「過去」は
自分が現在に
関係させない限りは
存在することは
できません。



忘れた、などで
存在が消えた過去は
たくさんあります。

全部を憶えていたら
生きるのに支障をきたすので
脳は適度に
忘れるようにはたらきます。

そんな中で、
今の自分を肯定する
材料集めのようにして
特定の過去を
現在に関係させる。

関係させた過去は
今、存在していて、
忘れた過去は
今、存在していません。

その過去が存在しているかは
自分で選んで決めています。



アドラー心理学において
「目的論」の対極をなすのが
「決定論」です。

過去の何かが原因で
現在の状態が決まった、と
する考え方です。

過去、親に○○された。
過去、教師に○○された。
過去、○○に遭遇した。
などなど。

だ・か・ら
今の自分はこうなんだ、と
する考え方です。

劣等コンプレックスのように
「○○だから私はダメなんだ」と
見るのも、含まれます。



現在の自分は
過去のすべてで
構成されています。

なのに
過去の一部しか
現在に関係させないのは
恣意的に選んでいることに
なります。

今の自分の都合に合わせて
関係させる過去を
選んでいるわけです。

自分をいろんな方向から
見てみると、
いろんな自分が見えます。

でも過去の一部を
恣意的に選ぶということは
自分を一方向からしか見てない
ことになります。



理想を持ったときに
その理想を実現することが
困難と感じると
「決定論」を使ってしまいがちです。

理想の実現に
取り組むよりも
理想を実現できない自分を
肯定する材料集めを
する方が楽と感じることが
あるからです。

その「肯定する材料集め」が
過去を恣意的に選ぶことに
つながってしまいます。

理想は実現したい状況です。
その状況になると
よりしあわせになると
信じていることです。

その実現よりも
「実現したいけどできない」を
「それはしかたないね」と
つい思ってしまうような
状況づくりが目的になったら、
理想はいつまでも実現しません。

その状態がしあわせなら
何も問題ありません。
でもその状態であまりしあわせを
感じられないなら、
苦しい状況が続いてしまいます。



過去を自分で
現在に関係させていると
意識できたときには
もう変化は起きています。

なぜなら、
再選択できるからです。

例えば
過去に、親に○○された。
だから私は何をやってもダメなんだ。
と思っていることがわかった。

でもよく見てみれば
何をやってもダメなことは
ありません。

自分の世話ができたり
何かで友人に喜んでもらえたり
仕事や趣味を通じて
何かに貢献できたりします。

スプーンを使えたり
脱いだクツをそろえたり
お風呂に入って清潔になることも
できたりします。

だから、
過去に、親に○○された。
だから私はダメなこともあるけど、
できることもあるんだ。
と再選択できます。

「決定論」が薄まった感じです。



私は中学生の頃に
父親から性的な被害を
受けました。

当時はそんなことが
あるとは思っていなかったので
生きるにあたってその過去は
存在していませんでした。

それから30年近く経って
ある性被害サバイバーの方の本を
読んだときに衝撃を受けます。

「自分も性被害を受けたんだ」

そう確信したときに
なかったと思っていた過去が
存在していると知り、
自分の生きづらさに
納得できました。

かわいそうな自分を
誰かにわかってもらいたい。
そう思う自分は
どこから来るのかが
よくわからなかったのですが、
その過去の存在に気づいてからは
わかりました。

その過去がある。
だから私はダメなんだ。

そう思っているだけでは
何も改善しないと思い、
コーチングを利用することで
「かわいそうな自分」をOKにして
「わかってもらった感覚」を
十分に感じることで
そこにある「詰まり」は抜けて
解放されました。

当初はすごい存在感だった
「性被害を受けた過去」ですが、
今では自分を説明する
材料のひとつになっています。

「そんな自分だからダメなんだ」との思いは
「そんな自分だからできることもある」
に変わり、
理想へ進む力になっています。



思い出は
今思い出すとうれしい気持ちに
なったりするものです。

その気持ちを感じるために
自分が現在に関係させています。

日本で生まれ育ったから
今自分は日本人で、
今自分の母国語は日本語です、
みたいに事実である過去も
今の自分に関係する過去です。

何かの目的なしに
関係させることはしませんから、
その「関係させる目的」を知ることは、
感じるしあわせを増やすことに
役立ちます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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