■自分は優秀だと見られたい
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211016/09/yurushino/27/00/j/o0640036015016528803.jpg?caw=800)
自分は優秀だと見られたい人は
自分より劣った存在が
自分の横にいると
それが叶うと思います。
そのため、
結婚相手に自分より弱く
劣ったと見える人を選びます。
その相手は
暴力をする人だったり
アルコールやギャンブル、
薬などの依存症の人だったり、
社会的な不利を抱える人だったり、
とても怠惰な人だったりします。
その相手を救う行為をすることで
救われる相手が「劣悪」であり、
その相手を救う自分は「優秀」と
周囲に見せることができるのです。
そうして問題を提供してくれる
その相手を救えば救うほど
自分の優秀を見せつけることが
できるわけです。
しかし、まさか
そんな苦労をするのは
自分が優秀だと見られたいから
なんて口が裂けても言えないため
本音を言えない苦しみを
抱え続けることになります。
それは、
自分をも欺こうとする
ような行為です。
本音を話したい、という力と
本音は決して話してはならない、
という力が自分の内部で押し合って
すごい圧力となります。
その圧力を無いものとすべく
自分は優秀だと見られたい、
という欲があること自体を
忘れようと努力して
本当に忘れてしまうことも
あったりします。
他に方法がなければ、その圧力を
神経症(心の病)の症状として
外へ出します。
普段の生活でも
救う行為のおかげで苦しく、
救う行為をしていないときでも
本音を言えない苦しみによって
苦しいため、
常に心が窮屈な状況にあります。
あまりにひどいと
離婚して一旦白紙に戻すことで
生活環境の再起動を図ります。
でも離婚成立後に一人になると
自分を優秀だと周囲に示す手段が
なくなるため、
また自分より弱く劣ったと
見える人と結婚して、
また同じ繰り返しをする人も
いたります。
こんな循環は
自分の本音である
自分は優秀だと見られたい
という欲を認めて解放できるまで
続きます。
■困難を避けるため
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211112/15/yurushino/a3/97/j/o0640042715030291597.jpg?caw=800)
自分と対等な人や
自分より優秀な人と
結婚するのは勇気が必要です。
自分と対等な相手だと
相手を支配できないかも
しれないと感じ、
自分より優秀な相手だと
自分の方が悪く見られるかも
しれないと感じ、
そこに困難を感じるからです。
そもそも相手と対等に
やっていきたい人や
相手より自分が劣っていると
見られることを気にしない人なら
そこに困難は感じないでしょう。
しかし、
自分は優秀だと見られたい人には
その困難は巨大なものと
感じることになります。
まさに死活問題です。
自分より弱く劣っている人との
結婚であれば、
その構図がすでに
自分は優秀だと見せる仕組みを
備えていると見えるため、
その困難を(克服ではなく)
避けるためには
どうしても自分より弱く
劣った人との結婚が必要に
なるわけです。
■結婚とは
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230318/18/yurushino/8e/19/j/o0640042715257066685.jpg?caw=800)
結婚とは、
制度としては
配偶者が誰で、
子供の親が誰かを
公的に証するものですが、
実際の生活としては
互いに援助しあうことで
人生をより豊かなものへと
していく創造的な共同体を
形成することです。
課題の困難に直面しても
夫婦や家族という共同体の
利益のために勇気を使って
克服していくことで、
夫婦や家族という共同体が
より豊かによりしあわせに
なっていくものですから、
課題を得れば得るほどに
より豊かに
よりしあわせに
なる機会に恵まれている
ということです。
しかし、
自分は優秀だと見られたい人は
共同体の課題を克服することよりも
いかに自分が優秀であるかを
周囲に見られるかどうかの方が
重要となります。
つまり、
相手の利益や
共同体の利益よりも
自分の利益が大切なのです。
共同体の課題の克服が
自分の利益と一致する場合には
自ら進んで克服を試みますが、
それが一致しなければ
自分の利益を優先することになります。
■やめ方
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/22/yurushino/da/28/j/o0640042715047776492.jpg?caw=800)
