私の心地よいことを見つけよう♫
50代からのチャレンジ‼️
 恭子



TOKIMEKU会
『3つの大切h


なもの』
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いつもブログを読んでくれて
ありがとうございます(^^)






震災から10年が経ちましたね




今日、キャディーの仕事を終え
作業をしている時に
14時46分になり

みんなで黙祷させて頂きました





10年前

息子は中学3年生
娘は小学6年生だったかな




私はまだ公立保育園で
保育士でした







私は

地震が起こる前日3月10日の午後

私は、仕事中に寒気がして発熱で
早退し


3月11日の午前中に
病院へ行き溶連菌と診断され

帰宅後は身体がだるくて
ソファで寝ていたの


たまたま


息子も
インフルエンザで学級閉鎖で
家にいたんだよね



旦那さんは仕事で
娘は小学校に行ってました






14時26分地震発生



テレビを見ていた息子が慌てて

寝ていた私を
『お母さん大変だ‼️』と
起こしてくれたのです



物凄い揺れと
寝起きだった私は


激しい揺れと


テレビの
『安全な場所に逃げてください
室内でも靴を履いてください』の

何度も訴えてくる
アナウンサーの声にビックリし





腰を抜かして歩けなくなったという⤵︎
人生初!




そんな私を息子が
引きずるように
安全な玄関まで連れて行ってくれたの
2階なので玄関しか逃げ道がないため



オタオタしている私に
旦那さんからの一本の電話が…





電話口でも
私は、オタオタしていたんだろうね



しっかりしろ‼️落ちつけ‼️

旦那の喝が…



旦那の声でハッとして
落ち着きを取り戻した私







偶然繋がった
旦那さんからの電話に感謝した





私が子どもを守らなくっちゃ!って
スイッチが入った(^^)





その後
電話は繋がらなくなって


この
たまたま繋がった一本の電話を
本当に奇跡だと思ったよ✨✨






自分を取り戻した私は



娘を迎えに行かなくっちゃ!と
立ち上がろうとして



自分の足に履かされた
汚い靴に気がついた…笑笑





テレビのアナウンサーの方が
『室内でも靴を履いてください』と
何度も言っていたので



息子が


私の足に
自分のサッカーの靴を履かせて
くれていたらしい…笑笑




それに気づかない程
気持ちがパニックになって
いたんだと思う



でもね
大変な事が起こっている最中なんだけど




息子の知らない間の対応に




嬉しいやら
笑えてくるわ…で


『息子、落ちついて!
我が家は何も落ちてないよ
靴は逃げる時でいいよ、大丈夫!

それにしても…この靴汚い…笑笑』と
私が言うと




息子が真顔で

『母さんの靴がわからなかったから…💦』と


頑張ってくれた息子の行動に
私は思わず笑ったし

私の笑い声に
息子も緊張が和らいだみたいに
笑ったんだ^_^





その後
2人で見た津波の映像は
胸が詰まる思いだったし


今、現在の状況が
リアルすぎて

ただただ
黙って見つめていたんだった
怖くて涙が止まらなかった





その後




 
溶連菌だったけど
マスクして

小学生の娘を迎えにいき
夕食を準備し




私は、公立保育園勤務だったので
動員のため職場に向かったのです





町の灯りは消え
真っ暗な道を走った時



この異様な光景に
これからどうなるのか…


不安な気持ちが込み上げてくるのを
グッと堪えたのを今も覚えてる




職場に動員として
行きましたが
すぐに『帰っていいよ』と言われ


私は1時間ぐらい滞在して
自宅に戻ったのだけど



最後まで子どもを守る同僚の保育士にも
家族がいるわけで…


保育士の仕事の
重みを感じた1日でもありました









今回は



災害時に旦那さんは
いない我が家にとって


前日に熱を出し
家にいられた私は正直

これも奇跡だと思ったんだよね






誰に…とかではなく

守られていることに
そして、生かされていることに

ただただ
感謝な気持ちでいっぱいになったことも
覚えています



ガソリンを求めて探し回った時も
地元の個人経営の方と
繋がっていたから

すぐに分けてもらえたり



計画停電の時も
大変だったけど


家族団欒が濃いものになったりね



大変だったけど

逆に

人の優しさにも
たくさん触れることができた
貴重な経験になった



これから先も

色々な自然災害があると思うけど



何かある時は…

絶対家族が揃っている時で
ありますように…って願うし


誰かのお役に立てる自分でいたいな…と願う