尊敬を使う、とは
ありのままの相手を
ありのままに見ることです。

何かと比較して
優劣を評価するのではなく
そのまま、今のままの相手を
まるごと、ただ「あるもの」として
見ることです。

その相手を
自分にすることで
自分自身にも尊敬を使えます。

自分のすべてを
ただ「あるもの」として
見ることができると
世界はさらに開けます。



相手を自分より下に評価すると
自然と自分を相手より上に
扱うことができます。

でもそれは
溺れそうになったとき
その場にいる相手を
下に押し下げることで
得た浮力を利用して
自分だけ呼吸するようなものです。

自分が上になると
一時的に癒された感じがしたり
安心したりできます。

でも一時的ですから
また上になりたくなって
自分の下にできる人を
探します。

下にできる人が
見つからなかったり
誰かを下にすることに抵抗が
あったりすると
自分の中で「下の自分」をつくって
その上に乗ろうとします。



「ダメな自分」を
作り出すことで
「ダメじゃない自分」を
感じることができます。

あ~あ、どうして自分って
こんなにダメなんだろう?

そう言える自分は
「ダメな自分」の上に
乗っている自分です。

自分を犠牲にして
癒された感じや
安心を手に入れています。

一時的なので
また必要になると
「ダメな自分」を
再び利用することになります。

繰り返すと
自分が上と下に
分離が進んでいきます。



もともと「自分」は
ただ「自分」でした。

上も下もなく
ただ「自分」でした。

それを
「ダメな自分」と
「ダメじゃない自分」とに
分けることで
生き延びてきました。

繰り返すと「ダメな自分」は
同じダメだとより良い効果が
得られませんから、
より「ダメな自分」を
作り出していきます。

浮力が大きければ
それだけ沈みにくいように
「ダメな自分」を
よりダメにするためには
それだけ大きな力が必要です。

そこで「上の自分」に
なることで
より大きい癒された感じや
安心を手に入れます。

その癒された感じや
安心に慣れてしまうと
もっと大きいものを
手に入れたくなり、
「ダメな自分」を
よりダメにするために
もっと力が必要になります。

ただの「自分」を
「ダメな自分」と
「ダメじゃない自分」とに
分けることに精一杯で
他の活動に支障をきたします。

生きづらさが増えるように
苦しさが増えてしまいます。



自分はダメじゃありません。

「自分はダメ」と
見ている自分がいるだけです。

そんな見方をしている
自分にも「ダメ」を
出しているかもしれません。

でも、
どんな自分も
ダメじゃありません。

尊敬を使うとは
その見方を
「ありのままを見る」という
見方にすることです。

「ダメな自分」を見ていたら
それは
「ダメな自分」という下と
「ダメじゃない自分」という上を
自分で設定したということ。

設定できたのが自分なら
その設定を変えたり
解除できるのも自分です。

尊敬を使うと
いろんな自分が
いるように見えていても

そもそも自分は
ただ「自分」であると
見えてきます。

そこに
「ないもの」は見えず
「あるもの」だけが見えます。

その「あるもの」を
どう扱うかによって
自分のこれからの可能性は
開いていきます。

自分の善悪や
自分の優劣にこだわるよりも
尊敬を使って
自分の可能性を見出すことで
さらに広がる世界を
見ていけると
感じるしあわせは増えていきます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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