私の大好きな空に
義母の告別式の翌日から
3日間連続して虹がかかった🌈
人の喜ぶ顔を見るのが
大好きだった義母が
見せてくれているのだと感じ
さすがに3日目には
運転しながら泣いてしまいました。
「私の人生、満足満足!お父さんに会う時にちゃんとしていきたいから、タンスに準備してあるグレーのスーツを棺の中の私に着せてね。」
「葬儀場には積み立てをしてるからそこを使ってね」
「◯◯(夫)に、日頃言えない事は無い?私が言っておくよ」
病室に行くたびに
か細い声で思いを伝えてくる。
何処にいても分かるくらい
元気いっぱいの声だったのに。
義母が旅立つ前日
病室から見える西の空に
ウロコのある大きな雲が見え
私はそれを見て悟る。
そして最期は
夫(息子)の手を握り安らかに旅立ちました。
告別式など全てが終わり
自宅に戻り
家族が集まり食事をする前に
夫が口火を切る。
「生前に、ばあちゃんから預かっていたから渡すね」
私と子供たちに1人ずつ手渡す。
全員に箱と1枚の紙のセット。
「◯◯(私)さんへ
長い間おせわになりました。わがままばかりでごめんなさい。
この前、◯◯(夫)に「いい嫁さんを見つけたね」と言ったら笑っていました。私にとって最高の褒め言葉です。本当にありがとう。少しの金額ですが、これをヘソクリ用として使ってもらえたら嬉しいです。ありがとうございました。
◯◯(義母の名前)」
生前、義母がカレンダーを切ってメモ帳代わりにしていたその紙に私宛に書いてありました。
そして、義母がどこかに旅行した時に購入して使っていなかったというお財布にお金が入っていました。
それは子供達にも同じように綴られ、
夫が初任給で母の日に買ってくれたけどもったいなくて使えなかったというお財布や
義父が「これにヘソクリを貯めていきなさい」と買ってくれたというお財布に
お金入りで丁寧に箱に詰められていました。
私も子供達も言葉が出ません。
これまでの事が走馬灯のように思い出され、ただただ感謝の涙が溢れてしょうがありませんでした。
義母が1人で住んでいた家には
必要最低限の物しかなく
私たちが困らないようにと
要らないものは全部自分で処分し
手続きしやすいようにと
書類や保険証などは1つのファイルにまとめてありました。
最期の最期まで
1つ1つを丁寧に懸命に豪快に生きた義母。
「お義母さん、あなたの生きざまをしっかり見届けさせて頂きました。
私も、どこまでも自分自身であり続け丁寧に朗らかに生きていきますあっぱれ!!!」
まずは私も、自分の身の回りは必要最低限の物にしていって、保険や通帳なども分かりやすくまとめて子供たちに負担をかけないようにしていこう!
と、少しずつ動いています。