本来は感謝の表現なのに? | ペッカプのブログ

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最近やはりお金ですか?と言うことばかりです。最近の老人ホームは、昔と違ってゴージャスで至れり尽くせりです。でもしっかりと入居前にお金のチェックがありますよ。相当の年金がないと絶対に入れません。病院も高価な薬やリハビリやバランスのとれた食事を提供しますが、後で高額な請求書どっさりきます。


人間最後の葬儀のセレモニーも一見最後まで寄り添ってくれるように思いましたが、次から次に請求書の山そして少しでも此方の苦情を言ったら目を剥いてきました。(普通サービス業ではお客さんの苦情はありがたいものです。企業の発展を促進します。苦情がなくなることの方が怖いです。)いらん事言わずに言うとうりに金払えば良いでした。独占企業か?人間死んでからもお金に縛られるのでしょうか?


本来は神と人に感謝の意志をあらわすのが、お金であったのかもしれませんが、今ではお金儲けの追求のようになりました。資本主義は利潤を追求して格差社会になり、共産主義は経済が破綻して単なる独裁になっています。


見えない心の世界までが、利潤追求になっては人間関係までさばさばしてきます。昔から親子の情愛は変わらないと言われてきましたが、最近は親子の事件が頻繁にあります。利害を越えた関係はこの世にはないのでしょうか?本来は神様と人間の関係は父子の因縁だと言われました。失われた因縁を取り戻すのが、宗教であり、現実の世界を変えて行くのが、政治や経済だと思いますが、何だか今は根本がずれているようです。
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花が散っても額がのこるので、学が落ちない受験に受かるクリスマスローズだそうです。今年は新芽が出て葉がたくさん茂りました。