私達は、中継台かしら? | ペッカプのブログ

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最近思うこと。聖書や原理講論で地上で継がれることは天でも継がれる。とあったが、地上が主体だから、私達が身も心も成長すれば、高い霊界の役示や共助がおきます。過去に教会でみ言葉と祈りと愛の実践と言われていましたが、なるほど最近どれが抜けてもいけないのだ。と実感するようになりました。

私達は無形世界との中継台です。心を研ぎ澄まして霊界からの良い共助を受けなければ、大変な時を迎えています。清平がどうのこうのと言われていますが、基元節までに先祖のかいおんや祝福を急がないと先祖の再臨共助が受けられないので、先祖が霊界に連れていくと言われていたお父様でした。今更ながらぞっとします。そんなことがいたるところでありますから!


教会の条件としてだけご利益的にやるのではなくて、霊人体の成長のためにもみ言葉を訓読して、生活も祈りです。愛の実践をしたら、身も心も成長します。たとえ事故になったり、病気になっても感謝していけば、道は開かれます。多分霊界との関係があると思っています。それにしても一日は千年のごとしで、色々な驚くことばかり起きています。何があっても感謝して前に向かって歩みたいものです。日々の努力がよき出会いに導いてくれるのを実感します。
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先日法事で真言宗のお坊さんがいわれていましたが、お経も複雑ですが、自分が心で体験した世界が一番皆に証せる。と言われていました。仏教にも十三仏がいて死んだ人を四十九日の間に極楽までひきあげるから、一週間ごとにお坊さんを中心にして親族と共に読経をしました。キリスト教には十二弟子がいましたが、ユダが裏切って、最後は皆去ってしまいました。しかしイエスの三日目の復活で離れた弟子達が帰って来て爆発的な伝道をしていきます。

霊的な世界ですから、実体験しないとわからない世界です。今の教会は教祖の死で後継者をめぐり、大混乱状態です。仏教で言えばこれも無明の世界だからに違いありません。真理を一番知ったと自負した教会が一番無知でした。汝自身を知れとアテネのソクラテスも笑っているかもしれません。組織の無明から一人でも立ち直り、上がって行かなければいけない時に来ています。