自分は優秀と見られたい人が
その本音を認めて解放できる方法は
まず、その課題を手放すことです。
自分を優秀と見るかどうかは
その相手の課題、
すなわちその相手が決めることであり
そもそも自分が決めることが
できないことと理解することです。
そして
自分は優秀と見られたいと
自分が望むのは、
自分の安心を得たいと
思っているから、と
理解することです。
さらに
その安心を得る方法を
他者へ貢献する活動と
することです。
自分は優秀と見られたい人は
その根底に自分さえ善ければ
他人がどうなっても構わない
という思いがあります。
自分の安心のためなら
他者を一方的に利用しても
しょうがない、と信じているのです。
アルフレッド・アドラーの
言葉を借りれば、これは
「生きるのに役立たない道」へと
進んでいます。
それはすなわち、
自分の安心を得る方法を
「生きるのに役立つ道」へと
進むことで、この課題は
解決へと向かう、ということです。
そして、
「生きるのに役立つ道」へと進むとは
他者貢献すること、すなわち、
共同体の利益に貢献することです。
他者貢献は
自分がやりたい貢献ではなく
他者の役に立つことをすることです。
そんな他者貢献しようとする自分は
自分の安心を得るために
相手を一方的に利用しようとは
しなくなります。
例えば
相手が安心できたら
それを見て自分も安心できる
といった感じです。
相手が不安なのに
自分が安心だと
そこに優越感を得られて
うれしい、と感じるのは
まだ「生きるのに役立たない道」に
立っていることになります。
もちろん
過度な自己犠牲は不要ですが
できる範囲での貢献活動を
しようとすることで、
自分は優秀だと見られたい人で
ある必要もなくなるので、
救済したい相手と結婚しようと
思うことも自然と消えていきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211213/09/yurushino/b1/7c/j/o0640042715045648702.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ9年目、常楽でした。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211016/09/yurushino/27/00/j/o0640036015016528803.jpg?caw=800)
自分は優秀だと見られたい人は
自分より劣った存在が
自分の横にいると
それが叶うと思います。
そのため、
結婚相手に自分より弱く
劣ったと見える人を選びます。
その相手は
暴力をする人だったり
アルコールやギャンブル、
薬などの依存症の人だったり、
社会的な不利を抱える人だったり、
とても怠惰な人だったりします。
その相手を救う行為をすることで
救われる相手が「劣悪」であり、
その相手を救う自分は「優秀」と
周囲に見せることができるのです。
そうして問題を提供してくれる
その相手を救えば救うほど
自分の優秀を見せつけることが
できるわけです。
しかし、まさか
そんな苦労をするのは
自分が優秀だと見られたいから
なんて口が裂けても言えないため
本音を言えない苦しみを
抱え続けることになります。
それは、
自分をも欺こうとする
ような行為です。
本音を話したい、という力と
本音は決して話してはならない、
という力が自分の内部で押し合って
すごい圧力となります。
その圧力を無いものとすべく
自分は優秀だと見られたい、
という欲があること自体を
忘れようと努力して
本当に忘れてしまうことも
あったりします。
他に方法がなければ、その圧力を
神経症(心の病)の症状として
外へ出します。
普段の生活でも
救う行為のおかげで苦しく、
救う行為をしていないときでも
本音を言えない苦しみによって
苦しいため、
常に心が窮屈な状況にあります。
あまりにひどいと
離婚して一旦白紙に戻すことで
生活環境の再起動を図ります。
でも離婚成立後に一人になると
自分を優秀だと周囲に示す手段が
なくなるため、
また自分より弱く劣ったと
見える人と結婚して、
また同じ繰り返しをする人も
いたります。
こんな循環は
自分の本音である
自分は優秀だと見られたい
という欲を認めて解放できるまで
続きます。
■困難を避けるため
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211112/15/yurushino/a3/97/j/o0640042715030291597.jpg?caw=800)
自分と対等な人や
自分より優秀な人と
