■善という価値は相対的

アルフレッド・アドラーは
価値は絶対的ではなく
いつも相対的であると
言っています。

それは例えば、
「善」とは絶対的なものではなく
その都度その場で
当事者の合意によって決まるもの、
ということです。


■合意できなかった場合

ある連続セミナーを
受講していたとき。

受講生のAさんが
近々講師の誕生日なので
みんなでプレゼントを
送ってお祝いしましょう、と
受講生に提案しました。

受講生からは
「いいね」「やろうよ」と
肯定する反応がたくさん
出てきました。

Aさんは了承されたものと判断して
さらに続けます。

つきましてはプレゼントの
お金として一人1,500円を
お願いします。

すると
「え、お金とるの?」という
否定的な雰囲気になります。

でも、すでに肯定的な反応を
した後だったので、
お茶を濁すのも嫌だな、という感じで
皆お金をAさんに渡し始めました。

しぶしぶ払う感たっぷりな
Bさんを見かけたので
解散後に話しを聞いてみました。

講師にお世話になってると言っても
受講料をちゃんと払ってるんだから
それで完結していると思うから、
それ以上払いたいなら
それは個人の自由のはず。

誕生日のお祝いに参加しないとは
言いづらいし、
参加しないと後ろ指さされそうだし、
ちょっとフクザツ。

うち、お金苦しいんだけど
まあ1,500円なら他を我慢すれば
生活が傾くほどじゃないから
今回はしょうがないよね。

なるほど。。。

講師の誕生日を祝う日が来ました。

買ってきたケーキに
立てたロウソクの火を
拭き消してもらって、
プレゼントを渡して、
記念撮影して、
大騒ぎです。

言い出したAさんと
一部の人は本当に嬉しそう。

他の大半の人は
「嬉しい」という演技を
しているかのような雰囲気。

講師のお礼の言葉が終わると
お祭り騒ぎも終わり、とばかりに
解散しました。

その解散は
拘束されていた人々が
自由に解き放たれたような、
不思議な雰囲気でした。

Bさんも他の人と話していて
「お祝い事って断れない」と
しぶしぶ参加した人ばかりな
印象だったと話してくれました。

後日Aさんは
会計報告をしてくれます。

曰く、集まったお金よりも
高い買い物になったので
はみ出た分は自分たち運営メンバーが
出しました、とのこと。

意外と高額な買物に
不満な雰囲気が漂います。

ご協力ありがとうございます!
おかげ様で最高のお祝いができました!
元気に話すAさんに
「できてよかったね」と
「はやく終わって」との拍手が贈られ
この件は終わりました。

Bさんは話してくれます。

事前に買うものを決めて
運営メンバー以外の参加は任意にして
お金出せる人は出してね、
一人あたりで割ると〇〇円だけど
100円でもいただけたらうれしいです。

誰がお金出したかどうかは
誰にもわからないようにして、
もっと配慮してくれれば
もっと心からお祝いできたと思う。

でも、Aさんは
「自分、善いことしてる」と
陶酔してる感じで伝えにくかった。

そこで議論になって
時間と体力を消耗するくらいなら
1,500円を払って終わらせた方が
マシと思ったんですよね。

Aさんの「善」と
Bさんの「善」とを
すり合わせて合意できれば
この場での「善」が決まったでしょう。

でもこの場合は
それが決まることはありませんでした。


■合意できた場合

私の子が保育園の頃。

積み木で作品づくりを
皆でしたときのこと。

Cさんは大作にとりかかって
一日では完成できませんでした。

そこでCさんは先生に
「また明日もやりたいから
このまま置いておいてほしい」と
話します。

それを聞いたDさんが
「だめだよ、遊んだら変える前に
片付けないといけないよ」と
日々自分が言われ、守っていることを
Cさんも守るべきと言ってきます。

保育園では
遊びに使ったものは
帰る前に片付けること、と
決められています。

先生はCさんの大作が
本当に大作なので
他の子たちも
「すごいね、どうなるんだろう?」と
完成を期待していることを
知っています。

そこで
「ちょっと待って。園長先生に
聞いてくるから。」と
園長先生に相談に行きます。

子供たちがCさんの大作に
心ひとつになっていることを
伝えると、
園長先生は先生の提案に
賛成します。

その提案とは
「その部屋を使う全員が同意すること」を
前提にCさんの大作を完成まで見守ること
でした。

先生は部屋に戻ると
CさんとDさんに話します。

この部屋のみんなが
この作品の完成にわくわくしてるよね。
Dさんはどう思う?

Dさんは自分も完成を見たいと言います。
でも片付けるルールが心配です。

完成したら片付けるから
今回はそれまで待っても良いかな?
Cさんもそれでどう?

CさんもDさんも
「いいよ」とうなずきます。

みんなもそれでいいかな?と訊くと
他の子は片付けることを
あまり考えていなかったようで
完成を見ることができると
嬉しそうに喜んでました。

園長先生はみんながOKなら
Cさんの作品を完成まで続けて良いって
言ってくださったよ。

子供たちから歓声があがります。

一人の子が
Cさんの作品の周りを
積み木で囲い始めました。

先生が「何してるの?」と訊くと
「囲ってるの。
完成までここは大事だから」との返事。

他の子も囲うのを手伝い始めます。

みんなの心が
ひとつになっている感じです。

翌日にCさんの作品は
完成しました。

自分の背丈より高い作品を
作ることができて
Cさんは満足します。

「すごいね」
「おっきいなあ」
「わ!やったね!」

他の子も喜びます。

完成したら片付ける、と
約束したので、
みんなで完成を確認できると
片付け始めます。

Dさんも納得の様子。

作品の場所が片付くと、
そこは次の遊びの場となり、
いつもの様子に戻ります。

不思議とその後に
自分も大作を作ってみたいと
言い出す子はいませんでした。

これは我慢した人が
いなかった、ということ
なのかもしれませんね。

Cさんの「善」
Dさんの「善」
先生の「善」
園長先生の「善」
みんなの合意によって
それらがの「善」が
ひとつの「善」にまとまった
出来事でした。


■しあわせ増やすために

今までの慣習や慣例も
参考にはできますが、
やはり大事なのは
その場の当事者で
合意の下に「善」は決まる、
という考え方です。

既成のルールや共通認識があっても
当事者の一人が苦しい思いをしていたら
それを解放して合意できるよう
やりとりを始めることは大切です。

誰かの苦しみの上で
得られる快楽に満足していたら
支配者と奴隷のように
上下関係を深めてしまいます。

感じるしあわせが増えるのは
対等な関係ですから、

対等な関係を形にすべく
その場の「善」は
その場の「合意」によって
決まるように取り計らうことが
大切です。



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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