あなたは
あなたの好きに
生きられます。

それには
誰の許可も
必要ありません。



もし誰かの許可が
必要だと感じたのなら、
それはあなたが
そう選んだだけです。

そう選ぶことで
得られる利益があるから
そう選んだだけです。

そしてそう選ぶこと自体が
好きに生きていることに
入っています。

「誰かの許可が必要と思う自由」
という権利を行使している、
という状況です。

もちろん反対の
「誰の許可も不要と思う自由」
も同様です。


おそらく、
誰かの許可が必要と
思いたくなるときは、
100%自己責任として
生きるのが大変なときです。

自分のことだから
自分の責任のはずですが、
結末の責任を負いたくない
という欲を持つと、
”責任を引き受けてくれる誰か”
という存在が欲しくなるのです。

こんなとき、
道は2つあると思います。

ひとつは、
疲れてるから
一旦そこで止まって
休むことです。

ちゃんと休んで
元気になれば、
自分のことなら
自分が責任を負うことは
普通にできることだからです。

もうひとつは、
「勇気」を使うことです。

自分のことなのに
その責任を負いたくないときは、
それがうまくいくかどうか
わからないことに怖れているときです。

その怖れを吹き飛ばして、
自分を信じる力を
呼び覚ましてくれるのが
「勇気」です。

「勇気」とは、
アドラーの言葉を借りると、
『困難に立ち向かう心の活力』
のことです。


勇気を使えば、
「うまくいかなかったらどうしよう」
に注目するよりも、

うまくいかなくなったら、
そこで無理せず止まろう、とか、

今の自分にできる範囲までしか
今回は絶対にやらないと決める、とか、

今は、まずやってみて、
感触を確かめることを
大切にしよう、とかの、

「どうすればできるだろう?」
「今の自分にふさわしいやり方は
どんな方法だろう?」
みたいな創造的な自分に
注目するのが簡単になります。




目的は見えています。

その目的を実現する方法が
見えていないだけです。

目的が具体的に
なればなるほど、
その実現方法も具体的になります。

そしてその実現方法は、
ひとつではありません。

いろんな方法がありますから、
今の自分に
最もふさわしい方法から
試してみることです。

さらには、
やってるうちに
新たな実現方法は
思いつくものなので、
よりよい実現方法は
やればやるほど
増えていくのです。

そうして、
100%自分の意志で
決めて進めたならば、
どんな結末となろうとも
その責任を引き受けることも
普通に納得できます。

なぜなら、
うまくいったら
「よかった」ですし、
うまくいかなかったら
「これはうまくいかない方法
だとわかった」ですから。

一回でうまくいかせようとするのは
やっぱり高すぎる理想です。

理想が高すぎると
着手すること自体のハードルが
高くなりすぎるので、
うまくいかせるための失敗を
最初は何回かするのだろうな、
くらいの理想を持って
とりかかると楽になります。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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