女三界に家無し | yurumin's walk

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娘と私の成長日記

実家を出て、賃貸に引っ越しました。

 

なのに、私は今

 

このブログを実家で書いています。

 

娘に、新居で課題をするから済むまで来るなと言われたからです。

部屋数が少なく、一室にこもれない間取り。

友達やBFが来ると、私は出ていかねばなりません。

 

新居に置いてある水を取りに行きたいと言うと

 

「何本?」

「玄関に置いとく」

 

と言われたので

新居に向かうと

ドア前にペットボトルが1本置かれてました。

玄関にも入れないのね。

 

 

今ある現実は、自分の深層心理が望んだこと。

だから、今の状況がひどくても他人のせいではない。

という思考法があります。

 

それでいくと

 

私は、実家で親と同居が嫌だから出て行ったのに

(臭い、うるさい、汚い)

また実家にいる(嫌なら別のどこかに行けばいいのに)

これは、本当は私は実家で親といるのが好きということになります。

 

確かに、自分の家に居られないからといって、実家に戻る必要はない。

 

公園とか道端とか山とか海辺とか喫茶店とかにいてもいいのです。

 

でも、公園はヤンキーがいて絡まれたら面倒(娘理論によるとヤンキーは不良ではない)、道端は職質される、山や海はアウトドア好きの知り合いに会いそうで嫌、喫茶店はお金がかかる、知り合いに会いたくない

となると金がかからない実家が最適解。

 

なぜ私は実家を出たのか?

掃除機掛けたくない、拭き掃除したくない、ゴミ出ししたくない、片付けしたくない、風呂掃除したくない、トイレ掃除したくない、洗濯したくない

 

「しなくていい」

と娘に言われます。

 

でも、しなければ汚い環境で過ごすことになる。

 

掃除や片付けが好きなのではなく

汚い環境にいるのが嫌い。

だから片付けや掃除、洗濯をするだけ。

好きで家事をやるのではなく、自分が不快な状況に身を置きたくないから全力回避の結果が掃除や片付け、ゴミ出し、洗濯なのだ。

 

散らかす汚す片付けない連中といるのが嫌なのに、そういう人たちと近しい。

ということは、私は汚い環境で平気な人たちを怒りながら片付けや掃除洗濯ゴミ出しをするのが好きで望んでいることになる。

周囲が綺麗好きなら、私がする必要はない。

綺麗好きが周囲にいないということは、私がそういう環境を望んでいることになる。

 

親や娘に大事にされない、軽んじられる現状なら

それは、私自身が自分は価値がないから大事にされなくて当然と思っていることになる。

 

嫌な環境は、自分の深層心理が引き寄せているというのなら

文句は言えない。

 

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がある。

昔の私は、その言葉が大嫌いでした。

「その場所がどんなに嫌でも、いなければいけないのか」と思って。

でも、今は違います。

「今ある状況で最善を尽くす」ことじゃないかと思うのです。

これ以上ないほどの働きをする。

そうすれば、状況は変わる。

嫌な環境が変わらないのは、自分がまだ最善を尽くしていないから。

これ以上できない程やり切れたらきっと状況は変わる。

RPGでも、あるミッションをクリアしなければ先に進めない、人々の言うことが変わらないという場面がある。

現実も同じ。

 

居場所がないのは自分のせい。

 

まだやれることがあるけどやってない、やり切れてないから状況が変わらないんだ。

 

それが何なのか探すこと。

 

それが私の課題。