結婚するのは勇気が必要です。
自分と対等な相手だと
相手を支配できないかも
しれないと感じ、
自分より優秀な相手だと
自分の方が悪く見られるかも
しれないと感じ、
そこに困難を感じるからです。
そもそも相手と対等に
やっていきたい人や
相手より自分が劣っていると
見られることを気にしない人なら
そこに困難は感じないでしょう。
しかし、
自分は優秀だと見られたい人には
その困難は巨大なものと
感じることになります。
まさに死活問題です。
自分より弱く劣っている人との
結婚であれば、
その構図がすでに
自分は優秀だと見せる仕組みを
備えていると見えるため、
その困難を(克服ではなく)
避けるためには
どうしても自分より弱く
劣った人との結婚が必要に
なるわけです。
■結婚とは
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230318/18/yurushino/8e/19/j/o0640042715257066685.jpg?caw=800)
結婚とは、
制度としては
配偶者が誰で、
子供の親が誰かを
公的に証するものですが、
実際の生活としては
互いに援助しあうことで
人生をより豊かなものへと
していく創造的な共同体を
形成することです。
課題の困難に直面しても
夫婦や家族という共同体の
利益のために勇気を使って
克服していくことで、
夫婦や家族という共同体が
より豊かによりしあわせに
なっていくものですから、
課題を得れば得るほどに
より豊かに
よりしあわせに
なる機会に恵まれている
ということです。
しかし、
自分は優秀だと見られたい人は
共同体の課題を克服することよりも
いかに自分が優秀であるかを
周囲に見られるかどうかの方が
重要となります。
つまり、
相手の利益や
共同体の利益よりも
自分の利益が大切なのです。
共同体の課題の克服が
自分の利益と一致する場合には
自ら進んで克服を試みますが、
それが一致しなければ
自分の利益を優先することになります。
■やめ方
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211217/22/yurushino/da/28/j/o0640042715047776492.jpg?caw=800)
自分は優秀と見られたい人が
その本音を認めて解放できる方法は
まず、その課題を手放すことです。
自分を優秀と見るかどうかは
その相手の課題、
すなわちその相手が決めることであり
そもそも自分が決めることが
できないことと理解することです。
そして
自分は優秀と見られたいと
自分が望むのは、
自分の安心を得たいと
思っているから、と
理解することです。
さらに
その安心を得る方法を
他者へ貢献する活動と
することです。
自分は優秀と見られたい人は
その根底に自分さえ善ければ
他人がどうなっても構わない
という思いがあります。
自分の安心のためなら
他者を一方的に利用しても
しょうがない、と信じているのです。
アルフレッド・アドラーの
言葉を借りれば、これは
「生きるのに役立たない道」へと
進んでいます。
それはすなわち、
自分の安心を得る方法を
「生きるのに役立つ道」へと
進むことで、この課題は
解決へと向かう、ということです。
そして、
「生きるのに役立つ道」へと進むとは
他者貢献すること、すなわち、
共同体の利益に貢献することです。
他者貢献は
自分がやりたい貢献ではなく
他者の役に立つことをすることです。
そんな他者貢献しようとする自分は
自分の安心を得るために
相手を一方的に利用しようとは
しなくなります。
例えば
相手が安心できたら
それを見て自分も安心できる
といった感じです。
相手が不安なのに
自分が安心だと
そこに優越感を得られて
うれしい、と感じるのは
まだ「生きるのに役立たない道」に
立っていることになります。
もちろん
過度な自己犠牲は不要ですが
できる範囲での貢献活動を
しようとすることで、
自分は優秀だと見られたい人で
ある必要もなくなるので、
救済したい相手と結婚しようと
思うことも自然と消えていきます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211213/09/yurushino/b1/7c/j/o0640042715045648702.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ9年目、常楽でした。
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激しい感情の相手にのまれないために
勇気とは「自分より相手優先」に立ち続ける力