私の母親は
たとえ迷惑をかけたとしても
それが相手にとって
迷惑なことだと知らなければ
自分は無罪だと、
本気で信じています。

そして、無罪ならば、
「ごめんなさい」と
謝ることもしないのです。

なぜならそれは
「迷惑をかけたくてかけていないから」
だそうです。



幼い頃より母親には
これについては何度となく
「相手には〇〇という理由で
迷惑になっているんだよ」と
説明するとともに、

迷惑かけてしまったときは
迷惑をかけるつもりがなくても、
せめて「ごめんね」と
謝意を示すことが
相手との関係を良好にするためには
大切だよ、と伝えてきました。

しかし、これが、
母親には徹底的に伝わりません。

ダイヤモンドよりも固そうな、
なんて頑固な頭かと思います。

本当に何度伝えてみても
本当に伝わらず、
いつも母親には
「そういうあなたがおかしいよ。
はい、終わり。」と
変人扱いされて終わります。

こちらが迷惑をかけられて、
母親の目の前で
「今、嫌なことをされて
迷惑かけられたから、
それはもうやめて欲しい。」
と伝えてみても、
「そんなことない
(自分は何も悪くない)」と
聞く耳を持たず、
その後同じことを再びする始末です。

自分は完璧であり、
問題があるのはいつも相手、
という感じで、
これが「取り付く島もない」
という状況なのだと実感します。

よくこんなやり方で
恨みを買わないものだと
感心してしまいます。

そして、
同じイヤなことを
何度もされるので、
そのたびに破綻する自分を
感じていました。

家庭の外の人に
助けを求めたこともありましたが、
目立った暴力がないので
「あなたがおかしいですよ」と
いつも言われて終わるだけでした。

また例えば、
小学2年生くらいだったと思いますが、
「ぼくのおやは
ちゃんとはなしができません。
だれかたすけてください。」と
家の前に張り紙をしたこともありました。

母親がみつけて
「こんなこと貼っちゃだめ。
うちがおかしいと思われちゃうでしょ?」
と言われて終わりました。

今思えば、
我が子が外部に助けを求める行為を
目の当たりにして、
「自分の何が問題なのか」と思わずに
自分の世間体みたいなことだけを
心配していたのが、
私の親がおかしいことの
何よりの証拠だと感じます。

父親はあすぺるがー風な人で、
やりとり困難だし、
母親はイヤなことを
何度やめてと頼んでも
やめてくれなくて大変だし、
振り返ってみると
よく今まで生きてこられたと
感じます。

小学生の頃から
自死を何度も思いましたが、
自分の身体が
自分以上に自分を信じて
諦めずに私を
生かし続けてくれたようにも
感じられます。

そう思うと、
自分の身体が愛おしく感じます。

ありがとう、身体。


母親とはここ何年も
やりとりしていませんが、
そんな状況でも母親は
自分には何も問題がないと信じています。

つまり、
やりとりしないのは
私が悪いからであり、
母親の自分は無罪だと
本気で信じているのです。

この傲慢さは
すさまじいものがあります。

今は、やりとりがないので、
お互い平和に暮らしています。

水と油は混ざらない、
そんなことを連想します。



もし私の母親のような人が
あなたの親であるなら、
そこは無理して伝えようと
頑張りすぎないことです。

なぜなら、
親は「学ぶ機会」にならないと
理解できないからです。

あなたばかりが努力するのではなく、
親がこちらの話に耳を傾けて、
親も一緒に努力をして
良好な関係を築いていこうとする
協力関係にならないと、
改善は見込めません。

そんな協力関係になったときは
水と油ではなく
互いに水か油のどちらか同じに
なったときです。

そして、そんな状況は
親が「学ぶ機会」を得なければ
実現しないでしょう。


「学ぶ機会」は、
本人が必要だと感じる出来事が
あると得られます。

例えば、
普段は傷薬について
学ぼうとは思いませんが、
けがをして傷薬が必要となると
傷薬について学びたくなります。

学んで、問題を早く解決したいからです。

また、例えば、
普段に自転車に乗らない人は
自転車について学ぼうとはしません。

必要ないからです。

でも、日常的な移動に
自転車を使う必要が出てくると、
どの自転車が自分にふさわしいのかを
知るためにも自転車について
学びたくなります。

だから親子関係も同じで、
親が何かの出来事によって
「良好な親子関係」などを
知る必要があると感じたときに
初めて親子関係について
学びたくなるのです。

そんな状況になると、
今までいくら話しても
理解できなかった親が、
ちょっと話しただけで
理解してくれるように
なったりします。

本人が必要と思うことは
それくらい大きな変化をもたらします


その「学ぶ機会」がないのに
何度も理解してもらおうとするのは、
コンクリートに素手で穴を
開けようとするくらいに
大変なことになりがちです。

いくらやっても成果が出ずに、
心が砕けて終わる、
すなわち「破綻」の状態に
なってしまいます。

自分を破綻させるのは、
自分にかわいそうです。

自分に無理させるのは、
やっぱり避けたいです。

だから、
「学ぶ機会」を感じなければ
無理して親に挑まないことです。


「わかる前提」だと
どうしても親に理解を
求めたくなってしまいます。

でも、
「わからない前提」でいることで
対策を打つことが簡単になります。

親は親で好きにしてもらって、
あなたはあなたのやりたいことに
力を注げばよいのです。

「親に理解してもらう」
という努力をすると、
ものすごい力を使ってしまうので、
その他のことは
そこで使う以外の力で
やることになるので、大変です。

でも、
最初からそこに力を注がないと
決めていれば、
そこに注ぐ予定だった力を
まるまる自分の使いたいことに
使うことができるのです。

そうしてやりたいことに力を注ぎ、
あなたの共同体感覚
高まる環境をととのえることで、
あなたはとても元気になれます。

そんな元気な状態になれば、
親に「学ぶ機会」が訪れたときに
身軽に動いて親に伝えることが
できるでしょう。

もし元気でないと
「なにをいまさら」と
今までの借りを返してもらう勢いで
怒りをぶつけてしまいそうですから。

だからあなたが元気でいることは
このことにも
このこと以外にも
とっても大切です。

自分、大事に。
自分、大事に。
自分、大事に。




共同体感覚の高め方については
こちらの記事をご参照ください。

親への復讐のすすめ ~ちゃんと自分として生きるために





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。


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