■土足で踏み込んでいる

誰でも自分の部屋に
他人が勝手に
土足で踏み込んできたら
嫌な気持ちになるでしょう。

それと同じように
あらゆる対人関係の問題に
共通しているのは
他人の課題に土足で
踏み込んでいる

ということです。

課題の所有者だけが
その課題を扱うことが
できるのですが、
それを所有者の許可なく
無断で扱う
と、
土足で踏み込んだ状況になります。

例えば、
試験の日が近くなり
勉強しないとまずい、と
よくわかっているところに、
「試験の日が近いのだから勉強しなよ」
と他人が言ってきたら
イラッとしそうです。

勉強するかしないか
その課題の所有者である
自分が扱うもの
ですが、
それを他人が勝手に扱ったことで
他人の課題に土足で踏み込んだ
状況になっています。

また例えば、
大変なことがあって
親に相談してみたら
「そんなの大変じゃないよ」
親は返してきた。

自分の身に起きたことが
大変か大変じゃないかを
決めるのは自分です。
すなわち、自分の課題です。

それを親が勝手に決めたら
それは他人の課題に土足で
踏み込んだ状況
になっています。

自分の課題を
「自分のもの」
として、
そして相手の課題を
「相手のもの」
として
扱わないと
他人の課題に土足で
踏み込んだ状況と
なりやすいわけです。

■踏み込まれたと偽る

自分の課題に
他人に勝手に踏み込まれた、と
偽ることも、
他人の課題に土足で
踏み込むことと同じです。

例えば、
「あなたが忙しそうだったから
声をかけることができなかった」

などと声をかけられなかった責任を
相手にあると主張
する。

しかし、
相手に声をかけるか否かは
声をかけようとしている
自分の課題
です。

自分の課題の責任は
自分のものです。

そもそも
相手が忙しく見えるかどうか、も
自分の課題なので
自分で決めています。

この場合、
忙しく見える人に
声をかけない、と
決めたのは自分自身です。

それを相手の責任として、
自分はやりたかったけど
あなたのせいでできなかった

とするのは他人の課題に
土足で踏み込まれたと
偽っているのと同じ
です。

また例えば
「あなたが私に
注意を促さなかったから
今日、私は忘れ物をした。」

などと、その責任を
相手にあると主張
する。

忘れ物をするか否かは
自分の課題であり、
その責任は課題の所有者である
自分自身
にあります。

それを他者に転嫁するのは
自分の課題を肩代わり
させようと
している、ということです。

事前に相手が責任を負うことを
約束でもしない限りは
自分の課題の責任は
自分自身にあります。

もしこの責任転嫁に
応じたなら、
それはただ相手を
甘やかすこととなり、
都合の良い結末になると
自分の責任とすることで
自分の手柄と扱い、
都合の悪い結末になると
相手の責任とすることで
自分を無罪と扱うことになり、
自立を低め、
依存を増やす
ことになります。

自立が低まると
感じるしあわせを
増やすことが困難になる
ため
甘やかすことは
相手をマイルドに不幸へと
導いている
ことになります。

■問題は予防できる

対人関係での問題を
予防しようと思ったら
課題の分離を適切にすることです。

それは先述の通り、
自分の課題は
「自分のもの」と扱い、
他者の課題は
「その他者のもの」と
扱うこと
です。

課題の所有者は
その課題の結末の責任を
負担する人です。

その責任を
所有者自身が100%負う
ことで
対人関係の問題が起こることは
予防できます。

なぜなら
自分の課題の責任を
自分が100%負う、としたときは
自分は自立しているからです。

もしもその課題が
自分の能力だけでは不足なら
自立していないと
他者に肩代わり
させたくなりますが、
自立していると
他者に助けを求めます

課題を適切に扱えれば
お互いに自立が進み、
お互いに自立していると
関係は自然と「対等な関係」
なります。

「対等な関係」になると
お互いに感じるしあわせを
増やしやすい状況
になります。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。




親友が怖くなって会いたくなくなったIさん
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