■生き延びるため

有能なフリをしたくなるのは
そうしないと生き延びられない
感じるからです。

「〇〇さえあれば
自分にだってできるよ。」

「〇〇さえなかったら
自分にだってできるよ。」

「やろうと思えばできるけど、
今はその時期じゃないから。」

「やる気になりさえすれば
できるのだが...」

こうして自分は有能なんだと
その可能性を示すことで
生き延びられると信じているのです。

真に有能でない自分を
その場において
”自分は有能である”
とするためには、
有能である可能性を示すほかに
できることがないと
信じているのです


真に有能ならば
可能性を示す必要はありません。

ただ、やるか、やらないか、
という判断を自分の内で
下せば済む話だからです。

”自分を有能に見せること”は
せずとも十分に
生き延びられると
信じているからです。

■困難を避けたい

有能なフリをすることを
アルフレッド・アドラー
優越コンプレックス”と呼びました。

優越コンプレックスは
劣等コンプレックスを補償する
方法のひとつです。

劣等コンプレックスは
過度な劣等感のために
困難に立ち向かうことができずに
とにかく困難を避けようと
することです。

「どうせ、自分には無理だ」
と全面否定することもあれば
「〇〇だから□□できない」
と条件が悪いからできないと
することもあります。

とにかく困難を避けられればよいわけで、
”〇〇”には何でも入れてしまいます。

例えば、
〇〇だから、よい仕事ができない、と
したいとき。

天気が良いから、よい仕事ができない。

天気が悪いから、よい仕事ができない。

今日は風があるから、
よい仕事ができない。

今日は風がないから、
よい仕事ができない。

昨日はよく眠れなかったから、
よい仕事ができない。

昨日はよく眠れちゃったから、
よい仕事ができない。

こんな感じで
何でも理由にできてしまいます。

つまりは、
できない理由ってやつです。

しかしこんなことばかりだと
対人関係において人は皆、
自分から離れていってしまいます。

できない理由ばかりを説明されて
課題の解決に進まない人と
やりとりを続けていると
誰でも疲れてしまうからです。

仕事関係でどうしても
関係しないといけない人とか、
解消できない関係である家族とか、
自分がお客さんとなる場合の
相手の人とかだけが
対人関係を持つ相手となっていきます。

そんな人たちも
愛想が尽きていったときには
本当に最低限のやりとりしか
しなくなります。

他者が自分にどんな貢献をするのか
ばかりに興味があって、
自分が他者にどんな貢献ができるか
には興味がないから、
相手からすれば
貢献の搾取をされている感じになります


そうして人が離れていくと
やがて孤立します。

アドラーいわく
孤立は、社会的な死」です。

社会的に生き延びられない危機を
感じると、それをどうにか
したくなります。

つまり、
困難を避けられ、かつ、
孤立へと進まない方法

必要になります。

そこで便利なのが
優越コンプレックス、
すなわち、
有能なフリをすること
というわけです。

有能なフリをする方が
できない理由ばかりを話すよりも
人を遠ざけないからです。

■問題解決の準備を整える


有能なフリを必要とするのは、
問題を解決できないと
信じているから
です。

そう信じてしまうのは
過度な劣等感があるからです。

その過度な劣等感を
抱えることとなったのは、
育つ家庭において
適切な教育を
十分に受けられなかったから
です。

アドラーいわく
教育とは
他者に関心を持つように
援助すること
」です。

自分の利害ばかりではなく
他者の利害にも興味を
持つことについての援助を
十分に受けられなかったために、

問題に直面すると
すぐに自分の利害ばかりに
注目してしまうわけです。

これは、
人生の問題を解決する準備が
できていない状況
です。

準備ができていないので
問題の困難に直面すると、
その困難に立ち向かうことよりも、
その困難を避ける方が
確実に自分を守れる

感じてしまうのです。

しかし、
ただ避けるだけでは
社会的に生き延びられないと
感じるために、
有能なフリをして
自分の可能性を示すことで
なんとか生き延びようと
することになるわけです。

有能なフリをしたくなる人に
援助するなら、
その必要はないと理解してもらうべく
「できないことは、できないこと」と
理解してもらうこと
と、
自分ばかりに向いている関心を
他者にも向けるように促すこと
です。

他者との競争を
しなくても生きていけると
理解してもらうこと
、とも言えます。

そう援助することは
その人が人生の問題を
解決する準備を整えることに
役立ちます。

自分で自分に援助する場合にも
同じことが言えます。

そうして準備が進んでいけば
優越性の追求においても
有能なフリをする
必要がなくなります。

具体的には
「かわいそうな自分の話」と
「悪いあの人の話」を
する必要を感じなくなり、
これからどうするか、の話」を
する必要を感じるようになります。

また、
他者にも関心を持つようになるため、
他者貢献の活動によって
客観的な貢献感を得ることも
できるようになっていきます。

客観的な貢献感によって
共同体感覚が高まると、
過度な劣等感は
解消されていきます。

そうして
過度な劣等感が解消されていくと、
劣等コンプレックスも
解消されていき、
自然と優越コンプレックスも
使う必要がなくなるので
解消されていきます。

すなわち、
有能なフリをする必要を
感じなくなる
わけです。






お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。





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