今日は、末子について

書きました。

 

目次

・ずっと子どもでいられる

・世話される側

・自立に困難を感じやすい

・力の追求

・大きな劣等感の影響

 

■ずっと子どもでいられる

末子とは「まっし」と読み、

一般的には「すえっこ」と

呼ばれることが多いです。

 

アルフレッド・アドラーは、

末子は他のどの子どもとも

まったく違う環境下で育つ

と言っています。

 

それは親にとって

末子だけは特別な子である、

ということでもあります。

 

それを最も特徴づける要素は

下にきょうだいがいない

ということです。

 

末子は、年齢にかかわらず、

ずっと”家族の子ども”でいられるのです。

 

■世話される側

末子は、家族の中で

最も幼い子どもです。

 

兄や姉となる子は、

下にきょうだいがいると

どうしても「世話する側」に

まわらざるを得なくなります。

 

しかし末子は、

下にきょうだいがいないため

「世話する側」にまわる必要が

ありません。

 

そのため、

いつまでも「世話される側」で

いられるのです。

 

アドラーはそれを

最も保護を必要とする子どもであり、

他のきょうだいにくらべて

あたたかい雰囲気の中で成長する

と指摘しています。

 

そのために末子は、

独特な性格となる場合がよくあります。

 

■自立に困難を感じやすい

末子は甘やかされるから

有利な立場かと思えば、

すべてがそうではありません。

 

「世話される側」であるため

一人でできることでも

世話されてしまいがちです。

 

それは末子にとって、

自分は家族に信頼されていない、

自分は家族に何も任せてもらえない、

自分は家族に何もできないと思われてる、

のように感じるような状況になりがちです。

 

そのため末子は、

「自分にはできる力がある」と

家族に証明しようと努力します。

 

それは「力の追求」となり、

他者を圧倒しないと気が済まない、

みたいになったりします。

 

幼い子が大人に

「まだ赤ちゃんだね」

と言われると

「私は赤ちゃんじゃないよ!」と

怒り出すような感じに似てます。

 

■力の追求

末子の「力の追求」は、

誰よりも自分が一番優秀である、

との証明のために努力をして、

その結果、きょうだいよりも

数多くの成果を得ることもあります。

 

しかしアドラーは、

悪い場合もある」と

指摘しています。

 

その悪い場合とは、

活動の目的が

「きょうだいに勝利する」

となる場合です。

 

一般的に優秀であることは、

他者貢献につながります。

 

しかし、

きょうだいに勝利する目的であると、

とにかくきょうだいに勝利できれば良いので

個人的利益ばかりに関心を

持つことになります。

 

個人的利益に関心を持つと、

「相手より自分優先」な心になって

自分が勝利できるなら何でもする

のようになりがちです。

 

そんな「力の追求」においては、

「強さ」できょうだいに勝利できなければ、

弱さ」で勝利しようとします。

 

それは、

他のきょうだいよりも

自分は最も病弱だ、とか、

自分は臆病さでは一番だ、とか、

自分は遅刻では一番だ、とか、

自分は忘れ物では一番だ、とかです。

 

アドラーの言う、

生きるのに役立たない道」に

進んでしまうことになります。

 

この道に進むと

感じるしあわせは増えず、

困難ばかりを抱えることになります。

 

また、

人生の課題についても、

臆病になって先送りし、

周囲にその先送りが正しいと示す理由を

探し続けるようなこともやりがちです。

 

■大きな劣等感の影響

末子は家族の中で

最も甘やかされる子どもです。

 

甘やかされる、とは、

自分の課題に自分の責任で取り組めず、

親やきょうだいたちに

自分の課題を彼らの責任で

取り組まれてしまうことです。

 

例えば、自分の宿題を

親が代わりにやってしまうような感じです。

 

なので、

自立することに対して

大きな劣等感を感じがちです

 

他のきょうだいも

劣等感を感じることはありますが、

末子の方が「世話する側」に立たないため

自分に能力があるとの自信を持てず

大きな劣等感を感じるのです。

 

アドラーは、この劣等感について

劣等器官を持つ子どもと似ている

と指摘しています。

 

劣等器官を持つ、とは、

生まれつき視力が弱かったり、

聴覚が弱かったり、

身体的な不自由がある、ということです。

 

他の人たちは普通にあるものが

自分にはないため、

そこに大きな劣等感を感じるのです。

 

末子も、

年上の家族と自分を比べて育つので、

他の家族が普通にできることでも

自分は同じようにできないことに

注目しやすくなり、

そこに大きな劣等感を感じるのです。

 

大きな劣等感を補償しようとするには

それだけ大きな努力が必要となります。

 

その努力をして

困難を克服することが

末子をそれだけ鍛えることとなり、

他のきょうだいがしないような

偉業を成し遂げることもあるわけです。

 

歴史上の偉人に

末子が多く見られるのも

こうした理由からだと考えられます。

 

 

 

 

 

お読みいただき、

ありがとうございます。

 

プロコーチ10年目、常楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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