■自分は優秀だと見られたい

自分は優秀だと見られたい人
自分より劣った存在
自分の横にいると
それが叶うと思います。

そのため、
結婚相手に自分より弱く
劣ったと見える人
を選びます。

その相手は
暴力をする人だったり
アルコールやギャンブル、
薬などの依存症の人
だったり、
社会的な不利を抱える人だったり、
とても怠惰な人だったりします。

その相手を救う行為をすることで
救われる相手が「劣悪」であり、
その相手を救う自分は「優秀」
周囲に見せることができるのです。

そうして問題を提供してくれる
その相手を救えば救うほど
自分の優秀を見せつけることが
できる
わけです。

しかし、まさか
そんな苦労をするのは
自分が優秀だと見られたいから
なんて口が裂けても言えない
ため
本音を言えない苦しみを
抱え続ける
ことになります。

それは、
自分をも欺こうとする
ような行為です。

本音を話したい、という力と
本音は決して話してはならない、
という力が自分の内部で押し合って
すごい圧力となります。

その圧力を無いものとすべく
自分は優秀だと見られたい、
という欲があること自体を
忘れようと努力して
本当に忘れてしまう
ことも
あったりします。

他に方法がなければ、その圧力を
神経症(心の病)の症状として
外へ出します。

普段の生活でも
救う行為のおかげで苦しく、
救う行為をしていないときでも
本音を言えない苦しみによって
苦しいため、
常に心が窮屈な状況にあります。

あまりにひどいと
離婚して一旦白紙に戻すことで
生活環境の再起動を図ります。

でも離婚成立後に一人になると
自分を優秀だと周囲に示す手段が
なくなる
ため、
また自分より弱く劣ったと
見える人と結婚して、
また同じ繰り返しをする人

いたります。

こんな循環は
自分の本音である
自分は優秀だと見られたい
という欲を認めて解放できるまで

続きます。

■困難を避けるため

自分と対等な人
自分より優秀な人
結婚するのは勇気が必要です。

自分と対等な相手だと
相手を支配できないかも
しれない
と感じ、
自分より優秀な相手だと
自分の方が悪く見られるかも
しれない
と感じ、
そこに困難を感じるからです。

そもそも相手と対等に
やっていきたい人や
相手より自分が劣っていると
見られることを気にしない人なら
そこに困難は感じないでしょう。

しかし、
自分は優秀だと見られたい人には
その困難は巨大なものと
感じる
ことになります。

まさに死活問題です。

自分より弱く劣っている人との
結婚
であれば、
その構図がすでに
自分は優秀だと見せる仕組みを
備えている
と見えるため、
その困難を(克服ではなく)
避けるためには
どうしても自分より弱く
劣った人との結婚が必要

なるわけです。

■結婚とは

結婚とは、
制度としては
配偶者が誰で、
子供の親が誰かを
公的に証するものですが、
実際の生活としては
互いに援助しあうことで
人生をより豊かなものへと
していく創造的な共同体を
形成すること
です。

課題の困難に直面しても
夫婦や家族という共同体の
利益のために勇気を使って
克服していく
ことで、
夫婦や家族という共同体が
より豊かによりしあわせに
なっていくもの
ですから、

課題を得れば得るほどに
より豊かに
よりしあわせに
なる機会に恵まれている
ということ
です。

しかし、
自分は優秀だと見られたい人
共同体の課題を克服することよりも
いかに自分が優秀であるかを
周囲に見られるかどうかの方が
重要
となります。

つまり、
相手の利益や
共同体の利益よりも
自分の利益が大切
なのです。

共同体の課題の克服が
自分の利益と一致する場合には
自ら進んで克服を試みます
が、
それが一致しなければ
自分の利益を優先する
ことになります。

■やめ方

自分は優秀と見られたい人
その本音を認めて解放できる方法は
まず、その課題を手放すことです。

自分を優秀と見るかどうかは
その相手の課題、
すなわちその相手が決めること
であり
そもそも自分が決めることが
できないこと
と理解することです。

そして
自分は優秀と見られたいと
自分が望むのは、
自分の安心を得たいと
思っているから、と
理解すること
です。

さらに
その安心を得る方法を
他者へ貢献する活動と
すること
です。

自分は優秀と見られたい人は
その根底に自分さえ善ければ
他人がどうなっても構わない
という思い
があります。

自分の安心のためなら
他者を一方的に利用しても
しょうがない、と信じているのです。

アルフレッド・アドラー
言葉を借りれば、これは
「生きるのに役立たない道」へと
進んでいます。

それはすなわち、
自分の安心を得る方法を
「生きるのに役立つ道」へと
進むことで、この課題は
解決へと向かう、ということです。

そして、
「生きるのに役立つ道」へと進むとは
他者貢献すること、すなわち、
共同体の利益に貢献すること
です。

他者貢献は
自分がやりたい貢献ではなく
他者の役に立つことをすることです。

そんな他者貢献しようとする自分は
自分の安心を得るために
相手を一方的に利用しようとは
しなくなります。

例えば
相手が安心できたら
それを見て自分も安心できる

といった感じです。

相手が不安なのに
自分が安心だと
そこに優越感を得られて
うれしい
、と感じるのは
まだ「生きるのに役立たない道」
立っていることになります。

もちろん
過度な自己犠牲は不要ですが
できる範囲での貢献活動を
しようとすることで、
自分は優秀だと見られたい人で
ある必要もなくなる
ので、
救済したい相手と結婚しようと
思うこと
も自然と消えていきます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。


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