく違和感も感じていました。

 

嫌なのに、なんでもこうも

毎日思っているのだろう??

 

それに気づいて

吐き気を覚えたことも

何百回もあります...

 

今振り返れば、

対症療法のように

タバコ、酒、性的なことに

溺れていた自分を感じます。

 

父親に腹を立てることを

中和するかのように

タバコ、酒、性的なことを

するのです。

 

している間は忘れていても、

終わればまた思い出します。

 

嫌な思いを

自分で反芻(はんすう)するような

日々を送っていました。

 

しかし、その基礎には、

父親が理解し、謝罪をすれば、

自分は楽になるという、

自分の課題の決定を

相手に依存する思考がありました。

 

だから苦しかったのですが、

当時はまるでわかりませんでした。

 

また、周囲の人から

「父親を許せないことはダメなこと」と

評価されてもいたので、

その点について父親を許せる自分になって

周囲の人によく見られたいとも

思っていました。

 

被害から30年以上経ってから、

その依存に気づきました。

 

気づいたことで、

2週間くらいは寝込みました。

 

巨大なショックを

処理できなかったから

だと思います。

 

その後も、何か月も

「依存していたこと」が気持ち悪くて

調子悪い日々を送りました。

 

その後に

「許せないことは、許さなくてよいのでは?」

と自問すると、

そうそう!そうだよ!!」と

全力で肯定される感覚を感じました。

 

ずっと我慢してくれていた

”内なる自分”の声だったのだと

思います。

 

その通りにしてみたら

調子悪い感じは激減しました。

 

父親は理解できない精神構造なのだと

私が理解することで、

私が私を解放した感じです。

(これは後に、

あすぺるがー風な人との理解に至ります)

 

我慢をやめたので

当然といえば当然ですが、

当時はとても感動的でした。

 

根っこに気づけたことで、

世界がガラリと変わったのです。

 

■どうでもよいもの、となると楽

許せないことの目標を

許すこと」にすると

苦しくなりがちです。

 

だって、

許せないことは

許したくないことだからです。

 

許せないなら、許さなければよいのです。

 

しかし、

許さないことばかりを思うと

そこに力を注ぐことになり、

他の活動に注ぐ力が減ってしまいます。

 

そこで、

許せないことの目標を

どうでもよいものとなること

としてみるのです。

 

例えば、

野菜を買って帰ってきたら

一部がいたんでいても

それ以外を普通に使うような感じです。

 

いたんでいた一部のことを

大問題としない感じです。

 

「素通り」する感じです。

 

そして、

許せないことを

許さない努力をするよりも、

自分の大切なことを実現させる活動

努力を意識的に注ぐのです。

 

もちろん、

許せないことが巨大で

湧き上がる感情も巨大であれば、

そこにある感情の圧力

減らす活動は必要でしょう。

 

その許せないことを観察して、

「何が嫌だったのか」

「何が悲しかったのか」を

具体的に言語化できると

感情の圧力は緩和されます。

 

一人でするのは

なかなか大変なので、

訓練されたカウンセラー(回復)や

メンタルコーチ(変革)と

一緒にするとやりやすくなります。

 

そうして感情の圧力を減らせれば、

許せないことが

徐々に「どうでもよいもの」へと

格下げされていくことを体験できます。

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ11年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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