地球人やし日本人やけど、やっぱ岐阜人なんや。 | 目立ちたがりの小心者

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声楽レッスンのことやら。(永久休止)
ギターをやってた時のことやら。(挫折)
減量ネタにも飽きて。(リバウンド)

色々とやってみたものの、もはや気力体力が無く、普通の日記やらレポートやらが中心な何の役にも立たない自己趣味のブログになり腐ってます。(;^_^A

1年前に別なとこで書いたのを再編集して載せよかな。
自分で再読したけど、やっぱ今もそう思っとるし。


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元々は他に選択肢も無くて否応なしに岐阜の繊維関連の会社で働いていましたが、10年程で見切りをつけて、東京資本の会社へ転職し最初は名古屋の営業所にいたものの、本社があまりにボケた事をするのに業を煮やして、まだ若かった私は単身本社へ乗り込んで9年間、東京で闘い、最終的に挫折して名古屋の職場に戻り、私の遊び場も、大都会東京から、ローカルな岐阜へと移りました。
2008年、9年ぶりに戻った故郷岐阜は、大好きだった路面電車が全廃され、あれほど賑やかやった中心部も驚くほどに廃れておりました。

やっぱりこんな田舎には何も無いのだなと半ば諦めながら岐阜の街をブラブラしていた時に出会ったのが、やなな。
こんな何も無い岐阜でも、面白い事をする人がいるもんやなーと、興味を持って追いかけているうちに、意外にもこんな岐阜の中で地元岐阜を愛して活動してる人が多いのに気付き。

そんな中、私はと言えば、いまだ、何の縁もゆかりもない東京資本の会社に従属しているのがもどかしくも、何の取り柄も無い自分が、ここから離れて何か出来るはずもなく。

そんな会社も、あと1年で定年。
定年後も会社に「お願い」をして再雇用という選択肢もありますが、やはり出来るものなら岐阜に戻って何でもいいので、岐阜に関わっていきたいと思うものです。

もちろん、何の取り柄も無いので、たいした事は出来ないのは分かってるし、甘くはないんでしょうけど、今さらながら、ローカルにこだわりたい。
岐阜に戻って11年、そんな厳しい条件の中で頑張っておられる「先輩方」を見ていて、わずかながらでも自分でもと思うわけです。

なんたって、なにがええって、職場で岐阜弁が普通に通じてまうのが何よりやがね~(*^o^*)