完全? | ペッカプのブログ

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人間が完全にすべてをできるわけがないのに、完全をもとめる。無い物ねだりかもしれないが、たとえある目標が完全にできたとしても又次の完全を求めるのだ。子供の学校生活も文武両道の理想を唱えていますが、完全に学力は数字をあげる世界です。非常に同情する。そして、宗教の世界まで完全に数字の達成になってしまった。果たして神様は人間に何において完全を求めているのか?それはお父様において証されたように愛においてである。


人間は誠意をふみにじられたり、否定されて愛が深まっていくのだ。それは神様が先駆けて行かれた道だから、だから、決して愛においてはあきらめてはいけないと思ったが、現実は厳しいものだ。親子、夫婦、兄弟、親族、近い間柄だから傷つくし戦います。昨日も子供に思いの丈をぶっつけられて、私の方が切れました。段ボールと切れた電球が壊れるぐらいものにあたって不平不満をぶっつけました。女性は男性の狭間で苦労ばかりです。いい加減に利用されてばかりで自分の人生がなくなったように思えてなりませんでした。男性は天使長の末裔だから、はっきり言って愛なんてありません。宗教も卒業、家庭も卒業したいと、おたけびをあげました。次男は泣き出して、俺の人生はどうなるのだと?言いました。今は昔のように封建世界ではないので、勉強もできるし、才能があれば世間でも生かせる時代です。しかしそれがすぺて幸せとは限りませんが、今お金がなくなったのを卑屈に思わなくてもよいのですが、あまりにも教会に全部貢献してしまいました。そして、結果は何も見えない状態になりました。お父様が言われたのは、何もかも完全にやれではなく、愛において完全になりなさいでした。


だから子供に対してもあれをしろこれをしろとは言いたくはありません。自由主義は競争世界だから人と比べて傷つく事もたくさんありますが、愛が深まる試練だと思えば、良いかもしれません。よくカウンセラーの先生などは子供が親を成長させてくれると言われています。 子供からなんだかんだ言われるのは、お互い成長の機会かもしれません。


愛における完成が一番難しい事かもしれませんが、真のアダムから真の愛を受けた女性にしかできない業かもしれません。天使長の末裔をアダムに生みかえることそれは決して一人では出来ません。あるブログに書いてありました。妻を徹底的に愛して夫の為ならなんでもしたい女性になるぐらい尽くして、女性の愛を復帰したいと!家庭においても一方的な愛なんて限界です。やはり夫婦で乗り越えていかないといけない道かもしれません。